57・シリアル act.4


 もうこんな世界から逃げ出したいと、消えてしまいたいと言ったのは事実。

 汚れた水上都市。99%の犯罪者と、1%の犯罪者の子孫たち。

 そういう、街だ。


 こんな街に生まれた以上、救いなんて何処にも無い。

 一生この街に閉じ込められ、一生、このままなのだ。

 私は、酒に酔った勢いで、初めて会った女性にそんな愚痴を延々と零した。



 話を聞いてくれたのは綺麗な女の人だった。

 長い黒髪の、美人。

 話の合間に「お姉さんって呼んでね」と可愛らしい笑顔を見せてくれた。

 確かに「お姉さん」と呼ばれるのが似合いそうな雰囲気の人だった。



 アルコールが完全に回った意識と身体。



 耳元で、黒髪の女が囁いた。





 大丈夫。

 助けてあげる。







 

 ぴちゃん、と水音。






 目が、覚めた。





「――あら、おはよう?」


 楽しげな女の声。

 顔に何かが触れているのに気付き、それを払おうとして……右手が動かないのに気付いた。


「……?」

 続いて、左手。

 そちらも動かない。




「駄目よ、まだ動いちゃ」

 優しい微笑。


「まぁ、女の子に今の状況で動いて、って言っても無理だと思うけど」

 視線。

 彷徨わせ。




 暗い部屋だ。

 周囲はコンクリートの壁に見える。

 そして動かない両腕。



 太い枷が両手首に嵌まり、その枷から鎖が伸びている。

 鎖の端は壁に繋がっていた。






 これはなに、と問おうとして、自分の唇が開かないのに気付いた。

 口枷が嵌められている。

 話せない。





 女が私の顔に手を当てる。床に倒れていた身体を起こしても、立ち上がる事さえままならない私の頬に。



「安心して。もう外になんて行かなくてもいいわよ」




「私が飼ってあげる」



 か、う?





「貴方は此処に居ればいいの。もう他の何も考えなくていいのよ?」


 ねぇ嬉しいでしょう、と、女は笑う。



「死ぬまでずっと此処。此処に居て、私の事だけ考えていればいいのよ」


 そう言って、女は白い両腕で私を抱き締めた。



「私の妹」



 妹?

 違う。

 私は世界を否定したけど、こんな所に監禁されたいなんて願ってない。




「大丈夫、一人じゃないから」


 ね? と微笑み、私の顔を掴み、周囲を改めて見せる。



 そこで気付いた。



 腐敗、臭。








 封じられた喉奥で悲鳴。

 絶叫する私を抱き締めて、笑う女。




「ほら、そんなに叫ばないで。皆私の可愛い妹なんだから」




 闇の中。

 腐敗した肉が詰まれた部屋。



「――ビアンカ?」

 ふと差し込む光。

 開いたドアから誰かが顔を覗かせた。

 声の調子で男だと分かる。



「凄い騒ぎ聞こえたけど……大丈夫?」

「平気。私の妹だもの、すぐにイイコになるわ」

「そう」

 小さく、男が笑った。


「殺すんだったら、呼んでよ?」

「えぇ、その時は」




「なぁ、ビアンカの妹さん?」

 ビアンカ、と言うのが女の名前らしい。




「どんな街だって、どんな世界だって、逃げ出すなんて不可能なんだぜ?」



 くつくつ、笑い。


「それがあんたの選んだ現実、あんたにお似合いの世界なんだから」




 まぁ、と続ける。「変える事は出来たかもしれないけどな」





「それより、ビアンカ、もうそろそろ時間だろ?」

「あら、もう?」


 ビアンカは私の頬に口付けた。



「イイコにしていてね。また来るから」

 それまで、と微笑。「他の妹たちと仲良くね?」




 ビアンカは立ち上がる。


 そして、光が差し込むドアへと歩いていった。



 私は残される。






 待って、待って。ねぇ、待って。おいてかないで。

 こんな暗い、死体だらけの場所においていかないで。



 ねぇ。




 ビアンカはドアを通り抜ける。男が私を見て笑い――ドアをゆっくりと閉める。









 世界は暗闇に閉ざされた。




 私は、私が選んだ世界に閉じ込められた。

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