エピローグ
「あ! 先輩! 今までどこに行ってたんですか?」
真奈美はいつものカフェに髭面を見つけ、駆け寄るなり大声出した。
「おう新人。無事終わったみたいじゃないか。あ、もう新人じゃないかもな」
「こっちは大変だったんですからね。途中でほっぽり出して! おかげでどんな目に遭ったか」
「ん。先輩の愛の鞭だ」
「そんな物いりません! 先輩って……、むさくて、お調子者で、厳しいとこもあるけど……。仕事はちゃんとやる人だと思ってましたよ!」
真奈美の声は途中で涙声になる。
「最初のプログラマーさんが帰ってきたから良かったようなものの……。わたし……、一時はどうなる事かと……。こんな……、こんないい加減な人だと思いませんでした」
ついに泣き出す。
だが髭の男は悪びれる様子もなくコーヒーを飲んでいる。
その時、店の自動ドアが開き、まだ少年と言えるような若者が入ってくる。
「九条さん? 九条さんじゃないですか?」
少年は入るなり髭を見つけて駆け寄る。
「やっぱり九条さんだ。お久しぶりです。何やってるんですかこんなトコで」
髭の男は一瞬固まるような素振りを見せたが、おもむろにサングラスを外して声を裏返す。
「ダレノコトデス? ワタシニハワカリマセンガ……」
「そんな事するの九条さんだけですよ」
少年は感慨深げに近況を話す。
「もうすぐマスターアップなんです。メインシナリオデビューですよ。これも九条さんのおかげです。あ、早速女の子泣かせてるんですか? 髭剃ると、結構イケてますもんね」
違うよ、と髭は簡単に二人を紹介する。
「だいたいオレは既婚者だ」
「ええっ!? 九条さん、結婚してたんですか!?」
「なんなんだその反応は? こんな男が結婚できるはずがないみたいな反応か?」
「まさにその通りです」
お前なー、と言う男に笑って応え、
「あ、すぐ会社に戻らないといけないんで、これで。また今度ゆっくり」
この人と仕事ができるなんて羨ましいです、と真奈美に言い残し、少年は去って行った。
それを見送った真奈美はしばらく茫然と立ち尽くす。
「あっちこっちで苦情申し立てられてるんですか?」
「漢字違うよなそれ」
「ケッコンって、まさか男女がペアになる事じゃないですよね?」
「素直に『信じられない』と言えんのかお前は!」
「どうりでわたしの体を要求してこないと思ってました」
真奈美は小さく笑って席に腰を下ろす。
「アホか。ヘタすりゃ父と娘の年の差だぞ」
「でも、許してませんからね!」
「おう。許す必要はないな」
「もう少しで、プロジェクト潰れる所だったんですから」
「潰れなかったろ。ちゃんと完成した」
「ディレクターさんもあちこち走り回ってくれたんですよ」
「追加仕様そっちのけでな」
「……そうですけど」
真奈美はしばらく固まってしまう。
「あれ? もしかして……、その為に。ワザと?」
「メインのゲーム部分は出来てたんだ。オマケなんて誰でも作れる。だが、メインのゲームに手を入れたらあと一年はかかる」
下手をすればまた同じ事になる。
そうやって潰れた、または駄作になったゲームも数知れない。
あのディレクターは完成度や面白さを見てはいない。自分がどれだけ中心になったかでしか測らない。
嘘だと思うなら、平行して動いている他のプロジェクトを見てみるといい。
奴の「寄りたがり」は病気の域だ。しばらく不在だったんだから、必ず他のプロジェクトにも自分の手を入れているはずだと言う。
「ま。そういう奴には適当に手垢を付けられる場所を作ってやるんだ。でもゲーム本編に関係ない部分だと中々納得しない。だがそれ所じゃない状況ならどうだ?」
真奈美が慌てふためけば、大した事なくても大騒ぎに見える。大恐慌する現場を自分の力で収めたと満足しているだろう。
冷静になり、実はオマケしか作ってない事に気が付くのは発売後だ。
「でも、いいんですか? お給料も、最後のは出ないですよ?」
「オレは今回時給だからな。仕事した分は出るさ。それに元々はした金だろ」
「先輩は会社で悪者ですよ? スタッフロールの名前だって、一番最後に回されて……」
「お? 名前載ったのか? そりゃ思ったよりちゃんとしてるな」
髭の男は笑う。
「一番の功労者じゃないですか! 先輩がいなかったら、完成しなかったんですよ!」
「完成したじゃないか。お客はオレの名前なんかに興味はない」
「そんな。だって経歴にも響くじゃないですか!」
「連中にオレの経歴に傷をつける力があるというんなら、もっと他の所で発揮してほしいもんだがな」
「仕事だって、もうあいつには頼むなって、みんな言ってるんですよ」
「そりゃあ助かる。頼まれたら、断る理由探すのも一苦労なんだ」
「だって……、だって」
真奈美はまた泣き顔になる。
「これじゃ、まるでわたしの代わりじゃないですか……」
「オレは慣れてる。お前さんは最初だろ。情熱の炎がスレた大人のせいで消えるのを見るのは忍びない。あれは間違いなく、お前さんが作った、お前さんが面白いと思うゲームだ」
「わたしじゃないです……。これは、……先輩が」
「オレの方こそ大した事はしてないぞ。システムは使い回し。それを全く違う物のように見せているのはデザイナーだ。仕様書だって、オレは好き勝手な事を言ってただけで、書いたのはお前さんだろ」
真奈美は俯く。
「わたし……、これからも、あんな人達と仕事しなくちゃならないんですか?」
「そんな風に言うな。ゲームに限らず、作品ってのは一人じゃ作れないんだ。あれでも必要な人間だ」
出来もしない約束を取り付け、コケたら人のせいに出来ると割り切って予算をぶんどってきたり。
市場に溶け込んでリサーチし、時代にあった宣伝広告を打ったりは自分には逆立ちしてもできない。
それぞれ、自分にしかできない仕事を担っている。他人の人生を平気で踏みにじり、偉い人の前でプライドを捨てる。
そうまでして引っ張ってきた予算の使い方を、なぜ他人に委ねなければならないんだ、と言うのも正論には違いない。
恥も外聞もかなぐり捨てて奔走する人間がいるから、自分はツンと澄まして仕事をしていられるのだと言う。
「今回のオレと同じ事が出来る人間ならいくらでもいる。でも、今回オレを動かす事が出来たのは、多分お前さんだけだ」
そこは誇っていいと笑う。
「自分がどれだけ傷つこうが、世に送り出すゲームに傷をつけちゃいけない。ま、持論って言うより、オレの悪い癖なんだ」
「そんな……。悪いだなんて」
多くの人間が関わるゲームを面白くするのは本当に難しい。それが犠牲になるくらいで成されるなら安いもんだ、と笑う。
「先輩は……、バカですよ」
真奈美は目をこすりながら笑う。
「そこは頭がおかしいでいいんだよ」
ゲームに限らず作品と言うのは多くの犠牲の上に成り立っている。
細かく言えば安く使われるだの、何だかんだで仕事料が払われないだの、サービス残業して作った物が見もせずにボツになるだの、そういうものも含めればキリがない。
「前にもそれっぽい話をしたが、作品と言うのは一人で作った物が面白くなる」
そこには明確な意思が存在する。
少なくとも作った者は面白いと思っている。今の世間に受け入れられるかどうかは別としても、何が面白いのだと説明できるものになる。
「だがそれは人の意見を聞かない事や、世間の需要に合わせない事とは違う。その境界線がないから難しいんだな」
多くの駄作は他人の手が入る事で出来上がる。
違う思想を持った人間が、伝えるべき事を全て言葉にできないまま直させる。
形の違うピースがぴったりハマル事などないのだから、ガタガタでグラグラで、時にはポロッと落ちたりする。
だがそれが当たり前で、それを何とかするのが今の仕事だ。
ガタガタな事に目をつむる事ではない。
中には『これでいいんですか?』と確認に見せられ、実際には伝えた事と違うのに、揉めるのが嫌で『それでいいです』と言う。
発売後、ユーザーの反応が悪いと『本当はそうじゃないかった』と愚痴のように言うなど日常だ。
人間関係が良好である事も重要だが、本当にいい物を作る者達は現場でガンガン喧嘩しているもんだと髭の男は言う。
時には無茶苦茶を言ってでも押し通さなくてはならない事もある。
それが現場である事もあれば、金を出してくれるスポンサーである事もあるのだ。
「だが人間、金を手にして現場を動かせるようになると変わっちまうんだなぁ」
守る者が出来ると言っても、それが会社や家族ならいいが、大抵の場合それは自分のメンツや財産だ。多くの人間は途中で欲に目が眩んでしまう。
「だからオレは金も権力もいらない。純粋に面白さを追求したくてな」
良くも悪くもゲーム業界に生き残っている大者は必ずどこかイカレてる。できる事なら自分のようにはなるな、と髭の男は言う。
「もっとうまくやる方法を見つけ出して、オレに教えてくれ」
「そんな……、わたしなんかに。……そう言えばまだお礼してませんでしたね」
「いいよ、そんなもん」
そろそろ仕事に戻らなくては、と真奈美は礼を言って踵を返す。
立ち去ろうとする真奈美の背に髭は声をかけた。
「まあ、なんだな。それなら、いつかオレが仕事したくなるような企画を考えてくれればいい」
「はい。必ず」
真奈美は腰を折り、深々と頭を下げた。
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