第10話 義妹・クリスティーナの来襲

 それからさらに2週間程が過ぎたある日の事。


 私はマリーが淹れてくれたすっかりお気に入りのカモミールティーを飲みながら、マーカスから受けた伯爵領の報告やこの数週間で知った伯爵領の特産物など様々なデータをまとめていた。


 例えば、初日に着てそのあまりの肌触りの良さに驚いた部屋着。


 あれはてっきりシルクかと思っていたのだが、何と伯爵領で採れる糸を使って織った布だというのだ。


 しかも裕福な家の奥方達が趣味で織っている様な物で、殆ど流通はしていないという。


 なんという勿体無い話か!!


 あの品質ならば間違いなく王都の貴族にも大人気になるだろう。

 伯爵領の新たな特産品になるかもしれない。


 それから、伯爵家で出されているパン。


 小麦の味がしっかりしていて、公爵家で出される物より美味しいのだが、聞けばこれも伯爵領で穫れる小麦を使っていると言うではないか! そしてこれまた殆ど流通はしていない。


 勿体ない! 勿体なさすぎる!!


 もし伯爵領が貧しい領地であったなら、間違いなくこれらの物は王都に持ち込まれ、たちまち人気の商品になっていただろう。


 しかしながら、いかんせん伯爵家は金持ちだ。わざわざ領地にある物を売り込む必要も無かったのだろう。


 では何故そこまで伯爵家は金持ちなのか……。


 答えは至って簡単。マーカスからの報告にもあった通り、伯爵領には『宝石鉱山』があるのだ。この宝石鉱山から採れる宝石の原石は国でも指折りの品質で、他領から(特に隣のフェアファンビル公爵領からは歯噛みされる程)羨ましがられている。


 この鉱山が発見されるまでは伯爵家は他国との貿易で財を成して来たという歴史があったはずなのだが、近年の伯爵領の財政はこの宝石鉱山に依存しきっていると言ってもいい。


 鉱山の埋蔵量がどれ程あるのかは知らないが、永遠に鉱物が尽きない鉱山などある訳が無い。絶対にいつかは宝石は取れなくなるのだ。その時ほかの産業か廃れてしまっていれば、伯爵領の行く末は悲惨な物になる。


 先日の様子からして、マーカスがこの事に気が付いていないとは考えにくいのだが、何か考えがあるのか、はたまた伯爵家を喰い潰すつもりなのか……今はまだ時期尚早だが、いずれ見極める必要があるだろう。


 とり急ぎ私としては、万が一鉱山に何かあった時も領民達が暮らしていける様に、他の産業も発展させていきたいと考えている。


 一度領地にも直接行ってみたいな。


 そんな事を考えながらノートを閉じると、ふと階下から話し声の様なものが聞こえて来る事に気が付く。


「あら?何だか階下が賑やかだけれど、お客様が来られる予定なんてあったかしら?」

「いえ、そんな予定は無かったはずですが……」


 マリーも困惑顔で、様子を見て参ります、と部屋から出て行く。


 貴族の邸に前触れもなく訪れるなど、よほど親しい間柄でもない限りあり得ない。


 ユージーンの友人や親類だろうか?

 ユージーンはいつものごとく外出しているのだが、こういう場合は私が対応するべきなの?


 うーん? と一人首を捻っていると、マリーがますます困った顔で戻って来た。


「奥様にお客様なのですが……」

「え? 私!?」


 当然だが、突然訪ねて来る様な親しい知り合いに覚えは無い。

 自慢じゃないが貴族世界には友達の一人もいないのだ。


「フェアファンビル公爵家の、クリスティーナ様です」

「!!」


 その名前を聞いて顔を引き攣らせなかった自分を褒めたい。


「約束もしていないという事で、セバスさんがやんわりとお断りした様なのですが、嫁いだ姉を慕って訪ねて来た妹を追い返すなんて酷い!とゴネられているご様子で……」


 うわぁ……セバスチャン、ごめん。


 このままセバスチャンに対応を任せるのが正解なのかもしれないが、何せ相手はあの公爵令嬢クリスティーナだ。


 約束も無しに押しかけてきたのだから大丈夫だとは思うけど、使用人相手に不敬だ何だと騒がれたら少し面倒な事態になるかもしれない。


 折角少しずつ使用人のみんなとも仲良くなれて来た所なのに、こんな事で台無しにされては堪らない。


 本当は、クリスティーナの顔なんて二度と見たくないんだけど……。


 私は立ち上がると、胸元のペンダントをギュッと握った。


「……私が会うわ。フェアファンビル公爵令嬢を応接室にお通しして、大至急私の準備を整えて頂戴」

「かしこまりました!!」


 私の返事を受けてマリーがパタパタと部屋から出て行くと、入れ替わる様にしてダリアとアイリス、デズリーの3人が部屋に入って来た。


「奥様、流石に湯浴みの時間はございません。足湯で身体を温めながら手脚のマッサージ、ヘアセット、メイクと同時進行させて頂きます」


 ——そんなに同時に!?


 ダリアが言うが早いか、3人はそれぞれに素早く動きみるみるうちに準備を整え、私の支度に取りかかる。


 足を温められ髪を梳かされ顔にクリームを塗られ。3人がかりで磨かれる私が放心していると、パタパタとマリーが戻って来た。


「ご報告申し上げます。フェアファンビル公爵令嬢は第一応接室にお通しして、侍女長が対応しております。お茶は隣国アウストブルクから取り寄せたばかりのセイロンを、公爵令嬢のお好きなミルクティーにしてお出しし、お茶菓子は今王都で人気の名店…………」


 と、事細かにクリスティーナへのもてなしについて説明される。来客(勝手に来たんだけどね!!)をもてなす側として、当然その内容は把握しておかなければならないのだ。


 同時多発プロ……


 思わずそんな言葉が頭を過ぎる中、身体をプロ達にゆだねきった私は、クリスティーナの来訪の目的について考えていた。


 クリスティーナは『嫁いだ姉を慕って訪ねて来た』等と言っていた様だが、そんな事はあり得ない。


 クリスティーナは私を慕ってなんていないし、そもそも姉として認めてすらいない。


 何なら人間扱いしてるのかさえ怪しい。


 言い過ぎでも何でもなく、本当に私は公爵家でそういう扱いを受けて来たのだ。


 ちなみに、初対面で紅茶をティーカップごと投げつけられた。


『あなたみたいな人間が、貴族社会に受け入れられるはずが無いの。きっと伯爵家でも厄介者扱いされるに決まってるわ。いい? 親子共々フェアファンビル公爵家に泥を塗る様な真似だけはしないで頂戴ね!』


 結婚式の前日、嘲笑う様に言われたクリスティーナの声がまだ耳に残っている。


 私の事も両親の事も貶め続けた公爵家。


 行方が分からなくなる直前まで、そんな公爵家の事を案じ続けていたお父さん。


 周りはみんな両親は死んだと言うけれど、実は私は2人は生きていると信じている。


 多分、2人の失踪には何らかの形で貴族社会が関わっている。


 そう思っているからこそ、公爵家からも逃げ出さず、伯爵家にも嫁いで来たのだ。


 ——私は逃げないわよ、クリスティーナ。


 フェアファンビル公爵家の養女としてしか存在していなかったあの時は、公爵家の気持ち一つで私を消す事は簡単だっただろう。


 だからこそ、大人しく弱気な少女のフリをしていた。


 でも、今の私はハミルトン伯爵夫人。

 そう簡単には消せないでしょう?


「奥様、お支度が整いました」


 言われて、鏡に映る自分を見つめる。


 公爵家にいた頃とは比較にならない程美しく磨かれた自分がそこには映っていた。


 艶やかで流れる様な美しい金色の髪。

 人形の様に白く滑らかな肌に透き通った翠色の瞳。

 伯爵家で過ごした時間で取り戻した健康的な身体はメリハリを持ち、最新流行のドレスがそれを引き立てている。


 私は、鏡の中の自分を見つめてニッコリと微笑んだ。

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