解けた封印
「いかん!! 封印が解けてしまう!」
この神殿の大神官である老人が叫ぶ。
世界の崩壊とも思えるような地響きは、地下に封じられていた祭壇の壁に亀裂を走らせる。
正面の壁画だと思っていた一面の彫刻にもヒビが入り、破片がバラバラと床に散らばった。
その中央にある少年の像の表面が、卵の殻のように剥がれ落ちた。その下からは生きた皮膚が見える。
「伝承は……真実であったか!」
老人の呟きに、フォックスは手の中にある全てを見通す目、『タナトスの瞳』を茫然と見つめる。
姿を隠している妖精の居城、全ての企みの根源である妖精の長がいるという場所を探し出す為に必要な道具だと聞いて取りに来たのだが、強い魔力を持つこのアイテムは、獣魔を封印するのにも一役買っていたようだ。
取りあえず元の位置に戻してみたが、地響きが収まる事はない様だった。
「ここから出た方がいいんじゃない?」
地響きの中、ホーリーが叫ぶが、
「ならん! 今ここでこやつを再び封印しなくては……、この祭壇にはまだ魔を封じる力が残っておる。ここから外に出してはいかん! 世界が滅んでしまう」
剣で刺して死ぬ者がこんな所に封印されているはずもない、と思いながらも他に方法が思いつかず、仕方なく剣を構える。
「攻撃は効かん! 宝珠を使え! それを体内に打ち込むのだ」
祭壇に置いてある、手の中に収まるほどの大きさの白い珠か。よく見ると部屋にいくつか配置されている。
元々はこの宝珠の力で術式を作り、『タナトスの瞳』の力で増幅していたのだろう。祭壇が割れ、術式が壊れてしまっては簡単には戻せない。一か八か、宝珠を直接体内に入れてみろという事らしい。
動き出してからは無理でも、まだ縛られている今なら出来るかもしれない。
フォックスは剣を構え、突進する。石像の鳩尾に刃を突き立てた。
びしっと亀裂が入り、石像の殻が剥がれ落ちる。石なのは外側だけだ、中は肉の感触だった。
剣を引き抜いて、その穴に宝珠を埋め込めば……、と思った瞬間、石像の目が開かれた。
見えない力に弾かれたようにフォックスの体が飛ぶ。祭壇の角で腰を打ち、一回転して地面に落ちた。
苦痛に呻きながら顔を上げると、ビシビシと壁に亀裂が入って崩れ、獣魔の手足と部屋の隅とを繋ぐ鎖が現れるのが見えた。
魔力を帯びた鎖で雁字搦めにした後に壁に塗り込めたのだろう。壁は崩れたが鎖はまだ切れていない。
「早く! 宝珠を!」
動けないフォックスの叫びを聞いてホーリーが飛び出す。
バキンと獣魔の腕と壁を繋ぐ鎖が切れた。
真っ直ぐに獣魔に向かって突進するホーリーの体を横から呼びこんだシグマがタックルで押し倒した。
一瞬前までホーリーの頭があった場所で鎖が空を切る。
バキンとまた鎖が切れる音が響き、鎖が地面に落ちる。
枷で繋がれているのではなく、体に巻きつくように縛られていた獣魔の体から鎖は完全に落ちた。
獣魔は数度息をつくように体を揺らすと、数千年ぶりの解放の歓びに打ち奮えるように雄叫びを上げた。
胸に開いた穴は見る見るうちに塞がっていく。
「まずい……」
フォックスは剣を支えに立ち上がろうとしたが、剣は折れてしまっていた。
ホーリーは傷が塞がりきる前に、とロッドを突き入れようとしたが、獣魔は一瞬でその場を移動し、何もない空間に突き出しただけだった。
獣魔は体勢を立て直すと左手を大きく広げ、黒く大きく変貌した手から爪を出す。
首から顔にかけての左半分が、棘を敷き詰めたような鋭い毛を生やし始めた。
「いかん! 獣魔の姿に戻る前に何とかしなくては!」
「うう……」
ホーリーは果敢にも獣魔に向けてロッドを構えるが、胸の穴は塞がってしまっている。
あの爪はロッドを簡単に切断し、ホーリーの白い服を一瞬で真っ赤に染めるだろう。
すっ、と獣魔が動くとその爪がホーリーに届く前にバチッと弾かれる。
シグマが張っていた結界に触れたのだ。だが見た事もない技に驚いただけで防いだのではない。
すぐに爪を構え直そうとするが、その一瞬の隙にシルフィの風の魔法が巻き上げた鎖が獣魔の体に巻きついた。
シグマが念力で鎖の拘束を強くする。
鎖はそれ自体が魔法力を帯びており、巻き付いているだけでも効果があるが、先ほど引きちぎった事からそう長くは持たないだろう。
だが今しかない、とホーリーは獣魔に飛びつき、両手で牙の生えた口をこじ開ける。
皮膚が裂け、白い指から血が流れたが構わずに力を入れ続ける。
「ぐぐ」
顎の力が強い……、獣魔が鎖を切る事に力を使っていなければ、指が食い千切られるだろう。
シグマとシルフィも拘束に力を使う。
ぐぐっと獣魔の口が開くとその瞬間を逃さずホーリーが自身の口から宝珠を出し、人工呼吸をするように宝珠を飲み込ませた。
その瞬間、引き千切られた鎖と共にホーリーの体は弾かれる。
獣魔は膝をつき、変貌していた体は次第に人間の物に戻っていく。
「口移しするのはいいんですか?」
「しょうがないだろ、こいつが役に立たないんだから」
髭面の男が、地面から立てないフォックスを見下ろしながら言う。
「あれだけ腰を強打したら、しばらく立てませんよ。剣も折れちゃったし」
「この神殿に納められている新しい剣をここでもらう事になってるからな。剣はここで折れてもらわないと」
「もっと上に飛ばします? 祭壇飛び越えるくらいに」
「実際に飛ばされているのは剣だからな。獣魔は最初、外が見えてないから体に刺さった異物を敵と思って弾き飛ばしたんだ。だから剣は折れたんだ」
「そんな事、読んでる人分かるんですか?」
「分からなくていいんだよ。そういう目に見えない設定をちゃんと決めていると深みが出るんだ。一部分だけ深く考えても意味ないぞ。常にそういう姿勢でいる事に意味がある」
「でも最後の口移しで宝珠飲ませる所。普通飲みますかね。吐き出しません?」
「そうかー? 俺は飲んじまうけどな」
「そりゃ、あなたは若い女の子に口移しされたら飲むかもしれませんが、自分の運命がかかってるんですよ? せっかく自由になれた所なのに」
「それは人間の物差しで計るからだ。動物に錠剤飲ませる時はこんなもんだぞ」
「そうなんですか? でも、今は人間の姿だし。動物に薬飲ませる経験した人が少なかったら、伝わらないんだから意味ないじゃないですか」
「お、いい所に気が付いたな。その通りだ、いくら自分の中に理由を作れても大半の人が思い至らないんなら意味がない。批判されて、後から実はこれこれこういう意味だったんだ……と言い訳するほど恥ずかしい事はないぞ」
「それなら……」
「こういう時のもう一つの鉄則。それは『見栄えのする方をとれ』」
「はあ」
「演出を重視するんだ。どんなにリアリティがあっても見栄えしなけりゃシーンにする意味はない。カッコよければ全てよし」
「なんか調子がいいようにも聞こえますけど」
「そうだよ。それでいいんだ。ふらふら悩むより思い切りがいい方を選ぶ。ただし、後にどんなに酷評されようが、言い訳だけは絶対にするな。どんな説明もしちゃいけない」
「そうですね。それは分かる気がします」
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