第65話 覚悟はしてたから

「へぇ……意外だな。アレクもそっちに回るんだ?」


 殿下は余裕の表情でニヤニヤしながらお義兄様に言葉をかける。


「お忘れですか? アナスタシアは私の義妹いもうとです。夫と兄を目の前にして、些か悪ふざけが過ぎるでしょう」

「ふざけてなんかいないんだけどな。どうも君達には私の本気が伝わっていないみたいだね? 夫と兄の目の前が気に入らないと言うのなら丁度良い。ハミルトン伯爵夫人、隣の部屋で2人っきりで話そうか?」


 殿下は立ち上がると私の方に手を伸ばして来た。


 いかん、事態は悪化した。


 あと少しで触れられそうになり私が思わず身をすくめた時、殿下の手元が軽くチカッと光った。


 次の瞬間、殿下は驚いた様に手を引っ込める。フォスがそのすぐ横で『ドヤァッ』という顔をしていたので、多分何かしたんだろう。


「殿下! フェアファンビル公爵家を敵に回すおつもりですか!?」


 アレクサンダーお義兄様がツカツカと殿下に歩み寄る。


 正直、お義兄様がここまで私を助けようとしてくれるとは思わなかった。


「ふうん。まるで自分の考えがフェアファンビル公爵家の総意の様に言ってるけど、違うよね?」


 殿下の言葉にギクリとする。


 そうだ。フェアファンビル公爵家が王太子を敵に回してまで私を守るはずがない。

 むしろご丁寧にラッピングしてリボンまでかけてプレゼントフォーユーするだろう。


「クリスティーナは『お義姉様は可哀想な方で夫にも愛されていないから、殿下のご寵愛を頂ければ泣いて喜びますわ』と言っていたよ? 公爵も同じ考えじゃないかな」


 ほらな!!


「!! ……やはり、クリスティーナが……」


 ほらな!! としか思わなかった私とは違い、お義兄様はショックを受けている様だった。

 お義兄様からしたらクリスティーナは実妹だしなぁ。


 それでもお義兄様は、気持ちを切り替える様に頭を振ると、尚も殿下に食い下がってくれる。


「で、ではカーミラ王女殿下の事は? 婚姻前だというのに、そちらも何とも思わないのですか?」

「はぁー、アレクはほんとに細かいね。王族同士の婚姻なんだよ? ゆくゆくは側妃はもちろん、公妾だって作って当たり前なんだから。婚姻前とか後とか、そんなの誤差だろう」


 殿下は少しイライラした様にテーブルに指をトントンと打ち付ける。


「だからね、あんまり私を怒らせない方がいいと思うんだよね。アレク個人と、ハミルトン伯爵家が困る事になるから」


 例の胡散臭い笑顔で脅しをかけて来る殿下を見ていると吐き気がして来る。こんな身勝手な人が次代の王なの?


「ねぇ、ハミルトン伯爵夫人。君だって嫌でしょう? 自分の所為でこの2人が不幸になるところなんて、見たくないよね?」


 そんなの、見たくないに決まっている。私を助けようとしてくれたお義兄様にも、私を守ってくれる旦那様にも、大好きな伯爵家のみんなにも、迷惑なんてかけたくない。


「アナ、気にするな。絶対守る。信じてくれ」


 私が殿下の言葉に動揺したのを感じたのだろう。

 周りに聞かれるのも気にせず、旦那様がそうキッパリと言い放つ。



 ——信じてますよ、旦那様。


 ほんの数ヶ月前までは、そう簡単には誰も信じられない! なんて息巻いてたはずなのに。


 いつの間にか、旦那様が私を裏切る訳ないって思う様になってました。



「ふふっ、カッコいいなー、ハミルトン伯爵。令嬢達にモテるはずだよね。ああそうだ。私が奥方を借りている間に、伯爵も楽しんで来たらどうだい? 相手はいくらでもいるだろう?」

「!!……このっ


ダンッ!


 旦那様の言葉を掻き消す様に大きな音を立てて立ち上がる。


 もうこれしか無いなら仕方ない。

 たった一人、貴族社会に飛び込んだのだ。

 当然、色々な覚悟は決めてきた。


 これだって、その一つ。

 

 ……ただそれだけだ。



「うん、ハミルトン伯爵夫人が一番賢いみたいだね。

……それじゃあ行こうか、アナスタシア・・・・・・


 私が殿下の方に歩み寄ると、殿下は下卑た笑顔で私の腰に手を伸ばす。


「アナ! 駄目だ!!」



 ごめんなさい、旦那様。

 ……もうこれしか、方法が思い付かないのです。



 私は、自分の腰に伸びて来た殿下の腕を……





 掴むと同時に思いっきり背負い投げをかました。





「「ええええええええーーー!!!??」」



 ビターーーン!! と愉快な音を立てて殿下が背中から床に叩きつけられる。



 あーあ、やっちゃったい! しかし後悔は無い!!

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