第38話 自分に出来る事を
私がサロンの一角で早速辞典と睨めっこをしている間も、使用人達はテキパキとそれぞれの仕事をこなしていく。
やはりドレスを仕立てるのが1番の急務な様で、既に何人もの使用人が手分けして数件の仕立て屋へ向かって行った。
「ねぇマリー、やはりドレスを仕立てるというのは大変な事なのかしら?」
「そうですね。王都の人気の仕立て屋だと数年待ちも珍しくないですよ! ドレス一着の仕立てにも数ヶ月はかかりますし。貴族女性にとって、より美しく豪華なドレスを着る事が権威の象徴にもなりますからね。各家こぞってドレスを仕立てるのはその為です」
「そう……私一人の問題では無いのね」
正直、私個人にドレスに対するこだわりは無い。
確かに綺麗なドレスを見ればときめくし、少女時代には貴族のお姫様が着る様なドレスに憧れもした。
しかしながら実際私が目にした貴族社会はそんな美しさとは正反対の、魑魅魍魎が跋扈するドロッドロの汚泥の様な世界だった。
そんなドロッドロの汚泥に生息する有象無象が競う様にドレスを着たって美しく見える訳がない。
いつしか、綺麗なはずのドレスまで色褪せて見える様になってしまったのだ。
「……普通はきっと、自分の為のドレスを仕立てるなんて心が浮き立つ物なんでしょうね」
「浮き立たないのか?」
思わずポツリと呟いてしまった独り言に返事が返って来て、座っていた椅子から少し飛び上がるくらい驚いた。
心じゃなくて尻が浮いたわ!!
「こんな形で仕立てる事になったのは残念だが、まぁその、こ、婚姻を結んでから初めてのドレスだからな! 時間は無いが、予算には糸目を付けなくとも好きなドレスを作って良いぞ?」
何故か力説する旦那様。
何故に旦那様が私のドレスにそんなに力を……?
ああ、そうか! さっきマリーも豪華なドレスを着る事が権威の象徴にもなるって言ってたもんね。
国有数の資産家、宝石鉱山持ちのハミルトン伯爵夫人が新婚早々みっともないドレスなんて着てたら、面子が丸潰れだからだわ。
そうと分かれば、私もドレスのお披露目に協力しなければ。ビジネスパートナーとして、伯爵夫人の仕事はしっかりこなして見せますわ!
「安心して下さい、旦那様。私はドレスには詳しくありませんので直接仕立てに関わる事は出来ませんが、しっかりと伯爵夫人に相応しいドレスを仕立てて頂き、バッチリ着こなして見せますわ!」
「お、おお……?」
ミシェルからの論文には、夜会でドレスを纏った状態で美しい姿勢をキープするのは中々に大変なので、これから筋トレにも励めと書いてあった。
貴族令嬢、実は影の努力が凄いな。
そうだ! 勉強する時はこっちの辞典に書いてあった座りながらでも出来るお勧めの筋トレ、『足を床から2インチ離してキープ』を並行しよう。時間は有効活用せねば!
再び辞典と睨めっこしながら、今度は足を床から離して筋トレも兼ねる私。今度は心じゃなくて足が浮いちゃったな。
旦那様は今度はプルプルし始めた私を見て不思議そうにしていたが、マーカスに呼ばれて離れて行った。
旦那様もお仕事頑張って下さいね!
それから少し時間がたち、私の目がシパシパして腹筋が限界を迎えた頃、1人の使用人がパタパタとサロンに駆け込んで来た。
「伯爵様! 仕立て屋の予約が取れましたわ! ソフィア様のドレスを何度も仕立てたことのある、経験豊富な仕立て屋です」
「おおっ! やったな!」
「時間が無いので、直ぐにでもデザインの打ち合わせに入りたいと。ならば邸での打ち合わせにそのまま合流して貰おうと、仕立て屋の主人と職人、専属のデザイナーの3人をそのまま連れて参りましたわ」
仕事早いな! 仕事の打診に行ってそのまま職人連れて帰って来るとか、今の状況は余程時間が無いんだな……。
「そうか、ではドレスのデザインの打ち合わせを直ぐに始めよう。場所は客間で良いな。ダリア! 頼んだぞ」
「お任せ下さい、伯爵様」
ダリアがその場にいた数人の使用人と共にサロンから出て行く。手には私の物と同じ位分厚い論文を抱えていた。恐らくミシェルの書だ。
「まぁ、ドレスの仕立ての指揮はダリアが執っているのね」
「ダリアさんは王都の流行にも詳しいですし、センス抜群ですからね。適任だと思います! ご実家の子爵家は化粧品で人気の商会をお持ちですから、そういった情報に詳しいんです」
なるほど。確かにダリアの私服はいつも洗練されている。
「残念ながら私では、ドレスに関してはお役に立てそうにありません……」
マリーがショボンという効果音が聞こえそうな程肩を落としているが、こういうのは適材適所で良いと思う。
マリーにはマリーの良さがあるし、ダリアにはダリアの良さがある。
むしろこんなにタイプの違う2人の侍女に恵まれた私は幸運だ。
「いいのよ、マリーには他に活躍して欲しい事があるの。こういうのは適材適所でいきましょう!」
「他に活躍して欲しい事……ですか?」
「ええ。こうなった以上、私は伯爵夫人として仕立て屋さんや関係業者の方に会わないといけないでしょう? 覚える事も山積みだし、とても残念だけれど、今までの様に街に行く事が出来なくなると思うの」
もう既に邸に来ているという仕立て屋達に関しては、その人達が町娘アナと面識が無い人間である事を願うしかない。
そして、これから伯爵夫人として人前に出る事が増えるならば、町娘アナは大人しくしていなければいけないのだ。
「折角色々いい感じに進んでいたのに、ここで止めたくないわ。だからマリーにお願い。私の代わりに街でして欲しい事があるの」
マリーは目を輝かせるとコクコクと頷く。
「お任せ下さい! 奥様!」
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