第9話 胡乱な家令

 こうして幕を上げた私のハミルトン伯爵家での暮らしは、想像以上に穏やかに過ぎて行った。


 あれから何度か庭園に足を運んだが、残念ながらまだ精霊達には会えていない。正直精霊はかなり気まぐれなので、こればっかりはしょうがない。


 そういえば、仲良しだった精霊達は母お手製のジャムがたっぷり乗ったクッキーが大好物で、焼いていると必ず現れていた。


 コック長のハリスとは食事の時メニューについて話したりして少しずつ打ち解けて来たし、今度思い切ってクッキーが焼きたいと頼んでみようかな?


 旦那様は律儀な性分の様で、なんだかんだと言いながら夕食はいつも私と一緒にとっている。


 特に話が弾む事は無いが、意外と聞けば色々教えてくれる事が分かったので、領地の事や旦那様の事を機嫌を損ねない程度に聞き出していた。


「それでは、旦那様が領地へ行かれる事はあまり無いのですか?」

「ああ、特に必要性も無いからな。逆に私の研究は王都にいた方が都合が良いのだ」


 詳しい事は知らないが、旦那様は学生時代に考古学に魅せられ、今でも個人的に研究を続けているらしい。

 金持ちの道楽感が凄いのは偏見だろうか。


 食後のお茶を飲みながら恒例となった情報収集に勤しんでいると、珍しくセバスチャンに声をかけられた。


「旦那様、マーカスが戻って参りました。定時報告があるそうですが、こちらに通しますか?」

「いや、執務室に通しておいてくれ。これを飲み終わったら、私がそちらへ行く」


 素知らぬ顔で話を聞いていた私は、しれっと会話に加わった。


「あら、家令のマーカスかしら? 旦那様、私まだマーカスと顔合わせが済んでませんのよ。折角なのでご一緒してもよろしいですか?」


 私のその申し出に、旦那様は軽く難色を示した。恐らく伯爵家の運営にあまり関わらせたく無いという気持ちの現れだろう。


 しかし、ここで簡単に引き下がる訳にはいか無い。表面上はあくまでニコニコと話を進めていく。


「ハミルトン伯爵領が豊かで素晴らしい所だという話はかねがね聞いていましたし、マーカスは旦那様が信頼してお仕事を任せている方なのでしょう? となれば、きっと立派な方に違いありませんわ。後学の為にも是非お話を聞いてみたいのです」

「まぁそうだな。伯爵領は豊富な資源にも恵まれているし、領民の気質も良い。マーカスは信頼に足る男で、領地運営の腕も確かだ」

「ええ、伯爵家の使用人の質は本当に素晴らしいです。これも代々の伯爵家御当主様の人徳がなせる技ですわね」

「ふん、お前に言われるまでも無い事だが、まぁその通りだ。……そうだな、よし。挨拶もまだなら話くらいは聞かせてやろう。セバス、やはりマーカスをこちらに呼んでくれ」

「……かしこまりました」


 セバスチャンが何とも言えない表情で私をチラリと見てから苦笑する。


 私も澄ました顔で紅茶を飲みながら、少しイタズラっぽく目配せをした。


 この数日でセバスチャンとは大分打ち解けて来たし、マリーとはすっかり仲良しだ。


 残念ながら他の使用人達とはまだそこまで交流を持てていないが、嫌味を言われたり嫌がらせをされる様な事も無い。


 伯爵家の使用人の質が素晴らしいと言ったのは、紛れもない本心だった。


 セバスチャンが呼びに行ってすぐに食堂にやって来たマーカスは、50代位で取り立てて目立つ所の無い風貌の男だった。中肉中背で、家令というよりどこか商人の様な雰囲気がある。国内有数の資産家ハミルトン家の家令だけあり、身に付けている物は全て一級品だ。


 今にも手を揉みだしそうな程ニコニコしながら部屋に入って来たマーカスは、私と旦那様の前で一礼した。


「ユージーン様、只今戻りました」

「あぁ、ご苦労だったな」


 挨拶を交わす2人を観察していると、ふと後ろから強めの視線を注がれている事に気付く。


 ……ダリア?


 侍女のダリアがマーカスを凝視していた。


 マリーに聞いた所、ダリアは王都でも人気の化粧品を取り扱っている子爵家の次女だそうだ。ハミルトン伯爵家とも商売上の繋がりがあり、その伝手で侍女として行儀見習いに上がったらしい。


 貴族の令嬢らしく相変わらず表情は読みにくいが、その視線の強さは隠せていない。


 ——これは……訳アリだな。


 そんな事を考えながら、私はマーカスの領地に関する報告に耳を傾けていた。


「……といった具合ですね。変わらず伯爵領の経営状況は上々です。鉱山からの採石率は保てていますし、新たな鉱脈も発見出来ております。宝石の原石に関しましては、通年通りフェアファンビル公爵家を優先して卸しております。領民の暮らしも変わりなく、皆伯爵様に感謝しながら豊かに暮らしておりますよ」


 ニコニコしながら報告をするマーカス。


「そうか、変わりが無い様で何よりだな。いつもご苦労、マーカス。下がっていいぞ」


 ——え、そんだけ!?


 いやいやいや、いくら口頭での報告とはいえざっくりし過ぎだろう。


 というか、報告書は無いの? 先に口頭で報告してからまとめるとか? 効率悪く無い? ちゃんと数字とか確認しながら報告聞きたいんだけど……。


 一礼して下がろうとしているマーカスに、ズビシッと右手を挙げて声をかける。


「すみません、いくつか質問宜しいでしょうか!?」

「お、おいっ! またそれか! 余計な事は言うなと言っているだろうが!」

「余計な事ではございませんわ! ハミルトン伯爵家に嫁いできたからには、領地について学ぶのは夫人としての最低限の務め。まだ経験の浅い私には、聡明な旦那様の様に一を聞いて十を知る事は出来ないのです。分からない事はきちんと尋ねなければ!」


 右手を挙げたままフンスと息を荒くする私に、旦那様は諦め顔で一応質問を許可してくれた。多分微妙に褒められたのが嬉しかったんだと思う。


 旦那様がチョロくて、妻は少し心配ですわ。


 さて、質問の許可も得た所で、これ幸いと私は様々な質問をマーカスにぶつけてみた。


 鉱山から採れる宝石以外に、伯爵領に特産品の様な物はあるのか。


 隣国との貿易のパイプはまだ繋がっているのか。


 領民達の暮らしぶりや教育、就業状況はどの様になっているのか。等々……。


 想像以上に突っ込んだ質問を繰り出す私に途中旦那様の顔が引き攣っていた様にも思うが、まぁ何とかなるだろう。この機会を逃す方が痛い。


 むしろ私が想定外だったのは、マーカスがそれらの質問全てに、この場で素早く回答できた事だった。


 ……という事は、この人も伯爵領の問題点は把握しながらも、現状景気が良ければそれで良いと放置してる……って事?


 ニコニコ話すマーカスは、やはりかなり曲者だ。商売人としてはそれで良いかもしれないが、領地経営を任せるのであれば、領地の将来までしっかり考えてくれる人間でなければならない。商売人は、そこで商売をする旨味が無くなれば場所を変えれば良いだけなのだから……。

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