第29話 専属侍女は労働の素晴らしさを分からせたい
「お帰りなさいませ、奥様。街はいかがでしたか?」
邸に戻ると、ダリアがにっこりと出迎えてくれた。
そのまま私室に戻り、伯爵夫人モードにチェンジしながら街で見て来た事を話す。
ダリアは商売上手な子爵家の令嬢だ。本人もしっかりしているし、意見を聞いてみたい。
「天気がいいから、店を開けずにピクニックですか……。父が聞いたら卒倒しそうですね」
「やっぱりそうよねぇ。確かに伯爵領の領民達って、みんな親切だし幸せそうなのよ。でも、どうしても違和感があって」
「光が強ければ、その分影も濃くなると言います。良くも悪くも欲が無いのかもしれません。以前奥様が感じられた活気の無さも、そこから来ていたのでしょうね」
欲が無い……か。
準備を整えた私がサロンでマリーとカモミールティーを飲んでいると、少し遅れてマーカスがやって来た。
「すみません、奥様。遅れました」
「大丈夫よ。マーカスは私に時間を取られている間も、普段の仕事量は変わらないのだもの。忙しくさせてしまってごめんなさいね」
私がマーカスも座る様に促すと、素早くマリーがお茶を入れる。
「単刀直入に聞くけれど、街の店に閉まっている物が多いのはどうしてかしら?」
いきなり核心を突かれた様でマーカスはドキリとした顔をしたが、それについて突っ込まれる事はもう想定していたのだろう。持参した資料を机の上に広げると説明を始めた。
「こちらの資料をご覧下さい。これがハミルトン伯爵領の社会保障と税率の一覧です」
……て、手厚い!! 想像していた以上の手厚さだ。しかも税率は低い。
伯爵家自慢の宝石鉱山は領営なので、必要経費を引いた後の利益はまるっと全て伯爵家の収入になる。領民からの税収を当てにする必要が無いのだ。
「伯爵領では昔からずっとこんなに税率が低いの?」
「いえ。確かに以前から税率は低い方ですが、ここまで極端になったのはここ十数年……先代の伯爵様が爵位について少ししてからですね」
なるほどつまり……
「お店が閉まっている理由は、『働かなくても食べていけるから』かしら?」
「ええー!?」
「……ご名答です」
それまで黙って話を聞いているだけだったマリーが驚きの声をあげ、マーカスは申し訳なさそうに項垂れる。
「一体いつから?」
「それもやはり、先代の伯爵様が着位されてしばらくした頃ですね。経営を鉱山に振り切った事で、他の産業に関わっていた領民の一部は職を失う形となったのです。それに対する救済策として税率を一気に下げました。社会保障に関しては、それ以前から何代にも渡って非常に手厚いと言われております」
「そうなのね。でも確か、伯爵領の失業率はあまり高く無かった様に記憶しているのだけど?」
「……新たに事業を始める者に対する手当がこれまた手厚くなっておりまして、自己資金が無くても店を持てるのです。なのでその、実際の労働状況に関わらず事業主になっている領民の数も相当数にのぼるかと……」
「「…………」」
気まずそうに説明するマーカス。絶句する私とマリー。
これは、想像以上に財力に物を言わせた力技だ。
ある程度は金の力で何とかしてるんだろうなーとは思ってたけど、ここまでとは……。
「つまり今日閉まっていたタルトタタンのお店も、儲けがなくても社会保障で十分食っていけるから、自分の気分次第で好きに休む……と、そういう事ですか?」
「そうですね。収入が一定の金額に満たない場合には、低収入手当という物もありますから……」
そんな物まであるの!? それじゃむしろ、真面目に働くのが馬鹿らしくならない?
「スイーツを楽しみにしている乙女心を踏み躙るなんて許せません! 私が労働の素晴らしさを分からせてやります!!」
マリーがプンスコ怒っている。
タルトタタンの恨みは深い。
労働の素晴らしさ……。
一見働かなくても生きていける今の状況は幸せで恵まれている様にも見えるが、働くのは何もお金のためだけでは無い。
仕事そのもののやりがいは勿論、それを経て得られる充実感や他者からの感謝、社会と繋がっている感覚……。
働く事を通して得られるものは案外多いのだ。
私も、多分働かなくても一生お金に困る事は無いだろうけど、それでも仕事はしたい。
それを何とか領民にも広げられるといいんだけど……何か作戦を練った方が良さそうだ。
また課題が増えてしまったなぁ、なんて考えつつ、私はもう一つ気になっている事があったのを思い出す。
「そういえばこれも気になっていたのだけれど、荷物を置きっ放しにして平気なのもここ十数年でついた習慣なの?」
「いえ、それももっと以前からそうでしたね。元々が伯爵領は豊かで治安も良い地域でしたから」
おお、そうなのか。凄いな伯爵領。
個人的には伯爵領から出た人が他所で騙されないか心配なのだが、そこの所は大丈夫なのだろうか。
……て、うん? ちょっと待てよ……?
「ねえ、マーカス。もしかして旦那様って領地で過ごされる事が多かったのかしら?」
「そうですね。幼少期の大半は領地で過ごされていましたよ」
…………純粋培養のルーツはここだったかー。
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