第52話 こうして彼は、ああなった。《後編》(Side:ユージーン)

(Side:ユージーン)


「へあ!? だ、旦那様! 歩けまふ。歩けまふからおろしてくだしゃい!」


 アナが私の腕の中でジタバタと力なく暴れているが、自力で歩けるだけの力が残った人間は、普通『歩けまふ』とか言わない。

 ていうか何だよ、『おろしてくだしゃい』って!

 可愛すぎか!!


 部屋の前までアナを抱えて来たはいいが、ふとどの部屋に入ればいいのか分からない事に気が付いた。


 私の部屋に連れ込むなど言語道断だし、アナの部屋に勝手に入るのも気が咎められる。

 ここはやはり夫婦の寝室が安牌か。


 そう考えて、夫婦の寝室の大きなベッドにアナをおろす。この頃にはアナはすっかり眠りに落ちてしまっていた。


 全く、無防備にも程がある。夜会では絶対に目を離さない様にしないと。勿論飲酒も絶対禁止だ。


 初めて見るアナの寝顔はあどけなくて、いつもの頭と口の回転の速いアナより随分幼く見えた。


 人の気も知らずに、気持ち良さそうに寝てるな……。


 これ位は許して貰おう……と、しばらくアナの寝顔を眺めた後、このままでは寝にくかろうとマリーを呼んだ。


 アナとの時間は名残惜しいが、まさか私がドレスを着替えさせる訳にはいかない。


 自室でボンヤリと考え事をしながら今日の出来事を噛み締めていると、トントンと扉が遠慮がちにノックされた。


「伯爵様、マリーでございます」

 

 マリーか。アナの着替えが終わったのか?


「ああ、どうした?」


 扉を開けて返事をすると、何やら困った感じでマリーが話す。


「その、奥様が、旦那様を呼ばれているのですが……」

「なに!? アナが! 私をか!?」


 思わず前のめりになってしまい、マリーが2歩程後ずさった。


「それが、まだ酔いが覚めていらっしゃらない様で、ほうれん草がどうのと……」

「ほうれん草??」


 確かアナはほうれん草のキッシュが好物だったな。空腹なのか?


「恐らく寝ぼけていらっしゃる様なので、このままお寝かせしますか?」

「いや!!」


 凄い勢いで否定したのでマリーが少し驚いている。

 いかん、変な奴だと思われてしまう。


「コホン。いや、その、私が行くから良い。

……妻が呼んでいるなら、夫は行くべきであろう?」


 私がそう言うと、一瞬キョトンとした後、嬉しそうにマリーが頷いた。




「旦那さま! 遅いでふ! しょこに座ってくらさい」


 部屋に入ると、全然酒が抜けていないアナが回らない呂律で一生懸命私に向かって話しかけて来た。


 何これ可愛い。


「いいでふか? ビジネスでもほうれんそうは大事なんれす。ほうこく、そうだん、れんれんです」


 いや、絶対違うだろ。しかもそれだと放送連だぞ。

 ていうか、れんれんって何だ。

 

「なので、方針がかわったのなら、ちゃんと伝えてくれないと困るのれす」

「方針?」

「結婚生活の方針れす。仲良く見せるのかー、見せないのかー、決めてくれないとわかりません。今は、ひつよー最低限の夫婦のはずなのに、最近旦那さまがやさしいんでふよ」


 ……必要最低限……もしかして、結婚式の翌日に言ったあれか?


『私達が政略結婚で結ばれた夫婦なのは、皆が知る所なのだ。わざわざ仲睦まじい振りをする必要はないだろう』

『では、必要最低限の務めは果たしている、というのが伝わればそれで宜しいのですね?』


 かつてアナと交わした会話を思い出す。


 改めて思い返すと、ド最低野郎だな、自分。


「ちゃんと決めてくだしゃい。どうしたらいいんですか? 私」

「わ、私は……!!」


 思わず立ち上がって、そのままの勢いでアナの前に跪く。


「都合の良い事を言っているのは分かっている。でも私は、私は……、アナと本当の夫婦になりたい!」


「「…………」」


 恐らく全く想定していなかった事を言われたのだろう。


 アナはコテンと首を傾げるとうーんと考え込んでしまった。


「それはちょっと……さいしょのお話と違いすぎませんかねぇ?」


 ——断られる!!


 私はなりふり構わず目の前にあったアナの手を取ると、跪いたまま懇願した。


「そこを……そこを何とか! 精一杯努力する!


……そうだ! 試用期間!! 試用期間を私にもくれないか!?」


「しようきかん……ですか?」


 今度は反対側に首をコテンと傾けてアナが聞いてくる。


 いちいち可愛いなちくしょう!!


「そう! 試用期間! 私が本当の夫として使えるかどうか、試してみないと勿体ないだろう!?」


 ここぞとばかりに畳み掛けた。ここを逃したら、恐らく私にはもう後が無い。


 そもそもとっくに手遅れだとしても無理はないのだ。


 それだけの事をしてしまった自覚はある。


 怖くて顔を伏せている私の頭上から、救いの言葉がもたらされたのは数秒後の事だった。



「うーん……じゃあ、いいでふよ。あげます」



 感動の余り、泣くかと思った。


 今までの分もこれからは夫としてアナに尽くそうと心に誓う。


 ありがとうアナ。私は生まれ変わるぞ!


 ニューボーンユージーンだ!!

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