第35話 ドレス狂想曲(Side:ユージーン)
(Side:ユージーン)
忙しそうにしている使用人達を傍目に、何をして良いか分からない私はとりあえず私室に戻る事にした。
自分で言うのも何だが……多分ここにいても邪魔だ。
スゴスゴと部屋を出て行く私に気が付いたセバスが、後ろから追いかけて来る。
「坊っちゃま、明日の朝には領地に向けて早馬を出します。アナスタシア奥様にお伝えしたい事があるなら、それまでにお手紙をお書き下さい」
「ああ、分かった。ありがとう」
私室に戻って引き出しからレターセットを取り出す。
領地に手紙でも書こうかと侍従に用意させた物だが、未だに便箋は真っ白だ。
……何と書けばいいんだ?
伝えたい事は沢山ある気がするが、まず出だしからして何と書けば良いのか分からない。
いつもここで躓き、ウンウン唸っているうちに気が付けば時間がたっているのだ。
深い溜め息をつき、逃げ場を求める様に部屋の中をキョロキョロ見回すと、ふと机の上の缶が目に入った。
蓋を開けると、クッキーがまだ数枚だけ残っている。
思いの他気に入って、保存の為の魔石まで入れてちびちび食べていたのはここだけの秘密である。
……なんかこのクッキー、たまに減ってる気がするんだよな……
そんな訳はないのにそんな風に感じてしまうのは、余程このクッキーが無くなってしまうのが惜しいのだろうか。
自分はそんなに食い意地が張っていたか? と不思議に思いながらも、残ったクッキーを口に入れる。
「うん、やっぱり美味いな!」
満足げに笑うユージーンの視界の端を、小さな小さな光がふよふよと掠めた。
「む、またか。最近どうも目の調子が良くないな」
ここの所、たまに先程の様な光がチラチラと視界に入る事がある。
念の為に伯爵家の侍医に診て貰ったが、目に異常は無いので恐らく疲れ目だろうとの事だった。
『……!』『…………!!』
何やら階下が喧しい。アイリスとデズリーが戻って来た様だが、ドレスの予約が取れたのだろうか?
慌てて階下へ降りると、皆の顔色が良くない事に気が付く。
「何かあったのか?」
「伯爵様、それが……。ドレスが、無いのです」
「? それはもう聞いたぞ? だからこれから急いで仕立てるのだろう?」
アイリスとデズリーは、揃って首を左右に振った。
「仕立てを引き受けてくれる店が見つからないどころの話ではありません。既製品のドレスでさえ、店に無いのです」
「!? そんな事があるのか?」
「通常あり得ません。話を聞くと、ここ数日で慌ててドレスを買い求める貴族家が何件も訪れた様で……」
デズリーの言葉を聞いてハッとする。
突然の夜会でドレスの準備が間に合わないのはうちだけでは無いという事か?
説明を求める様にセバスを見ると、セバスが頷いて話し始める。
「高位貴族や財力のある家であれば、突然の事態に備えて衣装の備えはある物です。しかし、普通の下位貴族ともなればそうではありません。家によっては定期的に開催される王家主催の夜会の準備でさえ重い負担になるのです。今回の夜会は予想だにしないものでしたので、既製のドレスを買い求める家が多かったのでしょう。店側としてもドレスは高価な品です。そこまで多くの在庫は抱えません。急な需要に追い付かず、品切れを起こしたのでしょう」
「……うちが出遅れた……という事か?」
「その点についてですが、馴染みの洋品店で聞き捨てならない話を聞いたのです……」
おずおずとアイリスが話し出す。
アイリスは他の使用人達より大人しいイメージがある。こんな風に私の前で自ら発言するのは珍しい。
「ドレスが急に売れ始めたのは3日ほど前からだと。話を聞く限り、他家にはその頃に招待状が届いていた様なのです」
「!?」
それは……わざとうちには招待状を遅れて出したという事か? そこまでして他人を貶めようとする人間がいるのか?
ふと見ると、ミシェルが悪鬼の如き形相で怒気を漲らせている。こわい。
「とにかく、ここであれこれ言っても仕方がありません。今からでも出来る事を皆で考えましょう」
セバスがミシェルの肩をそっと叩く。
暫くの間沈黙が続くが、妙案というのはそう簡単に思い浮かぶ物ではない。
「あの、いっそ領地でドレスを作るというのはどうでしょうか……?」
少し震える声で言うアイリスに、皆が一斉に振り返る。
急な注目を浴びて驚いたのか、ピャッ! となったアイリスはデズリーの陰に半分隠れてしまった。
「領地で…………」
皆がそれぞれに考え込む中、落ち着きを取り戻したミシェルが言う。
「それはあり、かもしれませんわね」
それからはまた使用人達の動きは早かった。
「領地にある、腕の確かな仕立て屋を何件かリストアップします」
「ソフィア様がよく領地でドレスを仕立てていらしたわ。その頃の事を知る使用人が領地の邸にいるはずです。手紙の用意を!」
「予定通り明日の朝一番で早馬を出しましょう。マーカスへ指示書を作成します」
パタパタと動く使用人達を前にただ立っているだけの私は、本当にこの家の当主か?
いつの間にか握り締めた拳に、爪が食い込んでいる事に気が付く。
——悔しい。
「……セバス」
「どうされましたか? 坊ちゃま」
どんなに忙しくしていても、私が呼べばいつでも真っ先に笑顔で振り返る。
ああ、セバスにとっては私はまだ子供なのだな。
「セバス、早馬はいらない」
「は?」
「——私が行く」
そして翌日からの2日間、私は馬を飛ばした。
途中の街で馬を変え、数時間の仮眠の後またひたすら走る。
スピード最優先の為、護衛も馬術に長けた者を1人だけ付けるという、おおよそ伯爵には似つかわしくない旅路だった。
そして、ようやくハミルトン伯爵家の領内に入った辺りで私は異変に気が付いた。最近視界をチラついている例の光の数と頻度が明らかに上がっているのだ。
いかんな。昔はこれくらいの早駆けで疲れる事もなかったのだが、最近運動不足かもしれん。
帰ったらもう少し身体も鍛えるか……。
そんな事を考えながら領地の邸に向かって馬を走らせていると、明らかに光が集まっている方向がある事に気が付く。
…………これ、疲れ目とかじゃなく無いか? というか、この光は確かアナスタシアの……
馬から降りて護衛に託すと、光に導かれる様に足が一つの公園へと向かう。
子供達の楽しそうな歓声が響く中、聞き覚えのある声がした。
『よーし! 全員捕まえちゃうぞー!!』
——見つけた。アナスタシアだ。
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