22・ハロウィンがやってくる
アネットはハロウィンが大好きだ。
沢山の可愛い子供たちが、彼女の元を訪れてくれる日が。
それは、80歳を迎えた今も変わっていない。
「お婆ちゃん!」
弾んだ声を上げて玄関から飛び込んできたのは金髪の少年。
身体を屈めて、幼い少年からのキスを受けたアネットは、愛しい孫の頭を撫でた。
「一年ぶりね、すっかり大きくなって」
「うん! ね、ぼくはもうすっかり大人でしょう?」
少年は得意げに笑った。
少年に笑い返し、アネットはその背後を見る。
少年によく似た女性が立っていた。
「お母さん」
彼女は透き通る声で言う。「今年も会えて嬉しいです」
「私もよ。さぁ、今夜はゆっくりとくつろいでね」
「えぇ、有り難う。
…もしかしたら、私たちが一番乗り?」
「そうよ」
アネットの答えに、金髪の女性が言った。
「心配しないでお母さん、皆すぐにやって来るわ」
だって。
「皆、お母さんに会えるこの日を、とても楽しみにしているんだから」
彼女の言う通りだった。
アネットの愛しい子供たちはどんどんとやってきた。
スーツを着こなした銀髪の美青年は、両腕一杯の薔薇の花束をアネットに。
可愛らしい、妖精のような双子の少女は、アネットの周りでとびきりの笑顔を見せた。
アネットと殆ど年齢の変わらないように見えるむっすりとした男は、それでも、アネットに右手を差し出し、親愛の情を示した。
館に来て、帽子さえ外そうとしない男も、アネットに向けてだけは帽子を取り、一礼してみせた。
最初の金髪の女性に負けず劣らずの美女は、アネットを両腕で強く強く抱き締めた。会えて嬉しいわ、と、同性のアネットさえ聞きほれる程のいい声で。
それから、それから。
数え切れぬほどの、子供たち。
アネットが一人で住むこの古い森の館。
今日だけは賑やか。今日だけは、愛しい子供たちが集まる、とても楽しい日。
「ところで」
アネットに薔薇を送った青年が言う。「ロックはどうしたんでしょうか」
ロック。
アネットがもっとも愛する子供。
少々乱暴者の箇所もあるが、とても優しく、正義感溢れる青年。
「ロックの事よ」
色っぽく煙草を持った女性が言う。「遅刻じゃない」
「この貴重な夜に?」
「こんな貴重な夜にだって」
その時、扉が開かれた。
飛び込んできたのは、灰色の髪の青年。
彼は慌てた様子でアネットの元へ駆け寄ってきた。
「ロック」
「遅れて御免、母さん」
「いいえ、来てくれただけでも嬉しいわ」
「怒ってない?」
「怒ってないわよ」
「良かった」
ロックは笑みを見せた。「夜の街、空飛んで急いできただけあったぜ」
ベルが鳴ったのは、ロックがそう言い終わった瞬間。
「あら、お客様?」
煙草の煙を空中に吐き出し、女が言った。
「母さん」
ドアを開けて入って来たのは、40歳ぐらいの男。
ひょろりとした体躯の、ずる賢そうな顔立ちの男だ。
彼はぐるりと室内を見回す。
「こんな広い館に一人きりなんて寂しくないのかよ」
「寂しくなんてないわ」
アネットははっきりと答える。「それより、何の用?」
「わかってるだろ、この屋敷の売買だよ」
「売らないわ、この館は」
「母さん、強情張らないで。
こんな古い屋敷、買い取ってくれるって人が居るうちに売り飛ばすべきなんだよ。
その金で、母さんは都会の施設に入る。いいぜ、話し相手が沢山居るんだ」
「貴方は私の息子だけど、まったく信じられないわね。
この館を売り飛ばし、貴方の借金の返済にでも当てるのでしょう」
アネットはドアを示した。
「出て行きなさい。貴方とは親子の縁はもうとっくの昔に切っています」
ちっ、と男が舌を打った。
乱暴にソファを蹴り付ける。
「うるせぇ婆だな、本当によ。
いいから、とっとと館の権利書を出せよ」
男がアネットを見る視線。
既に、親を見る視線ではない。
「それとも殺されてぇのか?」
「――誰が殺されるって言うんだ?」
低い声が男の真後ろから。
誰も居なかった筈の場所からの声に、男は慌てて振り返る。
そこに立っていたのは灰色の髪の青年。
彼は男に向かって右手を突き出した。
「死ぬのは、お前だろ」
右手。
そこは、黒い鱗に覆われた鉤爪が存在していた。
男は、背中を大きく切り裂かれ、間抜けな悲鳴を上げて逃げていった。
「待てよ!」
ロックは駆け出す。
「いいのよ」
アネットはロックを引き止める。
「でも、母さん」
「いいのよ」
「この夜に、争いごとなんて馬鹿らしいもの」
ハロウィン。その日の夜にだけ、この館は異界への門となる。
魔物たちが、この世にやってくる。
夜の隣人、愛しい闇の住人たちを愛せない人々には、もう決して見る事が出来ない魔物たちが、やってくるのだ。
アネットの愛しい異界の子供たち。
年に一度の邂逅。
その貴重な夜を、他の理由で失いたくない。
「だけどアネットさん」
銀髪の青年――吸血鬼が言う。「あの男…少々危険なのでは」
「そうね」
煙草の煙を吐き出したラミアが蛇の瞳を細め、頷く。「このままでは、アネットを殺してどうにかしそう」
「お婆ちゃんに酷い事するヤツはぼくが許さない!」
幼い牙を剥いたのは人狼の少年。母の人狼に止められるが、既にその身体は狼へと変化しかけている。
水妖の双子の少女は、顔を見合わせ、不安そうに周りの人々を見る。
ゴーレムの男は、相変わらずむっすりした顔で考え込んでいる。
スケルトンは、帽子の下からアネットをじっと見ている。
そして、ガーゴイルのロックは、今にもその背に翼を出して、先ほどの男を追いかけそうになっている。
彼の翼を用いれば、人の足で逃げた男などすぐに捕まり殺されるだろう。
「いいのよ」
アネットは言う。「今夜は、きっと最後の夜だから」
「…母さん?」
ロックは不安そうにアネットを呼んだ。
ロックの顔を見て、アネットは言う。
「死ぬとか言うなよ、母さん」
「ロック」
「人間、80年程度じゃくたばらないだろ? 100年だって生きるって聞いた」
「そうね。そういう人も居るわ」
「なら」
ロック、と彼を呼びとめたのは、今までずっと沈黙していた老人。
長老と言うふたつ名で呼ばれる彼は、魔物たちの中では最年長。
彼が何であるかは誰も知らない。
沈黙したロックを見て、それから、長老は話し出す。
「…今まで我ら夜の民に屋敷を提供してくださり…感謝の言葉も無い」
「いいえ…楽しかったわ」
アネットは笑う。
「でも、これからも…私が死んでも…この館は、貴方たちに使って欲しいの」
「それがおぬしの望みか?」
「えぇ」
「ならば、望みを叶えよう」
長老はそう言って瞳を閉じた。
沈黙。
もう話す言葉は無いと言わんばかりに、沈黙。
アネットは、いまだ不安そうに彼女を見るロックの身体を軽く抱き締め、そして、「愛しい子」と囁いた。
ロックは何も言わない。
だが、アネットの身体を強く強く、抱き締め返した。
…臆病者で卑怯者。
そんなアネットの息子がやってきたのは、数日の後。
不思議な事に、古くも広かった屋敷は、跡形も無かった。
ただ荒地が広がるのみ。
そしてその荒地は、市に公園として寄付された後だった。
しかし、だ。
奇妙な伝説がある。
ハロウィンの夜。その森に行くと、暖かな明かりが点された館があると言う。
ドアを叩けば、いかにも優しそうな老女が出迎えてくれると言う。
「ようこそ。そして、お帰りなさい」
彼女はこう言うそうだ。
その彼女の背後には、愛しい異形なる隣人たちが、貴方を待っている。
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