髭の男再び
「あ~、怖かった~」
真奈美はカフェの席でコーヒーを前に汗を拭く。
「あのな。自殺するにも人に迷惑をかけるな。警察が来る前だったからよかったようなものの」
「たまたま先輩の姿が見えたから、思い留まる事が出来たんです。ありがとうございます」
「めっちゃ目がいいな。たまたまオレが来なかったらどうするつもりだったんだ」
「そりゃ、飛び降りてたかも……。え? それで、なぜそんな事してたか、ですか?」
「いや聞いてないよ。大方プロジェクトがうまくいってないんだろ」
「実はそうなんですよ。他のゲームを参考にしながら仕様書を作ってるんですけど。初めてなもんで、足りない物がいっぱい出てきて……」
直さなくてはいけないが、直したら直したでコロコロ仕様が変わるので信用できないと言われる。
それで作業者がストライキのように仕事をしなくなってしまった。
プログラマーは一昨日から会社に来ていない。
デザイナーも仕様が分からなければ仕事が出来ない。デザインは特に他のプロジェクトと並行に作業しているので、仕様のない仕事には着手しない。
気がつけば真奈美は一人ポツンと椅子に座っているだけで、時間だけが過ぎるようになっていた。
「わたしもう、どうしたらいいのか……」
と大量生産のおしぼりで顔を覆い、チーンと音を立てる。
「ま、あれだな。スケジュールが押してるから、なんだかんだで揉めて空中分解を狙っているんだな。プロジェクトが倒れりゃ、自分達に責任がないからな。よくある事だ」
「そんな~」
「お前さんが新人だから責任を押し付けやすいんだよ。ま、連帯責任制をとってないのは会社なんだ。結局は会社の損失だ。お前さんはどんと構えてりゃいい」
「ムリですよぅ~」
「責任感が強すぎんだよお前さんは。まあ、オレも同じタイプだから分かるけどな」
「先輩だったらどうするんです?」
「オレは自分で作っちまうよ」
ムリですぅ~、と泣きながら真奈美は髭男のおしぼりを取って顔に押し当てる。
「こんな仕事ってあるんですか? ゲームの制作現場って、もっと楽しいと思ってました」
「それは違うぞ新人。プロジェクトを引っ張って行くのはディレクター、つまりお前さんの仕事だ。お前さんがメンバーに、このプロジェクトがいかに面白いのか、いかに参加できる事に意味があるのかを説明できなきゃいけないんだ。現場の雰囲気を作るのもディレクターの仕事だぞ」
「そんな事言ったって……。わたしまだ新人なんですよ? ディレクターいないし」
「それは別に関係ない。その失踪してるディレクターに、それは教えられないからな」
むしろ居なくてラッキーだと他人事のようにコーヒーを飲む。
「うわぁ~ん。わたしを……捨てないでくださ~い」
「見捨て、だろ。ミをちゃんと発音しろ。めっちゃ人聞き悪いだろ」
「助けてくださいよぅ」
「オレは外注なんだよ。契約はもう終わってるんだ。オレは完全に部外者なんだよ」
「害虫だなんて。自分をそんな風に言わないでください」
「多分違う漢字で言ってるよなお前。そうじゃなくて元々オレは社員じゃないんだよ」
会社が立ち上がった時に契約社員として仕事をしたが、それが終わった後に抜けた。その縁で今回も仕事をしたがプロジェクト単位での契約だ。
だから幹部などの古株は知った顔が多い。
「アルバイトみたいなもんですか?」
「ま、まあ。そう思ってくれていい」
真奈美はしゅんとしてスティックシュガーを束で取る。
一気に封を切ると半分ほどになったコーヒーの中にザラザラと注ぐ。
どんだけ甘党なんだ、という面持ちの男に顔を向け、
「あの……、砂糖の致死量ってどのくらいですか?」
「知らねーよ! 調べた事ないわ。いや、でも調べとくか。なんかのネタに使えるかも」
砂糖の山を前に
「まあ、なんだ。アドバイスくらいはしてやれる。お前さん、概要書を書いてる時、楽しそうだったじゃないか」
「ぐす。……ええ、楽しかったです」
「その楽しさを伝えりゃいいんだ。いかにこのゲームを完成させたいのか、いかに楽しいゲームなのか。その熱意が相手に伝われば、何も言わなくても向こうから動いてくれる」
「そうなんですか?」
「そうだ。そういうのは新人の方が強いんだぞ。慣れると人はスレてくるからな」
真奈美は俯き、独り言のように呟く。
「わたし、ゲーム会社に入れて、ホント嬉しかったんです。子供の頃からゲームが好きで、でも親にはよく怒られて、そんなのが将来なんの役に立つんだって。でもゲーム会社に就職して、ゲーム好きも役に立つんだって両親も見直してくれて。嬉しくて。だから、絶対に成功させたいんです。ガッカリさせたくないんです」
「うん。いいんじゃないか」
「それに、概要書を作ってる時、とっても楽しかったんです。これがゲームを作る楽しさなんだって、分かったような気がしたんです」
「その調子だ」
「これが完成したら、もっと楽しいだろうって。そしてその楽しさを、もっと多くの人に知ってもらいたい」
「いいぞ」
「完成させて、もっと楽しいゲームを、どんどん作りたいんです」
「お? 更に先を見据えているんだな」
「そして、みんなを楽しい気持ちにして、戦争のない、平和な世の中を作りたいんです」
「ちょっと飛躍している気がするが、いいんじゃないか?」
「そして、幸せな結婚をして、子供を作って、その子供達もわたしの作ったゲームで遊んでほしいんです」
「なんか個人的な目標になった気はするが、意気込みとしてはいいんじゃないか?」
「あの……まだ、足りませんか?」
「え? あ、いや。いいんじゃないか? 後はそれを仕事をして欲しい相手の前でやればいい」
「だから、やってます」
「ん?」
「仕事をして欲しい人の前で、やってます!」
「いや。オレの契約はもう終わっててな」
「次の仕事は決まってるんですか?」
「いや。少し休むつもりだったからまだだが」
「じゃあ、新しく契約結べばいいじゃないですか」
「オレの仕事料知ってるのか? お前さんのプロジェクトで予算が下りるとは思えないけどな」
「だから、そこをわたしの熱意でカバーしてるんじゃないですか」
「そうだ。そういうのがディレクターには必要なんだ。それを教えたかったんだよ。うん、お前さんはもう大丈夫だ。じゃあしっかりな」
男が席を立とうとすると、真奈美は大声で泣く。
「わたしの事騙したんですかぁ~」
「だから人聞き悪いだろ」
「いいぞって言ってくれたじゃないですかぁ」
「意気込み自体はな。それをどう思うかは相手次第だ」
「あの人達にはムリですよぅ」
「オレはあの会社とはどちらかと言うと喧嘩別れなんだよ。理由はもうお前さんが感じてる通りだ。今回の仕事も背に腹は変えられないから渋々オレに泣きついてきたんだ。金がでなけりゃ、オレだってこんなトコに居たくない」
「結局お金が目当てだったんですね」
「オレだって生活があるからな」
「見損ないましたよ。先輩はゲームを愛してる熱い人だと思ってました」
「む」
「先輩だって、概要書作ってる時、楽しそうだったじゃないですか」
「まあ、そりゃな」
「それがダメになるかも知れないんですよ。作品は、自分の子供も同じじゃないんですか?」
「う」
「子供作るだけ作って、自分だけどっかいっちゃうなんて~」
「だから人聞きが悪いだろ!」
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