第37話 夜会に向けて

 私とマリーが支度を整えてサロンへ向かうと、既に着替えた旦那様が邸の使用人達に囲まれていた。


 旦那様は最近はあまり領地に帰っていないと言っていたから、恐らく久し振りであろう当主の帰還に古株の使用人達が喜ぶのも無理はない。


 マーカスの話だと旦那様は幼少期の長い期間を領地で過ごしたそうなので、その頃を知る使用人達にとってはやはり旦那様は『大事な坊ちゃま』なのだろう。


 私に気が付いた旦那様は、使用人達に一言二言何か伝えるとこちらへ向かって来た。

 側まで来ると、私の顔をまじまじと見つめながら言う。


「凄いな。もう元通りの色に戻っている。さっきのが魔石を使った変装なのか?」


 ああ、私の髪と目の色が元に戻っている事に驚いたのか。


 今回のお忍びで使っていたあの魔石は、マリーが街の専門店で買い求めて来てくれた物だ。


 髪や瞳の色を変えたいというのは割と多い要望らしく、手に入れるのはそれほど難しくなかったらしい。


 ただ、今回の魔石は以前私が使っていたものとは違い、体から離すとすぐに元に戻ってしまう。


 聞けば、むしろ以前の物の様に体から離しても一定時間効力を保てる魔石の方がよほど貴重なんだとか。


 そんな貴重な魔石を叩き割った公爵家の私設騎士団、許すまじ。


 私がそれらの事を掻い摘んで説明すると、旦那様は感心した様に頷いた。


「なるほど。アナの両親はそう簡単にアナの正体が漏れない様に、そのような貴重な魔石を使ったのだろうな」


 確かに、一瞬ペンダントが外れただけでいちいち髪色が変わっていたら私の正体はもっと早くに露見していただろう。お風呂の時とか外してたし。


 そんな貴重な魔石なら手に入れるのも大変だっただろうに、あの魔石には私が思った以上に両親の想いが込められていたのかもしれない。


 ——公爵家、マジ許さん。


 公爵家への怒りを再確認した所で、旦那様に本題を尋ねる。


「旦那様、魔石の話はこれ位にして、何があったのかご説明頂けますか?」

「ああ、先程使用人達にも簡単に説明したのだが、とりあえずこれを見てくれ」


 旦那様が差し出したのは、絢爛豪華な封筒に入れられたゴージャスな招待状だった。ご丁寧に宛名に私の名前もある。


 こういった招待状は普通その『家』へ向けて送るものなので、個人を指定して招待して来るのにはそれなりの訳があるのだが、今回の場合は目的は言わずもがなだろう。


 通り一遍の内容しか書いてないだろうと思いつつも招待状を読み進める私の目に、『我が友、アレクサンダー・フォン・フェアファンビルの帰国を祝い…』という一節が入って来た。


 ——アレクサンダーお義兄様が帰国するのか!!


 招待状を読んでいた私の目が輝く。


 アレクサンダーお義兄様は、フェアファンビル公爵家で唯一私に優しくしてくれた人だ。


 私が公爵家に引き取られた時にはお義兄様は既に隣国に留学していたので、直接会った事があるのはたったの3回。それでも何かあれば自分を頼れと言って連絡先を渡して下さったのだ。


 あの頃の私は人の優しさに飢えていたので非常に嬉しかった。


 まぁ結局私の書いた手紙は一切届いていない様だったし(直接お会いした時に確認したら、お義兄様は手紙の存在すら知らなかった)、途中からは厳しく叱責され手紙を書く事も許されなくなったのだが。


 最後に会ったのは確か伯爵家に嫁ぐ半年も前で、そこからは音信不通だ。


「……何か喜ぶ様な要素があったか? 夜会に憧れでもあったのか?」


 旦那様が不思議そうに首を傾げている。


「いえ、そういう訳では無いのです。アレクサンダーお義兄様がお帰りになるんだな、と思っただけで」

「そうか、アレクサンダー殿は義兄にあたるのか。

 ……その、なんだ。アナが嬉しそうに見えたのだが…、その、アレクサンダー殿とは親しくしていたのか?」


 何故かソワソワと聞いてくる旦那様。


「他の公爵家の方達に比べると親切にはして頂きましたが、直接お会いした事があるのは3回だけなので、親しく……と言われると、そんな事はございませんね」

「そ、そうか!」


 ??? やっぱり何か変だな? 旦那様。



 その後、旦那様から王都で何があったのか。何故領地でドレスを作ろうとしているかの説明をして貰った。


 間違いなく黒幕はクリスティーナだろう。

 私に恥をかかせたいという一心のみでここまでするとは…。


 そんな時間と熱意があるのなら、是非とも公爵領の領民達の生活向上の為に注いで欲しい。



「アナにはミシェルから手紙を預かっている」


 と、旦那様から紙の束をドサっと渡された。


 これが手紙!? 論文とかの間違いじゃなくて?


 恐る恐るページを捲ると、ミシェルの達筆な字で指示やアドバイスがギッシリ書かれている。


『ひょぇー』と変な声が喉から漏れそうになったが何とか耐えた。


 ドレスに関しては私に出来る事は少なく、採寸をしてからは絶対にそのサイズを死守する様に、と書かれている。


 その代わり私には夜会の準備が山積みだった。


 まず夜会でのマナー。振る舞い。覚えておくべき人物の名前と顔。話題になりそうな流行。逆にしてはいけない話や、知っておくべき他国の宗教上のタブー等々。


 詳しくは参考資料を見て覚える様に、と書かれていて、参考資料を見るとその分厚さに眩暈がした。


 論文が辞典にパワーアップだ。



 ——でもこれ、纏めた方も相当大変だったよね?


 旦那様の話だと、招待状を受け取った次の日の早朝には旦那様が馬で王都を立ったのだ。


 たったそれだけの時間でこれだけの物を書き上げるなんて、一睡もしていないに違いない。


 論文はミシェル1人の筆跡だが、辞典の方は何人かの筆跡が混ざっている。きっと王都の使用人達が総出で準備してくれたのだろう。


 見れば、領地の使用人達も『奥様の為に最高のドレスを作るぞー!』『おー!』と盛り上がっている。




 ……ここでやらなきゃ女が廃る!!

 マルっと全部! 覚えてやろうじゃない!

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