第8話 精霊さん

 そうして始まった伯爵邸探検だが、昼食までの時間で邸の全てを見て回るのは無理だろうと言う事で(広いな伯爵家!)、私の希望で庭園と図書室だけ案内して貰う事になった。


 色とりどりの花が咲き乱れる庭園はそれは素晴らしく、お茶会が出来る温室まである。広さも相当な物で、半分位を見て位置関係を教えて貰った所で邸へ引き返す事にした。


 丁度花壇の植え替えをしていた庭師にも話を聞いたのだが、この先のバラ園は社交に訪れた貴族の子供達が楽しめる様にと、ちょっとした迷路になっているらしい。


 これは一人で来たら本気で迷子になるかもしれない、気を付けよう。そんな事を考えていたその時、視界の端にチラチラと一つ小さな光が動いているのが見えた。


 ——あれは!!


 あまりの懐かしさにその光に駆け寄りそうになったが、グッと堪える。


 光はこちらに気付く事もなく一つの花壇の側をふわふわと飛んでいるが、目を凝らしてもその姿がはっきりと見える事はない。


「あの花壇のお花は見た事が無いわ。何と言う名前の花かしら?」


 私が光が飛んでいる花壇に向かって尋ねると、庭師がこれまた丁寧に教えてくれた。


 この庭師の名はナバールといって、先々代の頃からハミルトン伯爵家に遣えている古株の使用人の一人だった。恐らくは60代を越えているだろうお爺ちゃんだが、足腰もしっかりしていて、生き生きと植物の世話をしているその様子はそこらの貧弱な貴族令息よりも余程逞しい。


 ナバール曰く、そこの花壇に咲いているのは名前も無い野草で、本来であれば貴族の庭園に植える様な物では無いそうだ。


 しかし伯爵領ではあちらこちらにこの花が咲いていて、先々代の伯爵夫人、つまりユージーンのお祖母様がこの花をとても気に入っていたらしい。


 そこで当時の伯爵(ユージーンのお祖父様)が命じて王都の邸にも植えさせた、という訳だ。


 という事は、あの子達はハミルトン伯爵領から付いて来た子達なのかもしれない。


 自然豊かな田舎の街ではもっとはっきりとした姿をしていたのだが、王都に連れて来られてからはその光を目にする事さえ無かった。王都の空気ではあの子達は暮らせないのだろうと思っていたのだけど……。


 きっとここの庭はそれ程丹念に、心を込めて世話されているという事なのだろう。


 あぁ、伯爵家の庭師さん達サイコー!! ナバールさんありがとう!!



「では、次は図書室にご案内致しますが宜しいですか?」


 セバスチャンにそう促された私は、後ろ髪を引かれる思いで。けれど顔にはそれを出さずに邸の方へ戻って行く。戻る時さり気なくさっきの光の方を振り返ると、3,4個に増えた光が心なしか楽しそうに飛び回っていた。


 増えてるうぅぅーー!!


 思わず嬉しい気持ちが心に溢れてしまうと、唐突に私に気が付いたかの様に、光の一つがこちらへ猛スピードで飛んで来た。

 クルクルと私の周りを飛び回るその光は、薄らと形になっていく。


 ——やっぱり! 精霊さん!!


『精霊さん』は、小さな頃からの私の秘密の友達だ。


 私には何故か物心付いた時から精霊が見える。


 それは母も同じで、当たり前の様に精霊が側にいて喋ったり遊んだりしていたので、それが普通の事だと思っていた。


 だから、父が精霊と話せず姿もぼんやりとしか見えていないと知った時は驚いたし、他の人に至ってはその存在すら気付いてない事には驚愕したものだ。


 今ももちろん私以外は誰もこの精霊に気付いていない。


 色と姿形は薄ぼんやりと見える様になったが、どうやら話かけてくる程の力は無い様だ。


 嬉しそうに私の周りをクルクル回った後コテンと首を傾けてこちらを見ている。


「……(ごめんね、今は人がいるから。今度遊びに来るからね)」


 私が小声でそう話しかけると、精霊さんはまた私の周りを数回クルクルっと回って花壇の方へと戻って行った。



 続いて案内して貰った図書室も素晴らしい物だった。


 他国の調度品も多く飾られたどこかオリエンタルな雰囲気の図書室は、まるで本の海かと思う程の蔵書に溢れている。

 

 これでも女官を目指し高等教育も受けた身だ。


 町の図書館から学舎の図書室、公爵家で自室以外に唯一出入りを許されていた公爵邸の図書室、様々な所へ足を運んだが、そのどれよりも伯爵邸の図書室は立派な物だった。

 何代か前の当主が他領に先駆けて他国との貿易を始めたとあって、他国の蔵書が多いのも嬉しい。まだ読んだ事が無い本がズラッと並んでいる光景は久しぶりに私をワクワクとした明るい気持ちにさせてくれた。


 嬉しそうに本の背表紙を確認していく私に、セバスチャンが声を掛けて来た。


「奥様は、本がお好きなのですか?」

「ええ、大好きよ! この図書室は、これから私も自由に使っていいのかしら?」

「もちろんでございます」

「まぁ嬉しいわ! 早速何冊かお借りしても?」

「もちろんでございます。お選び頂ければ、後ほどお部屋へ届けさせて頂きます」


 セバスチャンの返事を聞いて嬉しくなった私は小躍りしそうな足取りで図書室の中を物色した。

 本も何冊かは選ばせて貰ったが、結局全ての本棚を見て回る事すら出来なかった。


 昼食までの時間では邸全体を案内するのは難しいとは聞いていたけど、まさか庭園と図書室だけでも見切れないとは。伯爵邸の豪邸っぷりは本当に規格外だわ。


 その後は、味も量も共に申し分無い昼食をこれまたしっかり完食した後、セバスチャンに邸の事について色々教えて貰った。


 当たり障りの無い事しか説明してくれない辺り、私の信用は無いらしい。


 婚姻までの過程を考えれば当然の事だし、むしろペラペラ喋ってしまうより信用出来るとも言えるだろう。


「伯爵夫人としてのお仕事は、今はどなたが代行なさっているの?」

「侍女長のミシェルでございます」

「そうなのね……。ねぇセバスチャン、私は少しずつでも伯爵夫人としてお仕事をしていきたいと思っているの。何か出来る事はないかしら?」

「旦那様からは、奥様にはゆっくりお過ごし頂く様言付かっております。仕事については私共使用人にお任せ頂き、まずはこちらでの生活にお慣れ下さい」


 うん、つまり余計な事せずに大人しくしとけって事ね。


「そうだわ! 結婚式に参列して下さった方達にお礼状を書くのは妻の務めではない?」

「既にミシェルが代筆しておりますので、ご安心下さい」


 ……くっ、仕事が早いな伯爵家!!


 仕方ない、いきなり出過ぎた真似をして反感を買っては元も子もない。

 とりあえず部屋で大人しく本でも読もう。


 食事を終えて自室へ戻ると、午前中に選んだ本が部屋に届けられていた。


 隣国の歴史や文化について書かれた物に公爵家では読ませて貰えなかった政治や経営の本(女に政治や経営の知識は必要無いんだってさ! 古っ!)、伯爵領の風土や特産品について書かれた物、庶民に好んで読まれている民話の本から大衆娯楽小説まで。


 実にバラエティーに富んだラインナップになっている。


 うん、これだけあれば暫くは暇をせずに済みそう。


 精霊達にも会いに行きたいし、この邸の事ももっと知りたい。焦らずに少しずつ使用人達と打ち解けて、信用を勝ち取っていこう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る