第3話 白い結婚

「……ま、今までの所、ほぼほぼ想像通りの展開よね。両手をあげて歓迎されるなんて最初っから期待してないし、公爵家での扱いを思えばむしろ随分と暮らしやすそうだわ」


 自分の為に整えられた室内を見て、私はそう独り言ちた。


 ベッドにボスンッと身体を投げ出すと、心地よいマットの感触とフカフカのお布団の良い匂いがする。


 ――あぁ、今日はグッスリ眠れそうだ。


 公爵家で与えられていたジメジメとした薄暗い部屋と固い布団を思い出す。


『公爵家の娘として恥ずかしくない最低限』の教育と生活とやらは、実際は下町で暮らしていた平民時代より悲惨な物だった。


 お貴族の方々は何故か平民はみじめな暮らしをしていると信じて疑わないが、少なくとも私は両親と3人幸せに暮らしていたのだ。


 公爵に必要無いと断じられた学問を学ぶ事は許されず、マナーばかり叩き込まれ。

 仮にも公爵家の娘としてみすぼらしくあってはならないが、美しくなってもならないと中途半端に手入れされ。

 公爵の意に沿わぬ事をすれば叩かれる事も食事を抜かれる事も、使用人達から嫌がらせを受ける事さえ日常茶飯事だった。


 何度も逃げ出したいと思った。


 公爵家の警備は意外とザルで、その気になれば抜け出せたと思う。


 追手さえ撒いて隣国にでも入ってしまえば、仕事を探して自分一人食べて行く事位私にとっては朝飯前だ。


 そうしなかったのは、ある目的を果たす為―。


 お父さん、お母さん、見てて。

 私の雑草魂はすっごいんだから!!


 寝ている時すら外す事の無いペンダントをギュッと握りしめると、私は立ち上がった。




 夜明け前、私はそうっと夫婦の寝室のドアを開けて中を覗き見る。

 旦那様は一人、だだっ広いベッドの端っこでスヤスヤ寝ていた。


 ……結局この部屋で寝たんだ。肝が据わってるのか、何も考えていないのか……


 多分後者だな、等と失礼な事を考えながら私はベッドに歩み寄る。


 気持ち良さそうに寝ている所申し訳ないが、今私には取り急ぎ話し合ってやっておかなければいけない事があるのだ。


「旦那様、旦那様、起きて下さい」


 耳元でそっと旦那様に囁く。

 しかし、旦那様に起きる様子は一切無い。


 この状況下でまさかの熟睡とは……実は肝が据わってる方なのかもしれない。


 そんな事を考えながら、部屋の中をウロウロと歩き回るが、旦那様が起きる気配は無い。


 仕方ない、下町風に起こすか……。


 そう決めると私は、容赦無く旦那様が敷いているシーツを引っ張った。

 だだっ広いベッドの上をコロコロ転がる旦那様。


「おはようございまーす、ア・ナ・タ! ちょっと起きて下さいな!」

「うぉ!? うおぉぉ!? なんだ!?」


 荒っぽい起こされ方に慣れていないのだろう。旦那様はビックリして飛び上がる様に起きると、ベッドの端で目を丸くしている。

 何とか落下は免れた様だ。


「な、なんだお前か……なんだよ、まだ暗いじゃないか」


 起こしたのが私だと気付くと、乱れたガウンの胸元や裾をササッと直す。乙女か。


「は、ははーん。さてはやはりマズイという事に気が付いて戻ってきたという訳だな? そうだな、自分の立場をわきまえて私に従うと言うのなら……」


 何だか勝手な解釈をしてペラペラ喋り出した旦那様に、また右手をスッと挙げる。


「条件を擦り合わせる為にも、事前確認をしておきたいのですが!!」

「は? 条件? 事前確認??」

「そうです。まずこの白い結婚に関する事なのですが……」

「ちょ、待て待て待ておいおいおい……」

「私達の間だけでの秘密裏の事でしょうか? それとも公にする感じですか?」


 それによって今後のやり方が変わって来るから、これだけは今夜のうちに聞いておかないといけなかったのだ。


「本来であれば伯爵家の当主夫妻が白い結婚であるなど隠すべき事なのですが、例えば、旦那様の愛人の方の手前『白い結婚を公にしておきたい』とか個別の事情があるかと思いまして……」

「あ、あああああ愛人!??」

「そうです。あ、失礼しました。愛妾様とかお呼びした方が良かったですか?」

「お前は! 何を言っているんだ!! 私には愛人などいない!!」

「へ?」


 今度は私がキョトンとしてしまう。


「え? 本当は私以外に愛するお方がいるのでは? その方が事実上の妻として旦那様と生活を送り、私は形だけのお飾りの妻となる。だからこそ、クリスティーナの代わりに私を嫁がせるなんて無茶な話を了承したのでしょう?? 私ならどんな扱いをしようと公爵家から文句が出る事は無いから、旦那様にとっても都合が良かったのかと」

「お前……エゲツない事考えるな……」


 エゲツないって。


 この程度でエゲツないって……貴族社会のどぎついエグさを知らないのだろうか??


 大丈夫? ちょっと世間知らず過ぎやしない? この坊ちゃん。


 旦那様は湯気が噴き出しそうな程真っ赤な顔で『破廉恥な!!』とか『わたしがそんな不誠実な人間に見えるのか!?』とか言って騒いでるけど、誠実な人間は新婚初夜に花嫁にあんな事は言わんでしょうよ。


 しかし旦那様、愛人いなかったのか。それは正直意外だな……。


 さっき思わず口走ってしまったが、私は旦那様には既に愛人がいて、だからこそこの婚姻を了承したのだと思っていたのだ。


 え? ちょっと待ってじゃあこの人、自分には何の瑕疵も得もないのに平民育ちの私を娶ったって事!?


 それはちょっと……どころではなく気の毒かもしれない……。


 下町育ちの私だからこそ分かるが、お貴族様が住む世界と平民が住む世界は全く違うのだ。


 下級貴族なら平民と商売の繋がりがあったり、極稀にそれが縁で結婚〜とか言う話があったりもする(ただし超大金持ちの商会のお嬢さんとか超絶イケメンに限る)が、伯爵家ともなれば格が違う。


 平民からすればもはや雲の上の人。天上人だ。


 思わず気の毒そうな顔をして旦那様を見つめてしまったのだが、それに気付いた旦那様はワナワナ震えている。


「とにかく! 私には愛人はいない! 作るつもりも無い!!」

「はいはい、分かりました。そうすると、白い結婚である事は周りには悟られない方が何かといいですよね?」


 私がそう尋ねると、旦那様はふと考えてから不承不承頷いた。


「では!」


 私は旦那様が寝ていたベッドにダイブすると、シーツをぐしゃぐしゃにする。

 驚いてベッドから逃げ出した旦那様の視線が痛いが、私は気にせずシーツの海を泳ぎ続け、次に自分の親指をガリッと噛んだ。


「お、おい!?」


 そして、ぽたぽたと自らの血をシーツに垂らしていく。


「お、おま……それ…………」


 私が何の偽装をしているのかようやく気付いたのだろう。

 口を手で覆い、ボソボソと何か言っているが耳が赤い。いやだから乙女か。


「お察しの通り、滞りなく初夜が行われた様に見せる為の偽装工作です。敵を欺くにはまず味方からと申します。使用人の皆さんにも白い結婚である事はバレない方がいいかと」

「……そうか」

「これからの結婚生活ですが、人前では仲睦まじい円満夫婦を装った方がいいですか?

 それとも『必要最低限の務めは果たしている』というのが伝わる程度の仲がお望みですか?」

「……」

「旦那様?」

「…………」

「旦那様!?」

「………………」

「……ア・ナ・タ?」

「!??」


 それまで返事もせずに考え込んでいた旦那様が、くわっとこちらを向いた。


「お前、とりあえずそのおかしな声で『ア・ナ・タ』という奴をやめろ!!」

「あら。旦那様とお呼びしても返事が無いので、こう呼ばれるのが気に入ってしまわれたのかと思いましたわ」


 私がクスクスと笑うのを見て、旦那様は今にも地団駄を踏みそうな様子でこう言った。


「そんな訳があるか!……もう駄目だ話にならない! 続きは明日だ!!」


 確かに今はちゃんとした話し合いは無理そうだな。時間も時間だし。


「分かりましたわ。では、続きは寝て起きてからに致しましょう」


 それでは、と私は続きのドアから自室へ戻ろうとしたが、旦那様は私が偽装工作を施したベッドの横で途方にくれた様に立っている。


「どうされたのですか? 旦那様も自室に戻って休まれては?」


 汚れたベッドじゃ嫌だろうし、そもそもここで寝る必要も別にないし。


「不誠実な男だと……思われないだろうか」


 ボソッと呟いた旦那様の声が耳に入る。


 んんん? あー、やる事やっといて朝まで一緒にいずに新妻放り出しましたー的な?


 いやあなたやる事もやらずに新妻放り出してますがな。


 何度も言うけど最初のアレが既に不誠実極まりないのだが、そうは思わないのだろうか……。


 私にとって旦那様の言動は不可解極まりないのだが、そんな旦那様の様子を見ていると悪戯心がムクムクと湧いて来た。


「……じゃあここで、一緒に寝ますか?」


 私が試しにそう言ってみると、旦那様はみるみる真っ赤になっていく。


「寝ない!! もう! 自分の部屋で寝る!!」


 旦那様はそう絶叫すると、逃げ込む様に自室へと繋がるドアに転がり込んでいった。


 後ろから見ても分かるほど、耳まで真っ赤だった。


 うん……乙女だな。

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