第32話 働く人の、気持ち

 

「マリーさんの言った通りでしたよ!」


 マーカスが沢山の書類の束を抱えて、私達のいるサロンに入って来た。


「農村部の若い人達は働いているはずだって言っていた、あれ?」

「そうです。地域毎の就業率や年齢層を調べた資料は元々あったのですが、先日もお話しした様に書類上はどこの地域の就業率も決して悪くないですからね。気が付けませんでした……!」


 マーカスはマーカスで、働かない若者達については頭を痛めていたのだろう。自分では気付かなかった発見に少し興奮気味だ。


「人を遣って調査した所、若者達もみんな毎朝きちんと起きて畑仕事をしているというのです……!」


 もはやマーカスは感動に打ち震える勢いだが、いや、それが普通だからね?


 ……いや、普通、ではないか。


 私達がそれを普通だと思わされているだけで、実は『毎朝同じ時間に起きて仕事に行ってしっかり働く』というのはとても大変な事なのだ。それを忘れてはいけない。


「それにしても凄いわね、マリー。どうして分かったの?」

「農業の習慣は、十数年やそこらじゃ廃れないからです。一つの土地を、作物が育つ畑にするのはそれはそれは大変な事なんです。それを知った上で先祖から受け継いで来た土地を、『働かなくても食べていけるならいいか~、ポイっ』なんて出来る農民はそういませんよ」


 なるほど。しかし、農業とは大変なイメージも大きい職業だ。大変な部分を目の当たりにして、後を継ぎたくないと思ったりしないのだろうか。


「農業を嫌がる若者も多いでしょう? なんで皆が皆、畑を受け継いでくれたのかしら?」

「余裕があるから、じゃないでしょうか? 農業はその年の天候等に収穫量がかなり左右されるんです。そんな中で、毎年決まった税金を納め続けるのって凄く大変なんですよ」


 マリーは、うーん、と考えながら話を続ける。


「そこへいくと、伯爵領は税金がタダみたいな物ですからね。そこまで儲けや効率にこだわる必要がありません。親と一緒に当たり前の様に畑仕事をして、収穫した物をみんなで楽しく食べる。時に自然の猛威にさらされる事もありますが、それでも何とか協力して立ち上がる。そんな育ち方をした子供達が畑を受け継ぐのは自然な流れなんだと思いますよ」


 マーカスとダリアは、『そういう物なのか!』という感じでしきりに感心しながら聞いている。


 確かに、貴族階級の人間からしたら農民の暮らしなんて新鮮だよね……。

 

 いや、もちろんマリーも立派な貴族階級のご令嬢なんだけれども。


 マリーのご実家の男爵家は、領民との距離が近いお家なのだろう。領主の娘がこれだけ農民の暮らしを理解しているのだ。きっと素敵な領地なんだろうな、と思った。


「それで……農村部の若者を参考に、どういう風にしていけば街の若者も働く様になりますかね?」


 マーカスが期待した瞳を向けるが、マリーはキョトンとしている。


「それは分かりません」

「…………へ?」

「私、閃きというか、気付くの専門なんですよね。後は頭脳派の方の出番です!」


 明るくそう言い放ったマリーにマーカスはポカンとしていたが、ふと首を横に振ると苦笑いしてこう言った。


「確かにそうですね。ありがとう、マリーさん。いい発見が出来ました! ここからは私の出番です」


「私も考えるわ。話を聞いて思い付いたのだけど、子供達に色々な職業を知ってもらう職業体験なんかを学校の授業に取り入れてみてもいいんじゃないかしら? 農業も是非体験してみて欲しいわ」

「それはいい考えですね。まずは子供達に働く事を身近に感じて貰ったり、どんな仕事があるのかを知って貰う事が大切だと思います」


 私とマーカスとダリアは書類を読みながら意見を交わす。


「子供達へのアプローチはもちろんだけれど、今現在働いていない若者達の事も考えないとね……。大人の方が手強そうだわ」


 3人で頭を悩ませていると、閃き担当が声を上げた。


「あ、ヒントになるかもしれない事なら他にもありますよ! この後、お時間あるなら案内します」




 そう言ってマリーが連れて来たのは街にあるケーキ屋さんだった。

 お忍びの初日に来たタルトタタンのあのお店だ。今日はきちんとお店も営業しているのか、その一角が甘い香りに包まれている。


 マリーは通い慣れた感じで店内に入っていった。


「ジャーン! 改心した若者第一号! 凄腕パティシエのトムさんです!」

「改心したって……。なんか悪い事してたみたいだから、そんな言い方やめてよマリーちゃん」


 苦笑いしながら奥から出て来てくれたのは、20代半ばの優しそうな青年だった。


「マリーちゃんが少し前に突然お店にやって来て、『何で昨日は店を閉めてたんだー!』って怒られた時はびっくりしましたよ」


 ええっマリーそんな事してたの!?


『スイーツを楽しみにしている乙女心を踏み躙るなんて許せません! 私が労働の素晴らしさを分からせてやります!!』


 あの日、そう言っていたマリーの言葉が蘇る。

 まさか、本当に突撃していたとは……。


「話を聞けば、その前の日に僕のケーキを食べに来てくれてたとか。それは申し訳なかったな、と思ってたら、丁度店内でケーキを食べてた親子が言ったんですよ。『この子も、よくお店が閉まってて泣くんですよ』って。その親子は笑いながら言ってたんだけど、僕は結構グサッときちゃって」


 確かに、お店がしょっちゅう閉まってたらそういう事も起きるよね。特に子供なんて、楽しみにしてた事を我慢出来ないし。


「悲しいじゃないですか、僕のケーキを楽しみにして来てくれた子を、泣きながら帰しちゃうなんて。そういうの僕分かってなくて……。だから、これからは決まった時間はきちんと店を開ける事にしたんです」


 トムさんはそう言ってニコニコしながら店内を見る。


 喫茶コーナーでは何組かのお客さんが美味しそうにケーキを食べていた。みんなとても楽しそうだ。


「まぁもちろん、彼女とデートもしたいんで、定休日はきちんと作って休みますけどね」


 うん、それも大事!


 要は仕事と私生活の調和が大切なんだと思う。充実した仕事は、きっと人生に彩りを与えてくれる物の一つだ。


「さて、折角ここまで来たのでお土産にケーキでも買って行きましょう! ここのお店は、タルトタタンはもちろんフルーツケーキもチョコレートケーキも、ぜーんぶ美味しいですよ!」


 話が落ち着いた所で、マリーが明るくまとめる。


「ぜーんぶ美味しいですよって、マリーあなたまさか、ここのお店のケーキ全種類食べた事があるの!?」


 私に突っ込まれると、マリーはあわわっと慌ててこう言った。


「トムさんがちゃんとお店を開けてるか、見守ってたんですよぅー!!」


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