翌日昼休み
「この印刷にはタイトルが書いてないが、何てタイトルだ」
「ああ。ファンタジー物語です。…………仮ですよ、仮名」
「ん、ああ。そうか。もう候補はあるのか?」
「うーん、まだ特にないんです」
「俺の経験上、タイトルがパッと思いつく作品はまず完成する。そしてそれは面白い。まあ好みや時代が受け付けないとかはあるけどな」
「なぜなんです?」
「タイトルがすぐ思いつくとか、もう思いついてるってのは、その作品の全体像が既に自分の中に出来てるって事だ。だから適切なタイトルがすぐ浮かぶんだ」
「はあ、なるほどー」
「自分の中で完成してりゃ、後は引っ張り出すだけだからな。もちろん、すぐ思いつかなきゃ面白くないわけじゃないが。あと誤植も直せ、多すぎるぞ」
「そうですか? 何度も見返したんですけど」
「誤植ってのは自分では探せない。必ず誰かに見てもらえ。人間の脳は毎度文章を読んでいるわけじゃない、自分では字を読んでるつもりでも実際には『こう書いたはず』という記憶を呼び出しているだけだ。その優れた脳の機能は誤植を見つけるのには向いてないんだ」
「でも家族は読んでくれないし……」
「誰もいないなら時間をおいてから読み返してみるんだ。時間もないなら、そうだな。そういうソフトもある。『誤植フィルター』で検索するといい。それで大分減る」
「へええ、そんなのもあるんですね」
「誤植なんてものは編集、出版の前にチェックされるが、それは自分で確認しなくていい事とは違う。例えば俺、プログラマーは営業や接客と違って、服装や受け答えは重要じゃないが、面接から服装がダメだわ、受け答えできないわでは採用されない。運よく度胸の座った奴と解釈してくれる審査員に当たればいいが、運で通すつもりなのか?」
「うう、そうですね」
「誤植だけじゃない。『確信犯』って言葉も使ってるな。ファンタジーに適切な言葉かってのもあるが、意味は知ってるのか?」
「悪いと分かっててやる事ですよね」
「正しくは違う。政治的な確信に基づいてなされる犯罪、簡単に言えば法に触れると分かっていても、自分は正しいと思ってやる犯罪だ」
「そうなんですか? テレビでも使ってましたよ」
「誤用も広まれば認められるから、今は載ってる辞書もあるけどな」
「じゃあ、別にいいんでしょう?」
「別な言葉にすればいいだけものを、わざわざ使ってるのは、俺なら『こいつは素人だ』と思うけどな。実際知らなかったんだろ? 法律家だったら大変な事になってる所だ」
「法律家じゃないし……」
「作家は言葉の専門家だぞ」
「でも僕はまだ、プロじゃないし……」
「じゃあ、いつまでに覚えるつもりだったんだ」
「いや、それは……」
「間違うのはいい。そういう事もあるさ。ただ間違いだと知ったなら使わないようにする事だ。これを間違ってないと言い張っても何にもならないぞ。なぜなら、お前さんが間違ってるのは、多分これだけじゃないからだ」
「そ、そりゃ、そうですけど。じゃあ作家はみんな学者並みなんですか?」
「そうじゃない、大事なのは間違わないように対策を立てる事だ。立てるのがプロ、立てないのが素人だ。『間違わないよう気を付ける』なんて何もしてないのと同じだぞ。……でもまあ俺の経験上、誤植の少ないシナリオは面白さもない場合が多いがな」
「そうなんですか?」
「内容の酷いシナリオが納品されても、ディレクターも素人だとリテイクも出せない。客としての視点から面白くない事は分かってもどう指摘したらいいかが分からないからだ」
「な、なるほど」
「そういう時に誤植を指摘するのは常套手段だ。誤植を沢山指摘して、その中に要望を混ぜるわけだ。だから面白さを出せないライターは必然的に誤植を無くす方向に鍛えられる。内容が面白ければ、誤植なんて誰が直したっていいわけだからな」
「え、でも……それなら」
「言ったろう。直さなくていいわけじゃない。面白くて、誤植が無い方がいいに決まってるだろ。あえて誤植を直さない事で自分を天才だと思いこもうとするなんて、愚かにも程があるだろ」
「そうですね……、教えてもらったツールは最低限通すようにします。でも九条さん、なんでそんなに詳しいんですか? プログラマーなんでしょ?」
「俺の時代には、一人で全部やったり、兼用したりするのが普通だったからな。作曲と社長以外は一通りやったぞ。そういう『兼ねる人』を賢者にかけて兼者とか呼んだもんだよ」
「へぇ、すごいですね」
「実は本も出してる。ライトノベルだがな」
「ホントですか? 何て本です」
「『クリームゾーン』ってタイトルだ」
「ペンネームですか? なんていう名前です?」
「よせよ。まあ、本名が一文字入ってるとだけ言っとこう」
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