27・殺し屋チャドルの憂鬱な午後


 チャドル・ディストーン。

 39歳。愛しい妻――と言っても、籍は入っていない――のメイと二人暮らし。


 そして、職業・殺し屋。






「メイ、仕事が入ったから行って来るよ」

「チャドル? お仕事? 何処まで?」

「ちょっと遠くだ。一週間ほどで帰ってくるよ。

 サーバナさんに君の世話をお願いしておくからね」

「いやよ、チャドル。私を一人にしないで」

 メイはさめざめと泣き出す。

 両手を顔にあて、幼い少女のように声を上げて。



 チャドルは困り果てた表情を作る。




 メイは身体が丈夫ではない。

 ほぼ寝たきりだ。

 出来るなら、一日中だって傍に居て世話してあげたい。



 だが、組織は優秀な殺し屋であるチャドルを手放さないだろう。

 そして、チャドルに殺しを依頼しない事は無いだろう。





 故に、チャドルは泣きじゃくるメイの額にキスして、必ず帰ってくると強く約束し、依頼の場所へと向かうのだ。






 組織を裏切った男の妻の殺害が、チャドルへの依頼。

 見せしめの依頼。出来るだけ残虐に、と言うリクエスト通り、手足を撃ち抜き、追い回す。

 出血で意識が朦朧としてきたらしい女の右目に銃を突きつけ、そして、チャドルは彼女を撃ち殺した。



 さて、と見回せば、家中血だらけ。

 これだけやれば十分な見せしめだろう。





 そこで、ふと、チャドルは視線に気付く。

 自分を見詰めている、誰かの視線に。





 チャドルは辺りを見回す。

 そして、ドアの隙間から覗く瞳に気付いた。









 ドアを開く。

 幼い少女がそこに居た。

 青い瞳をいっぱいに見開き、涙をたたえた瞳でチャドルを見ている。



 涙を…そして、怒りをたたえた瞳で、チャドルを見ている。





「人殺し」

 幼い声がチャドルを責める。




「ママを返して」







 チャドルは無言で銃を少女に向ける。

 少女は、銃口から逃げなかった。

 銃口など無いと言わんばかりに、ただチャドルを睨み付ける。





「人殺し」

 チャドルを責める声。








 チャドルは顔を歪め、ゆっくりと、引き金にかかった指に力を入れた。











 そして、チャドルは帰宅する。

 世話を頼んだ家政婦のサーバナはチャドルの姿を見て、安心したような笑みを見せた。

「メイ様は今お休みになられてますよ」

「そうか」

 良かった、とチャドルは笑う。

 血のにおいと、人を殺し、疲れ果てた顔の自分を、見られたくない。

 平和な午後。

 だけど、人を殺し終えた時はいつも、生きているのがただ面倒になるほど、気が重い。





 罪悪感は無い。

 これが当たり前だと思って生きてきた。



 だけど。



 メイ。









 メイの寝室に入り込む。

 子供のように無邪気な寝顔を見せている彼女を、見詰める。



 人殺し、と、以前、メイもチャドルを罵った。

 彼が殺し屋だと知った時、メイは、彼を罵った。





 でも、彼女は涙を流し、彼を罵り、そして。




 笑った。






 貴方は最低の人殺し。

 でも、でも、そんな貴方を、私は愛してる。










 メイはそんな言葉を残し、壊れた。

 狂ってしまった彼女を抱いて、生まれて初めて、チャドルは自分の職業を呪った。










 人を殺す事が当たり前だと思っていた。

 それが当たり前だと育てられた。

 だけど、メイは違うと言う。

 己が狂ってまで、チャドルに、叫んでみせた。










 チャドルはメイの言葉の意味をよく分かっていない。

 彼は人を殺して生きている。

 人を殺すたびに、人殺しと罵られるたびに、己の中に積み重なっていく重い感情に戸惑いながら。






「――チャドル?」



 メイが瞳を開く。

 無垢な笑みを見せて、メイは言う。

 両腕を伸ばし、チャドルを抱きしめて。





「おかえりなさい、チャドル」

「ただいま」







 笑みを浮かべている。

 確かに笑っている。





 だが、メイはチャドルを見て問いかける。








「チャドル、どうして泣いているの?」





 チャドルは何も言わない。

 ただ首を左右に振るだけ。

 泣いてない。笑っているのだ。

 泣いてなど、いない。




 チャドルはメイを抱き締める。







 暖かい日差しが部屋を満たす。

 平和な午後。



 だけど、チャドルの気持ちは重いままだ。



 憂鬱な、憂鬱な思いを抱えたまま、チャドルはメイを抱き締める。





 一瞬だけ、メイを撃ち抜いてしまえば何もかも――自分自身も…――終わるのではないか、と破滅的な予測が、心の中に浮かんだ。


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