まだ見ぬ明日へ

草木も眠る丑三つ時

 オフィス街も静まり返る時間。

 ほとんどの建物は完全に施錠され、サーバーが稼働する音だけが支配する領域となる。

 警備の者も帰宅し、止むを得ず残業をする者だけがオートロックの扉を出る事を許される。

 とあるゲーム会社のフロアでも一昔前ならば明かりの点いた部屋がちらほらと残っていたが、今は照明もエアコンも落とされ必要最低限の電気しか使われていない。

 そんな真っ暗な部屋の真ん中に、ぽつんとモニターの明かりがかがり火のように灯っていた。

 エアコンの駆動音もしない部屋の中、カタカタとキーボードを叩く音が広いフロア全体に響き渡る。

 そしてモニターの明かりの裏側に位置する机の上に、愚図ぐずり泣く女の子の姿が浮かび上がっていた。


 彼女の名は飛鳥あすか 真奈美まなみ


 仙台出身でネイルやファッションよりも家でゲームをしている内向的な所はあるが、子供っぽいとも言える愛嬌のある性格で周囲とはうまくやってきた。

 人当たりは良い方ではあるが、他人との交流の多いネットゲームよりは、じっくりとストーリーを楽しむタイプのゲームを好む。

 4月に短大を卒業し、念願のゲーム会社に就職。

 小さい頃から自分に夢を与えてくれたゲームに恩返しができる。自分も素敵なゲームを作って、同じように若い世代にゲームの楽しさを伝えたい。

 新品のスーツに身を包み、夢と希望に満ち溢れて入社式を迎えた。

 チャームポイントは長い黒髪に少しボリュームのある体つき。


 そしてゲームに携わる仕事を始めて数か月。

 飛鳥 真奈美21才は今、真っ暗なオフィスの机に上り、天井から下げたロープの輪に首を通そうとしていた。

「ふえぇぇぇぇん」

 一頻り声を上げて泣いた後、目を落とすと先ほどから対面の席で熱心にキーボードを叩いていた男と一瞬目が合う。

 正しくは、顔を向けていたからそんな気がしただけだ。

 その男は暗いオフィスの中でモニターの明かりに照らされているが、サングラスをしている上にぼさぼさ髪に顎全体を覆うひげまである為、闇にほぼ溶け込んでいる。

「う、う、う、うう、うえぇぇぇぇん」

 先ほどよりも大きな声で泣く。

 目を落とすと同時に髭の男は顔を逸らした。

「う、うう、びええぇぇぇぇん」

 幼児のように咽び泣き、目を落とすと髭の男はもう真奈美の方を見ていなかった。

 真奈美はえぐえぐと鼻水を垂らして喘ぐと、一際大きい声で泣き始める。

「あのなー。オレは明日マスターなんだよ! そーゆー事は向こうでやってくれ」

 男は堪りかねたように声を上げる。

「何も聞かないでください~」

「何も聞いてねえよ! 今忙しいんだよ。何の為にこんな夜中に一人で詰めてると思ってんだ! 朝までにロムを焼けるトコまでもってかないとダメなんだよ! 時間がないんだよ!」

「わたしはもう命がありません」

 首にロープをかけて、机から片方の足を踏み出そうとする。

「おい、やめろ!」

「止めないでくださ~い」

「そうじゃない! 蛍光灯に紐引っかけて首が吊れるわけないだろ! 蛍光灯落ちるだろ! 危ないだろ! オレが迷惑なんだよ!」

 叫びながらもキーボードをカタカタと打つ。

 真奈美は観念したようにロープから手を放す。しかし机の上に乗ったままモニターの上に顔を乗せて髭の男の方を見る。

「めっちゃ気が散るんだが」

「マスターってなんですか?」

「お前ゲーム会社のディレクターじゃないのか!?」

「アシスタントです」

「今年の新卒か。その頃オレは缶詰してたから、朝礼とか挨拶回りを知らなかったんだな」

「そうですよね。こんな冷たい人がいたら覚えてますもんね」

「面白いゲームを世に届ける為にこんな頑張ってる奴捕まえて言うか。自分で言うのも何だがこんな熱い男はいないと思うんだが」

「まー暑苦しい事は確かです」

「髭を剃る暇もないんだよ!」

 マスターアップというのは要するに締切だ。

 その締切直前に上からデータの差し替えが言い渡されたが、蓋を開けてみれば枚数や使う場面など様々な違いが出てきた。

 それに合わせる為急きょプログラムの修正も必要になった。

 それでもロム焼きのスケジュールは代えられない。だからこんな夜中に一人で作業をしていると言う。

「ロム焼きってのは発売されるゲームと同じ形のDVDロムを作るって事だ。それが大量にコピーされて市場に売り出されるわけだが、今はロム形式のデータをインターネット経由で転送するだけで、ホントにロムを焼く機会はめっきり減ったがな。昔の名残りで今もそう言ってる」

「へえ~そうなんですね」

「お前さんもアシスタントならそのうちやるぞ。今のうちに知っておけ」

 真奈美はまた泣き顔になる。

「わたしは明日クビになるんです」

「その前に首を吊ろうとしてたのか?」

「そんなトコです」

「あのなー、命と仕事とどっちが大事なんだ」

「わたし新卒なんですよ! 両親だって就職するのを喜んでくれたんです! 友達だって、わたしの作ったゲームを遊ぶの楽しみにしてくれてたんですよ」

「そりゃそうだろうが、首を吊ったらもっと悲しむんじゃないのか?」

「そうですね。え? それで何があったのか、ですか?」

「いや、聞いてないから。さっきから言ってるがオレは忙しいんだ! こっちも仕事なんだよ」

「わたしと仕事とどっちが大事なんですか!?」

「その使い方ちょっとおかしいだろ。大体お前さん話聞いてほしいだけで全然死ぬ気ないだろ」

「分かりました。そんなに言うなら話します」

「いや、だから聞いてないって!」

 真奈美は少し前に始まった企画に途中から参加した。

 上長であるディレクターが仕切り、その補佐をしながら仕事を覚えていく手はずだった。

 ディレクターの伝手つてでシナリオを発注し、その上がりを見てどんなゲームにするかを設計してから開発を始める。

 真奈美が参加した時には発注は終わっていたので、その回収が仕事だが、まだ右も左も分からない時期なので実質ディレクターがやり、真奈美はプロデューサーとの間を取り持つ役目だった。

 要は最高責任者であるプロデューサーが、定期的に「今どんな状況だ」と真奈美に対して確認をする。

 真奈美はディレクターにそのまま伝え、「今ライターが執筆中だ」と答えをもらいプロデューサーに返答する。

 ディレクターは複数のプロジェクトを掛け持っていたりするので会議に出られない事も多い。その時に真奈美が代わりに近況を報告する。

 シナリオ執筆に遅れがあり、「どうなってるんだ?」と企画会議の雲行きが怪しくなり、ディレクターは「ライターに確認したら、後一週間でできるそうだ」と言ったのが二週間前。

 一週間前にも同じ事を言い、昨日もまた同じ事を言った。

 さすがに「このままでは開発の期間が取れないだろ」と現場が青くなり始める。全体のスケジュールは決まっていてそれを割ると予算が下りない。

 そして最後に作業をしているのは開発陣なのだから、開始が遅れれば当然終了が遅れる。そういう時は最後に作業をする者にシワ寄せが行く。つまりプログラマーが怒るわけだ。

 だからどういう事なのか納得のいく説明をしろという現場の言葉をディレクターに伝えた所、直接先方に確認してくれと連絡先を渡された。

 しかし渡された連絡先はライターではなく、ライターを紹介してくれる人のもの。契約上、直接ライターに仕事を発注する事はできないとの事だった。

 仲介人に状況を確認してみた所、やりたいという話は聞いたが、やるという話は聞いていないから何もしていない、と言うのだ。

 契約書はもちろん、スケジュールもどんな物を書けばいいのかの資料も貰ってないのに書けるわけはないと言われて真奈美は立ち尽くすしかなかった。

 その旨をディレクターに伝えると、当人は海外出張に出てしまった。一か月は戻らない。

 そのまま会議に出てあたふたするしかない真奈美に、皆は「お前が何を言ってるのかサッパリ分からない。とにかく明日完成したシナリオを持って来い。なければプロジェクトは終わりだ」と会議は終了した。

 責任はディレクターにある事になるが、不在なら現行それは真奈美の事を指す。

「わたしもう、どうしたらいいのか……」

 と両手で顔を覆って泣き伏せる。

「どうしたらも何も、何もできんだろ。結局そのディレクターは追っかけ、つまり進捗出来具合の確認を全然やらずに適当に返事してたんだな。そうは言ってもお前さんに責任の負わせようもないんだ。気にする事もない」

 髭の男はカタカタとキーボードを打ちながらしれっと答える。

「そんな~。他人事だと思って~。ひどい」

「いや、実際他人事だろ。オレに関係ないんだし。なんで他所よそのプロジェクトの不手際で、オレの仕事まで遅れなきゃならんのだ」

「やっぱり死にますっ!」

 真奈美は机の上の万年筆を取り、自分の喉元に突き刺そうとする。

「おい! やめろ!」

 男はその手を掴み、万年筆を取り上げようとするが、今度は本気で刺そうとしているようで結構な力が入り、取っ組み合い状態となる。

「お願い! 止めないで。わたしの事はほっといて!」

「そうじゃない! オレの万年筆だそれは。事故物件になっちゃうだろ。小説賞取った時の記念品なんだよ! 大事にしてるんだ。頼むから死ぬなら他所よそでやってくれ」

 一応男の力が勝り、万年筆を取り上げる。

 真奈美は力なく机の上で泣き伏せた。

「わたし、……どうなっちゃうんですか?」

「どうにもならんよ。ただ会議で吊し上げられて、責められて、以後ネチネチと言われ続けて、評価に響くだけだ」

 うわー、とこれまで以上の泣き声を上げる真奈美に、男は耳を塞ぐ。

 だが塞ぐのは片方で、右手では尚もキーボードを叩き続けていた。

「まあ、最初の仕事がそんな事になるのは残念だろうけどな。そのディレクター、そういう時に責任を押し付ける為の駒にお前さんを採用したんだろ。プロデューサーに媚びへつらうスキルに特化したような奴だ。周りの奴らも同じだよ。ディレクターに意見する度胸がないからお前さんに転嫁してるんだ」

 これで真奈美が辞めるならしめたもの。いなくなった人間は反論しない。社内の歴史では「とんだハズレを雇っちゃったなぁ」事件として過ぎ去るだけだ。

「人の人生なんだと思ってるんですか」

「オレに言わせればその程度の事は日常的に行われてるぞ。別にこの会社だけがおかしいわけじゃない。ありもしないスキャンダルで表舞台を去って行った芸能人、作家が何人いる? 『消費者の力を見よ』という僅かな満足感を得る為に仕事生命を潰されるんだ。お前さんはついこの間まで、その世界を作る人間の一人だったんじゃないのか?」

「わたしそんな事してません」

「その中にいて何もしない事は加害している事と同じだ。今の学校はそう教えてないのか?」

「そんなの、わたし一人じゃどうにもできないし……」

「明日は我が身と言う言葉を知らないんだな、今の連中は。自分は関係ないと思っている。関係しなくても生きていける社会を誰が作ったと思ってるんだか」

「そんな事言ったって……」

「ここは未だに弱肉強食の風習が残ってる世界だ。弱い者は餌になるだけだ。それで言うならお前さんの死んでやる選択肢は一番有効だな」

 自殺者が出れば事件になり会社も打撃を被る。そうすれば責任の転嫁も何もない。

 これまではその程度で死ぬ者はいなかったが、最近の若者は本当にちょっとした事で死んだりする。

「だがオレに言わせればそれこそ『人の気持ちを何だと思ってるんだ』という行為だがな。死んで自分はこの世とオサラバして終わりで、会社にも一矢報いてそれでいいかもしれんが、残された友達や家族の気持ちはどうなるんだ」

 真奈美は何も言わず俯く。

「もっともそういう事を考えられなくなった状態の事を鬱と言うんだから仕方ないが、オレはそんな状態で社会に送り出す親の方が恐ろしいぞ」

 人間は突然自殺しない。SOSはあったはず。それを気に留めない環境が既に問題だ。

 守られて、保証される事に慣れ過ぎて、社会にはまだ戦場が残っている事を知らない。

 ゲーム会社に限らず中小企業の上役は、本当に人の屍を越えてきた者も少なくない。

 人が死んで世間が騒いでも「この方法はもう有用ではない。次の方法を考えよう」程度の悩みでしかない。世間から叩かれて業績が危うくなるなどむしろ日常茶飯事だ。

 いざとなれば責任を押し付ける役を立て、会社を潰して別ブランドを立ち上げるだけだ。

 死んで報復、死んだ後の責任追及など、本当に無意味。本当に報復すべき相手は痛くも痒くもない。

「だから死んだらアカン。死んだらアカンのやで」

 キーボードを叩きながら、なぜか関西弁口調になる男に真奈美は口を尖らせる。

「わたしはどうすればいいんですか?」

「言ったろう。気にするな。堂々としていればいいんだ」

「そんな事できるわけないじゃないですか」

「そのディレクターだってそれを越えたからここにいるんだ。そういう図太い神経だからディレクターやってるんだ。他人の人生を踏みにじり、偉い人の前ではプライドを捨てる。それができるから今の地位にいるんだ」

「わたしには無理ですよぅ」

「ここにいる人間は皆多かれ少なかれそういう目に遭ってきてる。生き残り方は大きく2パターンだ。人のせいにする事に長けるか、何とかしてしまうスキルを身につけるかだ」

「先輩は、どちらのパターンなんです?」

「オレは何とかしてしまったクチだ。オレの場合はライターが途中で逃げてしまったがな。だからオレが自分で続きを書いた」

「ああ。小説賞の記念品」

「オレはたまたまそういう経験があったからな。大体ライターが逃げて完成しないのがプログラマーのせいになるってのはおかしいだろ。結局連中はグルなんだよ。だからおかしい事を指摘したり、こうなった原因を突き詰める事に何の意味もない」

「え? 先輩プログラマーなんですか?」

「さっきからキーボード打ってるだろ。文章書きながらこんな会話ができるか」

「器用だなーとは思ってましたけど」

「今やってるのは単純作業だからな。話しながらでもできる。昼間は人の話聞いてないみたいだからやらないけど」

「ええ、随分失礼な人だなーって」

「だからオレは明日マスターだって言ってるだろ。今メチャメチャ忙しいんだよ。分かったらさっさと行ってくれ」

「分かりました。お騒がせしてすみませんでした。……それで、あの……、どのくらいで終わります?」

「なにが?」

「先輩のお仕事です」

「……まあ、夜が明けるくらいには終わらせるけどな」

「よかったー。じゃその頃にまた来ます」

「ちょっと待て、どういう意味だそりゃ」

「だって、わたしに堂々としてるのは無理だから、ここは何とかする方向しかないかなーって」

「それが、オレの終わり時間と何の関係があるんだ?」

「だって先輩。小説賞取ったんでしょう? だから始業までにシナリオ書いて貰えれば何とかなるかなーって」

「どこの世界に一時間程度でシナリオ一本書ける奴がいるんだ!」

「それはそれ、苦境を逆境に変える先輩のお力で何とか」

「逆境になっちゃ意味ないだろ。分かった分かった、後で話くらい聞いてやるからとにかく今は行ってくれ」

 男はしっしっと手を振り、真奈美は頬を膨らませながらも退室する。

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