第15話 見えていなかった物①(Side:ユージーン)
(Side:ユージーン)
「伯爵様、ハミルトン家の遣いだと名乗る者が訪ねて来ております。至急お邸にお戻り頂きたいとの事ですが……」
いつものサロンで学生時代からの仲間達とそれぞれの研究の成果について語り合っていると、サロンのオーナーが慌てて私を呼びに来た。
今までこんな風に邸に呼び戻された事など無い。
——あの女が何かやらかしたのか?
全くあれ程余計な事はするなと言っておいたものを……と舌打ちしながら帰り支度をする。
アナスタシアと婚姻を結んで数週間。
余計な事をするでも無く、謙虚に勉強に勤しみ、使用人達とも打ち解けた様子を見せているアナスタシアの事を少しは認めてもいいかと思い始めていたのだが、かいかぶりだったのだろうか。
「大丈夫か? ユージーン。大体お前、新婚だって言うのに奥方を放っておき過ぎなんじゃないか?」
「あの結婚が色々と訳ありなのは私達も知ってはいるが、それと奥方本人を蔑ろにするのとはまた別問題だろう?」
婚姻前に酒を飲みながら下卑た会話をしていた悪友達と比べると、こちらの友人達は至って善良な意見を述べて来る。
かつて、『友人を選べ』とお祖父様に言われた時、『皆同じ学園の卒業生なのだから分け隔てなく友情を育むべきだ』と主張した己の若さを思い出し小さく息を吐き出した。
『ユージーン、視野を広く持て』そう言っていたお祖父様の声も耳に蘇る。
——私には、何かが見えていないのだろうか?
ユージーンが急ぎ伯爵邸へ戻ると、邸の前でひどく狼狽えた様子のマリーが顔を蒼くして立っていた。
「どうした、あの女が何かしでかしたのか!?」
馬車から降りたユージーンが駆け寄ると、マリーは顔を蒼くしたまま首を左右に激しく振った。
「奥様は何もしていません!! フェアファンビル公爵令嬢が前触れも無く突然いらっしゃったのです。慕っている姉を訪ねて来たとはおっしゃっていましたが、奥様のご様子からするとあまりその様には見えなくて……」
——フェアファンビル公爵令嬢が?
妹が姉を訪ねて来るというのはおかしな話ではないが、恐らくアナスタシアは公爵家であまり良い扱いを受けていなかったのではないかと思う。
駆け落ちなどして家名を汚した人間の娘なのだ。何よりも己の名誉を大切にする貴族にとって、両手を挙げて迎え入れられるような存在では無いだろう。
しかし、私の知るフェアファンビル公爵令嬢は淑女の鏡とも言える美しく嫋やかな令嬢だ。アナスタシアが公爵家で難しい立場にいたからこそ、彼女だけはそんな義姉に寄り添っていたという可能性もある。
そういえば他家からの茶会の招待に混ざって、フェアファンビル公爵家からもアナスタシアに会いたいやら茶会に来て欲しいやら手紙が届いていると聞いた気がする。
他家との交流はどう考えても時期尚早かと思い全て断る様に指示していたが、そのせいで心配をさせてしまったのかもしれない。
……まぁ実際初夜では暴言を吐いてしまったしな……
正直後ろめたい気持ちはある。
その後ろめたさも手伝って、せめて夕食は一緒にとる様にはしていたのだが……。
「先程まではセバスさんとミシェルさんがお側に付いていたのですが、フェアファンビル公爵令嬢が人払いを願われて今は応接室にお2人だけなのです」
成程、その状態の部屋に入って行けるのは私だけかもしれない。
「分かった。とにかく様子を見に行こう」
マリーに上着を預けそのまま応接室へ向かうと、扉の前にセバスチャンとミシェルが控えていた。
「マリーから話は聞いた。詳しく状況を説明してくれ」
「申し訳ございません。前触れも無く突然フェアファンビル公爵令嬢が訪ねて来られまして。お約束も無い事ですし、取り敢えず今日の所はお帰り頂く様お願いしたのですが、自分は奥様の妹なのだから自由に会えないのはおかしいと、何か会わせられない様な事情があるのかと仰られたのです。それで使いの者をやり急ぎ旦那様にお戻り頂いたのですが、その前に奥様がご自分が対応すると……」
——ふむ。
この話だけ聞くと、やはり姉の身を案じたフェアファンビル公爵令嬢が訪ねて来ただけの様に思うのだが、何故使用人達はこんなに心配をしているのだろうか?
使用人の前での私のアナスタシアへの態度はおかしく無いはずだし、聞かれて困る様な事は無いだろう。
確かに強引に他家に上がり込む行為は感心出来ないが、それだけ姉を心配していたのかもしれない。
……もしや、あの女の公爵令嬢に対する態度が悪かったのか?
私に対してもあんな生意気な口をきくくらいだからな。十分あり得る。
「あの女が公爵令嬢に何か無礼でも?」
私がそう尋ねるとセバスとミシェル、後ろから追いかけて来ていたマリーがギョッとした顔をする。
何だ? 何か私はおかしな事を言ったか?
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