第2話 なんなんだ、これは…… (Side:ユージーン)

(Side:ユージーン)


「なんなんだ、これは……。私が考えていたのと全く違うではないか……」


 勘違いしてのぼせ上がっているだろう元平民に、自分の立場という物をしっかり分からせ、夫婦の主導権を握っておこうと思ったのに……。


 本日花嫁を迎え入れたばかりのハミルトン伯爵邸の夫婦の寝室。


 侍女達の手によって今日という日に相応しくセッティングされたこの部屋で、邸の主人であるはずのユージーン・ハミルトンが、何故か一人一人ブツブツと文句を言っていた。


『それではアナタ、細かいお話はまた明日ゆっくりしましょう。流石に今日は緊張したから、私もう眠くって……ふわぁ……。じゃあ、おやすみなさーい』


 そう言うと新妻は踊り出しそうな足取りで、夫婦の寝室と続き部屋になっている自室へと消えて行った。

 猫をかぶるのはもうすっかり辞めたらしい。


 寝室には、呆気に取られ無様に椅子の下に尻餅をついているユージーンだけが残されていた。


 初夜の寝室に一人残されるなんて屈辱以外の何物でもない。本来ならばこの屈辱を味わうのはあっちだったはずなのに……。


 アナスタシア・フォン・フェアファンビル


 今日私の妻となったフェアファンビル公爵家の令嬢だ。


 いや、もうハミルトン家に嫁いで来たわけだから、アナスタシア・ハミルトンか……。


 フェアファンビル公爵家と言えば、我がフェアランブル王国の筆頭公爵家で、その家名からも分かる様に元は王家と一つだった名門中の名門貴族。その令嬢ともなれば王女に次ぐ高貴な身分だ。

 

 ……本来であれば。


 アナスタシアは養女なのだ。

 それもこの縁組の為にわざわざ探し出して来たという平民育ちの女だ。


 もっとも、公爵家の血筋である事は間違いない。アナスタシアの父親は前公爵の歳の離れた弟で、下級貴族の娘と許されない恋に落ち、駆け落ちしたのだそうだ。


 筆頭公爵家の醜聞は、当時それはそれは世間を騒がせたらしい。

 そしてそれは押しも押されぬ公爵家の、盤石な地盤までをも揺るがせた。


 当時の公爵(アナスタシアから見れば祖父にあたる)の怒りは凄まじかったらしいがそれも当然だろう。


 本来であればそんな醜聞を引き起こした人間の娘を公爵家に戻すなど、煮湯を飲まされる様な思いだったに違いない。


 しかし、その思いを押し殺してでもそれをしなければならなかった理由。


 それこそが、実はこの婚姻である。


 私は当事者であるにも関わらず、この婚姻の裏について詳しくは知らされていない。

 ……が、大方の予想は付く。


 件の駆け落ち事件以降地盤が弛んだフェアファンビル公爵家が、ハミルトン伯爵家の潤沢な資源に恵まれた領地に目を付けていた事は知っている。

 奇しくも両家の領地は隣合っているのだ。


 恐らくフェアファンビル公爵家から、ハミルトン伯爵家に資金援助ないし業務提携の申し入れがあったのだろう。


 そして、お祖父様は婚姻を結ぶ事を条件にそれを受けた……。


 公爵家と縁を繋ぐ事などそうそう出来るものでは無いから、この好機を逃すまいとしたお祖父様の気持ちは分かる。


 当時我がハミルトン家も、代替わりしたばかりの私が若過ぎるとして周囲から侮られがちだったのだ。

 公爵家の後ろ盾が得られるなど渡りに舟で、まさにこの婚姻は両者にとって利のある物となるはずだった。


 問題はここからだ。


 現フェアファンビル公爵には溺愛している娘、クリスティーナがいる。

 わざわざアナスタシアを連れ戻さなくても、クリスティーナを伯爵家に嫁がせればそれで済む話だったのだ。


 しかも公爵家には嫡男のアレクサンダーもいるのだから、クリスティーナが婿を取って家を継ぐという訳でもない。


 ……にも関わらず、わざわざこんな因縁付きのアナスタシアを引き取ったのは何故か?


 答えは簡単、クリスティーナ本人の考えか公爵の考えなのかは分からないが、こんな格下の伯爵家に嫁ぐのはそこまでしてでも嫌だったという事だろう。


 チッと舌打ちをすると、広いベッドに寝転がる。


 祖父には自身の意思を無視され、公爵家にはコケにされたという思いが消えない。


 伯爵家の嫡男として生を受けた以上、いつかは家の為になる縁談をしなければならないというのは分かっていた。

 

しかし、それにしたってこんなのはあんまりだ。


 心の中で澱の様に溜まっていた鬱憤を、今日ああいった形でアナスタシアにぶつけてしまったのだ。


 考えれば考える程イライラするし、悶々としてとてもではないが寝られそうもない。


「……それにしても、生意気な女だったな……」


 やはり平民育ちと言うべきか、貞淑さが全く感じられない。


 こうなると思ったからこの婚姻に反対だったのだ。


 今からでも公爵家に文句を言いたい所だが、そこは腐っても筆頭公爵家。一度結んだ婚姻にケチを付けよう物なら、恐らく潰されるのはこちらの方だ。


 だから、クリスティーナではなくアナスタシアを嫁がせると言われた時に、お祖父様がハッキリと断れば良かったのに……。


「はあぁー…………」


 もはや溜め息しか出て来ない。


 自室に戻って寝ようかとも思ったが、ここでスゴスゴ戻っては何だか自分が負けたみたいで癪に触った。


 ベッドで一人ゴロゴロ転がっていると、先程のアナスタシアの言葉が蘇ってくる。


『……何故一方的にご自身だけが我慢しているとお思いですの?』


『嬉しいか嬉しくないかで問われれば、別に嬉しくもございません』


 まさかあんな事を言われるとは思わなかった。


 これでもユージーンはかなりモテる。夜会ではいつも令嬢に囲まれて困る程だ。


 今回の縁談が決まった時も、相手がフェアファンビル公爵家では表立って文句も言えないものの、陰では令嬢達が相当憤っていたと聞く。


 クリスティーナが嫁ぐなら仕方ない……どころか、フェアファンビル家との縁組だなんて、さすがユージーン様!と持て囃されていた所、蓋を開ければ顔合わせに連れて来られたのはアナスタシアだったと言う訳だ。

 私との縁組を願っていた令嬢達にとっても腹立たしい出来事だったに違いない。


 顔合わせの時見たアナスタシアは、地味で大人しい特に印象にも残らない女だった。


 これで金色の髪と翠色の瞳をしていなければ、公爵家の血族だなどとてもではないが信じられなかっただろう。


 いくら相手がフェアファンビル公爵家とはいえ、元々は相手がこちらに資金援助を求めた見返りとしての婚姻なのだ。

 うちの立場が弱い訳では決して無い。


 お祖父様はきっと断って下さるだろう。


 そう思っていたのに、彼はいともあっさりとアナスタシアが嫁ぐ事に同意した。


 ユージーンの悪友達はそれはそれは盛り上がった。


 こと女性関係において、ユージーンには何かと悔しい思いをさせられていたのだ。


 遂には国内でも王女に次ぐ高貴な女性、社交界の華クリスティーナを娶るらしいと聞いた日には内心歯噛みしていたというのに、それがまさかの平民女とチェンジである。


『いやぁ、羨ましいな! ユージーン! あのフェアファンビル公爵家と縁が結べるなんて』

『ほんとほんと、その恩恵を考えれば、平民……ぶっくすくす……平民育ちの女と結婚する位、どうってことないよな……? ……ぶはっ!!』

『おいおい、笑ってやるなよ。いやーしかし俺には無理だなー。いくらフェアファンビルの血筋とはいえ、育ちは平民なんだろう? 流石女にモテモテのユージーン様はお優しい!』

『いいか? いくらお優しいユージーン様とはいえ、平民女を付け上がらせ無い様に気を付けろよ? 女には躾が必要なんだよ。最初が肝心だからな?』

『そうそう! 初夜にバーンとぶちかましてやれよ! いやーユージーンの武勇伝を聞くのが今から楽しみだなぁ! ハッハッハ!!』


 ……思い出すだけでゲンナリする。


 あの時はお祖父様に対する腹立たしさもあり、一緒になって『よし! やってやろう!!』なんて騒いでいたが、今思えばあれは完全に馬鹿にされていた。


 次にアイツらに会ったら何を言えばいいのか、そもそもこの状況をどう収集付ければいいのか、あんな女とこれから生活していけるのか……


「……もう、寝る……」


 私は思考を放棄してベッドの中に潜り込んだ。

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