第61話 クリスティーナが現れた!!


 ……何だ、今のは。


 とんでもなく聞き捨てならない事を言われた気がする。


 少なくとも婚約者のいる王太子が、自身の配下の新妻に言っていい言葉ではない。


 ちなみに、王太子殿下の婚約者は隣国『アウストブルク』の王女殿下だ。


 つい先日までアレクサンダーお義兄様が留学していた国であり、今なお旦那様のお祖父様お祖母様が静養されている国でもある。


 そう、アウストブルクは様々な面でフェアランブル王国とは比べ物にならない程の国力を持つ大国なのだ。


 そんな大国の王女殿下と婚約しておきながら、なんという不用意な発言を……。


 筆頭公爵家の残念っぷりから薄々感じてはいたのだが、もしかしてフェアランブルって王家も残念な感じなの?


 え? それ駄目じゃない?



「アナ! 大丈夫だったか? 何もされてないか!?」


 私と王太子殿下が一緒にいた事が余程心配だったのか、相当に焦った様子で旦那様が戻って来た。


 さっきの事を伝えたいけど……ここじゃちょっとな。


 誰かに聞かれていい様な内容ではない上、旦那様が取り乱す可能性がある。


「旦那様、声を落として下さい。私は大丈夫です」

「あ、ああ。すまない」

「……どこか、落ち着いて話が出来る場所というのはありますか?」


 旦那様は頷きながら答える。


「休憩用に開放されている個室がある。そこへ行こう」


 そういう旦那様の腕に手を添え、会場を出ようとした時の事だった。


「お義姉様ーーー!」


 という、可愛い義妹プリップリモードのクリスティーナの声が背後から聞こえた。


 振り返ると、絶妙に下品に見えないスピードのご令嬢走りでトトトトッとクリスティーナが駆け寄って来ている。

 

 可愛い、普通に可愛い。そこが怖い。


 そして、手にはご丁寧にも赤ワイン。


 あの子は私に何か液体をかけないと死に至る病にでもかかっているのだろうか?


 旦那様がクリスティーナから守る為に私の前に立とうとしたが、何かに気が付き、むしろ一歩後ろに下がる。ナイス判断です、旦那様。


「まぁっ、クリスティーナ! 走ると危ないわ」


 こちらもにっこり微笑むと、優しい義姉モード、かつ少し大きめの声で周りの注意を引く。


 ああ、クリスティーナのドレスも素敵だなぁ。


 ドレスという物がどれ程の時間と労力と人の気持ちをかけて作られている物か分かった今となっては、これから起こる惨事を思うと心が痛む。


 ……が、降り掛かる火の粉は払わねばなるまい。


「きゃあっ」


と、可愛い悲鳴が聞こえ、ワインが私に向かって降りかかって来たまさにその瞬間———


『『『ドッセイ!!』』』


 私の両サイドと頭上から頼もしい精霊達の声が聞こえ、超局所的な突風が吹いた。


 パッシャアァァン!!


「…………は?」


 そこにあったのは無惨にもワインを掛けられた私の姿……ではなく、まさかの顔面にワインを掛けられたクリスティーナの姿であった。


「なっ、なっ、な……」


 怒りか羞恥か、はたまたその両方か。

 クリスティーナはブルブルと震え、キッと私を睨んできた。


「なんでっ、私が!? あ、……いえ、えっと……

 ……酷いわお義姉様!」


 いやいやいやいや、それは無理があるでしょう。

 

 私がワインを掛けた事にでもしたいんだろうけど、クリスティーナがワインを持って私に駆け寄って来た所はみんな見てるんだよ?


「まあっ、可哀想に。困ったわ、クリスティーナ。お姉様が助けてあげられなくてごめんなさいね? 悪いお姉様ね」

「!!」


 私は大袈裟に困ったふりをして、自分でアイスを落としておきながら『アイスが落ちたー!!』とギャン泣きする幼児をあやすかの様な言い方でクリスティーナを宥めようとした。一部の貴族がプッと噴き出す。

 

 クリスティーナお得意の『義姉を慕う健気な妹と意地悪な義姉』ではなく、『お子ちゃまみたいなワガママを言う義妹とそれに振り回される義姉』設定に変えさせて頂きました。


 クリスティーナは真っ赤になってブルブル震えてるけど、早く退場しなくていいのかな?

 あまり人様にお見せできる様な姿ではないと思うんだけど……。


 何故か様子を窺うだけだった迎賓館の給仕係が数人、ここに至ってようやく飛び出して来た。


 給仕係達はクリスティーナを控え室へ連れて行こうとしていたが、クリスティーナは、


「私じゃないわよ!」


と、叫ぶ。


 いやいや、どう見ても退場が必要なのはあなたですよ? と思うのだが、何を思ったかそう言われた給仕係の1人が私の方へと向き直った。


「ドレスにワインが掛かっているといけませんので、どうぞこちらへ」


 ……いや、どう見ても一滴もかかってませんけど。


「お気遣い感謝します。ですが、ご覧の通り私にワインは一滴も掛かってませんわ」

「いえ、念の為に控え室で確認を……」

「結構ですわ」

「でも、万が一と言う事も……」


 何かめちゃくちゃグイグイ来る。


 というかこれ、もしかしてドレスを汚すだけじゃなくて、私を控え室に連れ込む所までがワンセットの作戦だったって事……?


 流石に背筋がゾッとした。


「妻は必要ない、と言っているが?」


 旦那様が私と給仕係の間に割り込み、私の腰を引き寄せる。結構な密着度なのだが、今はそれが逆に少し安心感があった。

あ、ちょっと頼もしい……のが悔しい。たのもくやしい……。

 

 慣れない夜会と令嬢達との連戦、その上想像以上の危険に自分が晒されていた事を知って、何だか疲れてしまった私はとりあえずこの場は旦那様にお任せする事にした。


 何となくそのままペトッと旦那様にくっついていると、肩の力が抜けていくのが分かる。自分でも気付かない内に、随分身体に力が入っていたらしい。



 そうこうしていると、騒ぎを聞きつけたのか人垣を掻き分ける様にしてアレクサンダーお義兄様が現れた。


 前髪からポタポタワインを滴らせている実妹と、旦那にペトッとくっついている義妹を見て、彼は一体何を思ったであろうか。


「これは一体何があったのですか? ハミルトン伯爵」


 この場を見て、旦那様に聞くのが一番いいと判断したのだろう。アレクサンダーお義兄様が旦那様にそう尋ねる。


「フェアファンビル公爵令嬢が妻に声をかけて下さったのですが、少し慌てていらした様で、ご自身のワインが掛かってしまったのですよ。今、係の者が控え室にお連れする所です」


 ギャラリーが大勢いる以上、もうどうする事も出来なかったのだろう。大人しく頷いたクリスティーナを見て、アレクサンダーお義兄様は給仕係に妹を託した。


「……アナスタシアは?」

「給仕係が妻のドレスも汚れていないか気にかけてくれたのですが、少し責任感が強すぎる者だった様ですね。断っているにも関わらず妻を連れ出そうとしたので、少し不安を覚えた様です」


 アレクサンダーお義兄様が少し剣呑な目でその給仕係を見る。


「で、出過ぎた真似をして申し訳ございませんでした!!」


 深々と頭を下げる給仕係を見て、ふぅ、と軽く溜息を吐いたアレクサンダーお義兄様は、手でもう行く様にとサインを出して給仕係を下がらせた後、私に向き直った。


「久しぶりだね、アナスタシア。少し疲れている様にも見えるし、積もる話もある。ハミルトン伯爵も一緒に私の控え室で少し話をしないかい?」


 こ、これは! まさに願ってもないチャンス!!



「はい! 是非!」



 私は気を取り直してそう答えると、アレクサンダーお義兄様ににっこりと微笑んだ。


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