70・こんな夢を見た
こんな夢を見た。
夢の中で私となった男は塔を上る。
毎日毎日、私はこの塔を上っているらしい。高い、石造りの塔だ。
幾つもの扉。何人もの兵士。塔の最上階に居る人を逃さぬための厳重な警備。
夢の中の私は笑う。
此処まで厳重にせぬとも彼女は逃げられぬ。
弱りきった女の身では逃げられぬ。
もしも逃げられたとしても――女は逃げぬだろう。
塔の最上階。
居心地は良いだろう部屋で、女は一人、机に向かっていた。
幽鬼のような青ざめた顔。一心不乱でペンを、机上の紙に滑らせる。
私はその女を見る。
女は既に三日も食事を摂っていない。
水はどうやら摂取しているようだが、元々が体力の無い女だ。一週間持つかどうか。
女は私の存在を無視し続ける。
気付いているだろうが、書く手を止めない。
必死に紙の上に字を書き続ける。
様々な、人名を書き続ける。
三日前の事だ。
この国で反乱が起きた。
王である私を殺そうと、側近だった男が反乱を起こしたのだ。
何人もの護衛を失いつつも、反乱を起こした男は捕らえられ、殺された。
そして、男の一族も危険であると判断され、処刑される事となったのだ。
女は、その男の娘だった。
だが本来なら特例として処刑されぬ筈だった。
唯一の安全な地位に居たのだ。
しかし女は自ら懇願した。
自分の生命を投げ出す覚悟で、一族の延命を望んだのだ。
一族を許す事は出来なかった。
女の頼みとはいえ、決して。
それどころか、私に逆らった女を、この国の支配者として罰さなければならなかった。
故に、無理とも言える難題を女に言いつけた。
これからお前には一切の食事を与えぬ。
その代わり、紙とペンを与えよう。
真に一族の延命を望むなら、延命を望む一族の名を全て記せ。
紙に書かれた名前のものは生命を助けよう。
その一族はこの国で栄えている。
遠縁も含めれば果てしない人数だ。
その全員の名を、幾ら国一番の賢女と称される彼女でも覚えているかどうか。
私はそう思った。
女の、嬉しそうな笑みを見るまでは。
女は恐らく一族の名前を殆ど覚えているのだろう。
嬉しそうに、誇らしげに、示されたこの塔に入り、睡眠も食事も望まず、一心不乱に名前を綴る。
美しかった顔は三日でやつれた。
化粧もせず、服装も整えていない。
哀れな姿になった。
「――約束」
女が不意に口を開く。
手を止めず、瞳だけ上げて、女は言う。
「約束、守って下さいますわよね?」
私は無言で頷く。
女の瞳が細められる。
穏やかな、優しい笑みだ。
女はそれ以上私を見ない。
名を書く作業に戻る。
それ以上の会話は無かった。
私は塔の最上階を後にする。
階段を下りながら考える。
女はあと一週間は持つまい。
私には幾つかの選択肢がある。
ひとつ、女との約束を果たす。
ひとつ、約束は反故とし、反乱者の娘である女など切り捨てる。
ひとつ――。
今すぐ塔の部屋へ戻り、女をこの塔から連れ去り、食事と適切な治療を与え助ける。
どの選択肢を選んだにしても、彼女は恐らく死ぬだろう。
どの選択肢を選んだとしても、私は、最愛の妻を失う事になるのだろう。
もう、どうして良いのか分からなかった。
そんな、夢を見た。
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