第96話《最終話》ビジネスライクのその先へ
さて……と立ち上がり、フム、と座る。
さて……と立ち上がり、フム、と座る。
さて……と立ち上がり……
いかん、このままでは新手の筋トレになってしまう。
いつもならとっくに精霊トリオからの突っ込みが飛んで来る頃なのに、今夜は来ない。
この絶妙に気を遣われている感が何ともむず痒い。
立ったついでに鏡に映った自分の姿を見る。
伯爵家で用意されている物は、部屋着も夜着も全部可愛いけれど、それでも分かる。
今日の夜着はやたら気合いが入っている。
だっていつもよりヒラヒラというか、ふわふわというか、す、スケス……げふんげふん。
これはつまりアレだ。結局マリーにはバレバレだったという事なのだろう。
…………
………………駄目だ、考えたら負けだ!
このままうっかり朝にでもなってしまったら洒落にもならない。
ええーーーい!! 女は度胸だ!!
続きの間の扉を勢いよくガチャっと開けると、ベッドサイドの中途半端な位置でウロウロしていたらしき旦那様とパチっと目が合った。
しまった! ノック!!
「す、すみません旦那様! ちょっと、その、勢い余ってノックもせずに……! で、出直します!!」
慌てて自分の部屋に引っ込もうとすると、それより早く後ろから旦那様に抱きしめられた。
「大丈夫だから、行かないでくれ」
耳元で囁かれた旦那様の声に何だかゾクゾクする。
旦那様に抱きしめられるのは初めてではないけれど、何せ今はお互い防御力が薄い。
所々直接触れる旦那様の身体が、思っていたより逞しくて気が遠くなりそうになった。
……刺激が強過ぎる……。
これ、私生きて帰れるかな……?
旦那様に抱きしめられたままコクコク頷くと、旦那様はそのまま私を抱き上げてベッドまで運んでくれた。
頭の中で必死に指南書の内容を反芻していると、てっきりそのまま寝かされるかと思いきや、ベッドの端っこにちょこんと座らされる。
恥ずかしくてまともに見られなかった旦那様の方を改めて見れば、まだ少し湿った髪の毛と上気した肌が湯上がり感満載で、胸元がはだけたガウン姿の色気が凄い。
い、いつの間にこんな色気を身に付けたんですか、うちの旦那様は!?
美形のポテンシャルがコワイ!!
私が緊張でカチンコチンに固まっていると、隣に座った旦那様が、両手で優しく私の手を包み込んでくれる。
「アナ。その、あの時の私は阿呆で愚かな子供だったと思う。もう二度とアナを傷付ける様な事はしないから、あの日の———初夜のやり直しをさせてくれないか?」
……やり直し……。
『これは政略結婚だ。君を愛するつもりはない』
あの日、旦那様に言われた言葉を思い出す。
きっと、他の夫婦に聞けば最低の始まりだと言われるだろう。
それでも。
「嫌です。やり直しはしません」
「!??」
旦那様が私の言葉にショックを受けた様に顔色を悪くしていく。
「ち、違います! 旦那様を拒絶したい訳じゃなくて……」
だって、意外と私は気に入ってしまったのだ。
最低から始まった、旦那様とのこのストーリーが。
「あの始まり方も……、私達らしくて良かったんじゃないかなって、そう思える様になったんです」
『私に愛されようなどと分不相応な望みを抱くなよ!』と言い放った旦那様。
『愛なんて形の無い物、こっちも求めてないんですよ』と真っ向から受けて立った私。
そんな2人が色んな事を積み重ねて、乗り越えて、やっとここまで辿り着いたのだ。
「それに、その、……もしあの日、旦那様が誠実な態度で私を受け入れてくれたとして……。こんな風に幸せな気持ちで結ばれる事は無かったんじゃないかなって思ったら、だったらまぁ、結果オーライと言いますか……」
途中から自分が凄く恥ずかしい事を言っている事に気が付き、慌てて口を押さえたけど、時すでに遅し。
旦那様は首まで真っ赤になって、何だか泣き笑いの様な表情で私を見ていた。
「アナ……好きだ。大好きだ。アナに出逢えた事が、きっと私の人生で一番の幸運だ。一生感謝する」
旦那様がギュウッと力強く、それでも優しく抱きしめてくれるから、私はそのまま身体を委ねる事にした。
旦那様の温もりに包まれると、緊張で強張った身体からゆるゆると力が抜けて行く。
やっぱりここが、私の安心できる場所。
「私も大好きです。旦那様」
だから、やり直すんじゃなくて、これからも積み重ねましょう? 旦那様。
だって2人の夫婦生活は、まだまだ始まったばかりなのだから———
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