旦那様、ビジネスライクに行きましょう!〜下町育ちの伯爵夫人アナスタシアは自分の道を譲らない〜
時枝 小鳩(腹ペコ鳩時計)
第1話 君を愛するつもりはない? ——安心して下さい、私もです。
「これは政略結婚だ。君を愛するつもりはない」
どこぞの大衆娯楽小説で読んだ様な、オリジナリティの欠片も無い台詞を吐いた旦那様(今日結婚したてホヤホヤ)は、超満足気なドヤ顔をしていた。
「分かっているな? 勘違いして、私に愛されようなどと分不相応な望みを抱くなよ!」
分かっている、これは政略結婚だ。私だって別に愛なんて求めていない。
……むしろ分かってないのは旦那様だ。
大体私のこの姿が、期待で胸を膨らました新婚初夜の花嫁にでも見えるというのだろうか?
こんなにガッチリした夜着の上に分厚いローブまで着込んだ私の姿が。
お色気なんて皆無だからね?
「一つ……いえ、いくつか宜しいですか、旦那様」
私はビシッと右手を挙げて、旦那様の目を見据えた。自分の言いたい事だけ言い逃げされたんじゃ堪らない。
気弱で従順な令嬢のフリはもうお終いよ、旦那様。
「まず、旦那様こそ政略結婚の意味を正しく理解しておいでですか?」
「……な!?」
「政略結婚とは、当人『たち』の意向を無視してでも、家の利益や政治的目的の為に結ばれる物です。……何故一方的にご自身だけが我慢しているとお思いですの?」
「なっ、そんなの当たり前だろう!? お前の様な元平民がこの由緒正しきハミルトン伯爵家に嫁ぎ、この私の妻になれたのだぞ!? 嬉しいだろう!?」
「いえ、別に」
「……!?」
絶句する旦那様を無視して私は言葉を続ける。
「嬉しいか嬉しくないかで問われれば、別に嬉しくもございません。それから、私が平民として育った事に異論はございませんが、現在は歴としたフェアファンビル公爵家の娘としてこのハミルトン伯爵家に嫁いで来たのです。その発言は公爵家に対する不敬に当たりますわ。お言葉にお気を付け下さいませ」
まさか私が言い返すとは思ってもみなかったのだろう。
呆気にとられてポカンと口を開けた姿は何とも間抜けで、折角の端正な顔立ちが台無しだ。
……まぁ、元々私の好みではございませんけど。
「まぁまぁ旦那様、どうぞお座り下さいな。どうやら私達の間には見解の相違がある様です。ゆっくりお話し致しましょう?」
私がそう言ってニーッコリと微笑むと、旦那様は気圧された様にジリジリと後ろに引き下がり、そのままストンと椅子に腰かけた。
ふっ、たわい無い。威勢が良かったのは最初だけね。
持って生まれた権力も使えない、一対一でのこの状況。坊ちゃん育ちの伯爵様と下町育ちの私でははなから勝負は見えている。
私は優雅な手付きでお茶を淹れると、旦那様の前にそっと差し出した。
伯爵家の侍女が緊張がほぐれる様にと置いていってくれたカモミールティーの香りが部屋を優しく包む。
「……あ、ありがと、う……?」
己が想像していた展開には全くならなかったのだろう。混乱の極みの旦那様が、おずおずと手を伸ばしてお茶を飲む。
一方私はというと、旦那様がお礼を言った事に対して少し驚いていた。
さすが、お育ちがいいとはこういう事か。
無意識でお礼が出たのだろう。
うーん、なんか根っから悪い人では無さそうなんだよなぁ……。
結婚相手としてはかなり頼りないけど。
何故か2人向かい合わせでお茶を飲んでいると、ふと旦那様と目があった。
ユージーン・ハミルトン。
国有数の資産を持つと言われる名家ハミルトン伯爵家の若き当主だ。
白磁の様な肌に整った目鼻立ち。
生い茂った樹々の様に深い緑色の髪は艶やかで、髪色より明るい緑の瞳はまるでエメラルドの様に輝いている。
この伯爵が社交界きっての美形である事は間違いない。
だから勘違いしちゃったのかなー。
女はみんな俺に惚れてるとでも思ってたのかな。
私としてはこういう線の細い美形タイプより、ガッシリした美丈夫の方が好みなんだけど……。これじゃヘタしたら私、腕相撲とか勝てちゃうんじゃないかしら?
「……私だってそれなりに鍛えている」
お茶を飲んでいた旦那様がボソッと呟く。
「あらやだ、私、声に出してましたか?」
「ああ。あーもう、なんなんだお前は?
以前会った時とはまるで人が違うではないか」
「それについては申し訳ございません。この結婚はフェアファンビル公爵家にとっても有意義な物ですので、破談にならないよう大人しく淑やかに振る舞っておりました。私の目的は公爵家の役に立つ事ですから」
私がそう言うと、旦那様は意外そうな顔をした。
「公爵家の役に立ちたいと、本気でそう思って嫁いで来たというのか?」
「ええ、勿論その通りですわ」
私の言葉は旦那様の腑には落ちなかったのだろう。納得いかない様な、怪訝そうな顔をしている。
しかしそれも無理もない。
ハミルトン伯爵家がどこまでフェアファンビル公爵家の内部事情を知っているのかは知らないが、少なくとも私の生い立ちと公爵家での扱いを知っているのなら、私が公爵家の役に立ちたいと言っている事自体信用がならないだろう。
私だって、自分なりの目的が無ければこんな事はしていない。
「旦那様、私は愛して欲しい等とは望んでいませんが、冷遇されるのはご遠慮申し上げたいのです。
……ですので一つ、ご提案がございます」
私は立ち上がると渾身のカーテシーを決めてにっこりと微笑んだ。
「ビジネスパートナーになりましょう、旦那様」
私の申し出があまりに予想外だったのだろう。何と答えていいか分からない、といった様子でマゴついている旦那様にじれったさを感じた私は、淑女の仮面を投げ捨てる事にした。
うん、だってもう結婚したからにはすぐに離縁って訳にもいかないでしょ。貴族ってメンツが大事だし!
目の前のテーブルにバンッと手を置くと、旦那様がビクッとする。
「愛なんて形の無い物、こっちも求めてないんですよ。白い結婚大歓迎! 仮面夫婦アーンド、ビジネスパートナーって事でいきましょう! これからよろしくね、ア・ナ・タ」
パチンッとウィンクすると、目を見開いて椅子からずり落ちて行く旦那様の姿が見えた。
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