第19話 領地へ向かう前日に

 翌日、私はコック長のハリスに頼んで日持ちするタイプのクッキーを焼かせて貰う事にした。


 表向きは領地へ向かう馬車の中で食べたいからという事にしているが、実は精霊達へのお礼の品である。


「これは驚いた! 奥様は料理にお詳しいとは思っておりましたが、ご自身でもお料理なさるんですね。手慣れたものですな!」

「やっぱり貴族の夫人としてはあまり褒められた物ではないのかしら? 母に習ったから一通り料理は出来るのだけど、特にお菓子作りは大好きなのよ。出来ればこれからも時々作らせて貰えると嬉しいのだけど……」


 私が慣れた手つきでバターを混ぜていると、ハリスが興味深そうに覗き込んで来た。


「いやいや、私としては嬉しいですよ! ここの厨房は料理を楽しいと感じてくれる人間は大歓迎です。ここだけの話、先々代の伯爵夫人……ユージーン様のお祖母様もお料理が好きな方でね。よくユージーン様のお母様やユージーン様のためにお菓子を焼いておられましたよ」


 意外な所で旦那様のお祖母様のお話が聞けた。


 伯爵家で暮らす様になって数週間、先代の伯爵の話はほとんど聞かないのに、先々代のお話はよく聞く事に気が付いた。


 旦那様のお祖父様とお祖母様は使用人達によほど慕われていたのだろう。


 沢山焼いたクッキーを2個の缶に分けて詰め、それとは別にお皿にとっておいた分にはたっぷりとジャムを乗せる。


 そのクッキーを持って部屋に戻れば、待ってました! とばかりに精霊達が飛んで来た。


「みんな、昨日は助けてくれてありがとう! これはお礼のクッキーよ。さあ召し上がれ」


 私がテーブルの上にジャムクッキーを置くと、精霊達はクッキーを手に嬉しそうにクルクル回る。ニコニコと口いっぱいに頬張ってクッキーを食べている精霊達を見ていると、何だかこちらまで嬉しくなって来た。


 私もクッキーを1枚手に取ると口に運ぶ。


『クッキーを美味しくするコツはね、ぐるぐる混ぜない事と、焼く前によく冷やす事よ』


 お母さんの優しい声が耳に蘇ってくる。


「……お母さんに、会いたいな」


 上手にサクサクに焼けたクッキーは、ほんのりとした甘さで優しい味だ。


 でも、ちょっとだけしょっぱい。


 私は慌てて顔を上に向けると、クッキーをゴクンと飲み込んだ。


 涙は女の最終兵器なのだ。そう簡単には見せないぞ!


「あのね、みんな。私は明日からしばらく伯爵家の領地に行く事になったの。しばらくこの邸にはいないけど、心配しないでね」


 サクサクサクサクと小動物の様に夢中でクッキーを頬張っていた精霊達が、私の声に反応して顔を上げる。


『ついてく! ついてく!』


 鈴を鳴らす様な可愛い声が聞こえて来た。


『アナ好き! ついてく!』

『クッキーも好き!』

『はくしゃくのお花も好き!』


 突然聞こえた声に驚いて、精霊達に話しかける。


「え!? みんな喋れるの?」


『力足りない、人間にことば通じない』

『アナのクッキー、力いっぱい!』

『食べるとげんき! 森といっしょ』

『お花や木もげんきくれる』

『げんきげんき!』


 何だかよく分からないけど、クッキー食べて元気になったから話せる様になったのかな?


 そういえば、子供の頃仲良しだった精霊達も他の人の作ったクッキーではなくお母さんのクッキーが大好きだった。『手作りの料理にはその人の魔力が宿る』なんて迷信も聞いた事があるけど、精霊達はそういった物を敏感に感じ取る事が出来るのかもしれない。


 昔住んでいた田舎町の精霊達はもっとお喋りだったから、力が戻れば色々話せる様になるのかな?


 コンコンとノックの音がする。


「奥様? 領地に向かう準備を整える様にと仰せつかってきたのですが……」


 ミシェルだ。

 精霊達はクッキーを沢山食べて満足した様で、


『じゃーねー!』

『こんどはりょうちて遊ぼうね!』

『クッキーありがとうー』


 と口々に言いながら、キャッキャと消えて行った。


「あんまり急で驚きましたわ。通常旅のお支度を整えるには1カ月、短くても数週間はかかる物ですのよ?」


 それを、たった1日でなんて……と、ミシェルは少し呆れた様に言いながら、それでも恐るべき手際で必要な荷物をまとめていってくれた。


 ちなみにマリーは領地に付いて来る事になったので、今は大慌てで自分の荷物を詰めている。

 マリーにしたって、たったの1日で旅支度を整えるなんて初めての経験だろう。


 ごめんね、と思いはするのだが、仮に出発の準備に1カ月もかけていたら……。


 ——それまでの間に確実にクリスティーナは来る。


「奥様は元々お持ちの荷物が少ないので何とか準備も間に合いますが……。まさかハミルトン伯爵家の夫人がこんな軽装で領地へ行くなんて、貴族社会では誰も想像すらしないと思いますわ」


 ミシェルの言っている事は正論だ。


 しかしまぁ、新婚の夫人が単独で領地へ向かうのだ。あまり外聞の良い事ではないだろう。


 バレずにこそっと行けるならそれに越した事はないので、この場合は軽装も却って良いカムフラージュになるのではなかろうか。


 私が曖昧な笑顔で困っていると、ミシェルがフッと苦笑を漏らした。


「とはいえ、あの御様子ですとフェアファンビル公爵令嬢はまたすぐにでもお越しになられそうでしたものね」

「ミシェルにも心配かけたわね」

「とんでもございません。少し驚きはしましたが、坊ちゃまにとってもいい社会勉強になったと思いますよ」


 ミシェルがそんな事を言うなんて少し意外で、思わず顔を見上げてしまう。


 ……そして、ミシェルも坊ちゃま呼びなんだ……


 どうやら古株の使用人達からすると旦那様は『立派な御当主様』というより、未だに『大事な坊ちゃん』らしい。


 使用人達の意識を変える為にも、やはり旦那様にはもう少ししっかりして貰わないといけなさそうだ。


「奥様、領地に行かれましたら、しっかりお買い物も楽しまれて下さいね」


 トランクに私の身の回りの物を詰め終わったミシェルがそう言った。


 急にどうしたんだろう? 私の持ち物の少なさに同情心でも湧いたのだろうか?


 確かに公爵家から持たされた嫁入り道具の様な物は何も無いが、伯爵家で身の回りの物を用意してくれていたので、困った事など一度もない。


 強いて言えば、伯爵家で用意されている物が高価過ぎてコワイのが困り事だろうか。

 実は、『汚したり壊したりしたらどうしよう』と内心では未だに少しドキドキしている。


「今ある物で、十分過ぎる程よ?」


 そう言って、今着ている普段使いのワンピースの裾を広げて見せる。このワンピースも、その品質を考えるときっと恐ろしいお値段がするに違いない。


 怖い物見たさで聞いてみたい気もするけど、聞いたら絶対気軽にクッキーなんて焼けなくなるだろう。


 一応厨房に入る時にマリーがこれまた可愛いエプロンを付けてくれたけど、あのエプロンも絶対高いと思う……。


 服を汚さない為のエプロンを汚さない為のエプロンとか欲しかった。


「奥様が贅沢を好まれない方だという事はこの数週間でよく分かりましたが、伯爵夫人としては品位を保つ事も大切なお役目なのですよ?」


 そう言って私を見るミシェルの目は、最初の頃より随分優しくなった様な気がする。


「伯爵領にある商店は、王都に比べ流行の点でこそ劣るかもしれませんが、その品質は確かです。しっかりとお金を落として経済を回し、領主夫人が自分達の商品を愛用している、という誇りを領民達にお与え下さいませ」


 ミシェルに言われてハッとする。


 なるほど、確かにその通りだ。


 自分に学が足りていると思っていた訳ではないが、少し勉学が得意だったからと言って驕りがあったかもしれない。


 特に貴族としての気構え的な部分は、私に圧倒的に足りていない物だろう。旦那様の事を頼りないとか言っている場合ではなかった。


 私の方こそ、もっとしっかりしないと。


「そうね、分かったわミシェル。……ありがとう」


 私がそう言うと、ミシェルは私を見てにっこりと微笑んでくれた。


 いつも貴族女性の模範の様な笑顔を浮かべているミシェルの、心からの笑顔を見たのはこれが初めてだった。

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