第16話 見えていなかった物②(Side:ユージーン)


(Side:ユージーン)


「……坊っちゃま。セバスは坊ちゃまのその真っ直ぐな所は長所であると思っております。しかし、貴族社会では表面からでは分からない事も多うございます」

「? 当たり前だろう。今更何を言っておるのだ?」

「これから私めがする事は褒められた事ではございません。しかしながら、それでも坊ちゃまにお見せしたい物がございます。ミシェルとマリーはこのままここで待機していなさい」


 そう言うと、セバスは公爵令嬢がいるはずの第一応接室ではなく、その隣の小部屋へと入って行った。


 不思議に思いながらもその部屋へ付いて入ると、セバスは壁に掛かっている額を取り外している所だった。


「こちらからは向こうの部屋の様子が見えるし声も聞こえますが、向こうからはこちらの様子は一切分からない様になっております」


 セバスが額を取り外した壁はガラス窓の様になっていて、応接室の様子が見えた。


 邸内にこんな仕掛けがあった事を知らない私は驚いてセバスに問う。


「一体いつから!? 誰が何の為にこんな物を作ったのだ?」

「もう何代も前の御当主様です。当時伯爵家は他国との貿易も多く、中には信用し難い取引もあったそうです。そこで交渉相手を見極める為にこの様な仕掛けを作ったそうですよ」


 確かに貴族の邸には様々な仕掛けがあるものだが、まさか自分も知らないこんな仕掛けがあったとは……。


 驚きながらも窓部分から隣の応接室を覗くと、何故かフェアファンビル公爵令嬢がティーポットを掴みアナスタシアににじり寄っている所だった。


 優しい妹が姉にお代わりを勧めている、という訳では無いよな。


『そんな風に表面だけ綺麗に着飾って男は騙せても、育ちの悪さは滲み出るのよ! 私がお似合いの顔にしてあげるわ!!』


 ……嘘だろう。


 とんでもない言葉が耳に入って来た。


 余りの状況に理解が追い付かない私を置いて、応接室の状況は刻一刻と悪くなって行く。


『本気ですか? 他家の夫人にそんな事をして、いくら公爵家の令嬢とはいえただでは済みませんよ?』

『大丈夫よ。これは正当防衛だもの』

『は?』

『お姉様が私に熱い紅茶をかけようとしたから、抵抗して揉み合っている内にお姉様が紅茶を被ってしまったの。

 ね? 正当防衛だわ』


 ——マズイ!!!


 私は部屋から飛び出すと転がる様に走り、その勢いのまま応接室の扉を開けた。


「きゃあぁぁぁーー!」


 ガシャアァン!!


 何故か部屋の中が眩しくて様子が見えない中、フェアファンビル公爵令嬢の悲鳴と陶器の割れる音が響く。


「アナスタシア!! 無事か!?」


 眩しかったのは一瞬だけで、直ぐに元に戻った室内。扉に背を向けて立つアナスタシアの姿を見つけ、私は駆け寄った。


「えっ? あ、旦那様!?」


 アナスタシアの肩に手を置くとクルリと身体をこちらへ向かせ、頭のてっぺんから足の先まで目視で確認する。


 良かった、紅茶を被った様子は一切無い。


 見れば何故かティーポットはクリスティーナとアナスタシアの丁度真ん中辺りで割れて転がっていた。


 溢れて絨毯に染み込んだ紅茶からはまだ湯気が立っている。

 こんな物被ったら軽い火傷では済まなかっただろう。


「怪我はないか? 紅茶はかからなかったか?」


 改めてアナスタシアをよく見ると、普段とは違い美しくドレスを纏い、髪も結い上げている事に気付く。普段より化粧も丁寧に施されていて、何というかこう……


 ——こいつ、こんなに美人だったか?


 何だかアナスタシアの周りがキラキラと輝いている様にさえ感じる。


 ——美しくて、まるで光が舞っている様に……って違うな。


 あれ、これほんとに何か飛んでないか?


 アナスタシアの周りを、数個の光がふわふわと飛んでいる。

 不審に思いその光を目で追いかけていると、それに気が付いたアナスタシアがギョッとした顔で私を見た。


「だ、旦那様? 何を見てーー」

「ユージーン様っ!!」


「「あ」」


 ふと見れば、完全に無視された形になったフェアファンビル公爵令嬢がプルプルと肩を震わせていた。


「これは失礼致しました。フェアファンビル公爵令嬢。本日は当家にどういったご用事でしたか?」


 笑顔で穏やかに挨拶をするが、先程隣の部屋からとんでもない物を見てしまった後だ。思わずアナスタシアを自分の背に隠してしまう。


「私、お姉様が心配だっただけなんです。でも、お姉様には私はお邪魔だったみたい……。ごめんなさい、お姉様」


 そう言うと目にウルウルと涙を溜める。


「きっと、私が何かお姉様の気に触る事を言ってしまったのね? だからこんな……」


 よよよっと泣き崩れる公爵令嬢。


 どうやらアナスタシアが自分に紅茶を投げ付けた事にしたいらしい。


 ——怖っ!!


 目の前にいる可憐な公爵令嬢が、先程までアナスタシアを罵っていたあの令嬢と同一人物とは俄に信じがたい。


「失礼致します。旦那様、お部屋を変えられては如何でしょうか?」


 部屋の空気がどうにもし難い雰囲気になっていた所、セバスが助け船を出してくれた。流石だ。


「あ、あぁそうだな。では別の部屋に案内しようか」

「いえ、旦那様。フェアファンビル公爵令嬢は丁度お帰りになる所だったのです」


 アナスタシアがニッコリとそう言う。


 フェアファンビル公爵令嬢は一瞬悔しそうにアナスタシアを見た気がしたが、ここで長居をしても自分に優位な展開にはなりそうにないと判断したのだろう。


「ええ、そうね。今日はこれで失礼致しますわ」


 と、ハンカチで目頭を押さえながら退室して行った。


 途中私の横を通り過ぎる時、


「あっ」


 と私の方によろめいて来たのだが、思わず避けてしまった。


 本来であれば支えて馬車までエスコートを申し出るのが紳士の行いなんだろうが……。


 ——とてもそんな気になれない。


 私のそんな空気を察したのか、デキる執事のセバスチャンが丁寧にフェアファンビル公爵令嬢を案内して部屋を出てくれた。


 ありがとう、セバス……。

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