18・十七歳の夏


 高校時代に親しかった友人に、野末と言う男が居た。

 明るい…と言うか、お調子者の性格で、酷く賑やかな男だった。

 背も高く、ぱっと目立つ顔立ちの男だったので、女生徒には人気があったようだ。

 私が知っているだけでも、彼の恋人を名乗った女性は、片手に余るほどの人数である。

 だがどの女性とも長続きしなかったようだ。


 野末は、親の都合で高校を卒業すると同時に引っ越して行った。

 今、彼が何をしているか、何処に居るのかは、私の耳に入ってこない。

 ただ、十七歳の夏に、見た事だけは、私は、はっきりと覚えている。








 坂の上に洋館があった。

 私は坂をひとつ超えた場所に在る図書館に毎日のように通っていたので、よくそこを通っていた。

 ある日。

 夏の、暑い日だった。蝉が鳴いている。自転車を押しながら、私は坂を上りきり、ひとつ息を吐いた。

 そして、洋館を隠れた位置から見守る野末に気付いたのだ。






「野末」

 後ろから声を掛けたのなら、野末の反応は見物だった。

 間抜けな悲鳴を上げ、一メートルばかりも飛び上がったように見えた。

「何してんの?」

 私の問いに野末は酷く慌てた様子で辺りを見回した。

 誰も居ない。私たち二人だけだ。



「何してんの、野末?」

「…いや、別に」

 視線を逸らす。

 ぎこちない動き。

 私は洋館を見た。

「…誰か居るの?」

「…………」




 野末は長く長く沈黙して。








 やがて、頷いた。









「綺麗な子が居るんだ」

 と、野末は掠れた声で言った。




 その子は身体が弱いらしく、滅多に外に出てこない事。

 でも、もう一目だけでも会いたくて、こうして此処で待っている事。

 野末はぽつんぽつんと語った。


 野末らしくない、と思った。

 好きな子が居るのならさっさとモノにするのが彼の性格だったから。





 どんな綺麗な子なのだろう、と、私は図書館に行くのをやめて、野末と一緒に隠れて洋館を見守った。




 暑かった。蝉が泣いていた。

 野末の横顔をこっそり見てみると、今まで見た事の無いぐらい真剣な顔をして、彼は洋館を見詰めていた。

 真っ直ぐな視線。きつく締められた唇。何の迷いも無い、真剣な、表情。




「…来た」


 野末が小さく呟いた。

 私は慌てて洋館を見る。

 玄関が開き、すらりとした姿が出てきた。


 銀髪。

 真っ白い肌。

 そして、まぶしそうに空を見上げた瞳の色は、赤みを帯びた茶に見えた。


 綺麗な子だった。

 だけど。




「男だよな」

「でも綺麗だろう」

「でも男だ」

「でも、綺麗なんだ」



 後で思えば訳の分からぬ会話だろう。

 野末はただ「でも綺麗だ」を繰り返し、私は「でも」と言葉を返す。



 私たちよりも少しだけ年下らしいその少年は、しばしの間庭を散歩し、洋館へと戻っていた。

「あの子、銀髪で紅い目だったろ」

 野末は瞳を細めて言った。

「ああいうのを、アルビノって言うらしい」

 アルビノ、と言う言葉を、私は、この時、初めて知った。











 野末はとても優しい顔で、その子が消えた洋館を見守り、やがて「帰ろう」と私を誘った。

 帰り道、野末はもう一度だけ「綺麗だよな」と呟いた。

 





 野末の口からその子の話題が出たのはその一度だけだった。

 野末はとても巧くやった。多分、私以外の誰も、野末の気持ちに気付かなかったろう。






 野末にはもう会っていない。坂の上の洋館にはもう誰も住んでいない。あれから30年近い時が過ぎ、何もかも変わってしまっている。

 だけど、蝉が鳴く夏が来るたびに思い出す。

 じっと、ただ真っ直ぐに、真剣な表情でアルビノの少年を見詰めていた野末の表情を。

 彼がアルビノの少年を綺麗だと思うのなら、私は、あの真っ直ぐな野末の表情を、綺麗だと思っていたのだ。




 十七歳の夏。私は、そう思っていたのだ。


 


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