第77話 虎穴には、入らなければならない時もある。

「罠だろう。絶対」

「……ですよね」


 お義兄様と王女殿下との晩餐の翌日。

『ハミルトン伯爵領産純粋培養貴族』の旦那様をもってしてもそう即答させる程に胡散臭い手紙が伯爵家に届いた。


 差出人はフェアファンビル公爵。


 内容は、アナスタシアに謝りたいから公爵邸に来て欲しい、という物だった。いらぬ。


 昨日のお義兄様の話と照らし合わせて考えると、私の虐待嫌疑をかけられた公爵が慌てて謝って和解しようとしていると受け取るのが自然なのだが。


 しかし私は知っている。


 公爵家奴らの辞書には謝るという文字は無い。


 というか、謝りたいから来いって何だ。

 謝りたいならお前が来い。既に謝罪の意思を感じない。


「こんな物、当然行く必要はないからな。アナは聴き取り調査にだけ協力して、後は国の然るべき機関に任せれば良い」


 旦那様の言うことは尤もだ。


 普通に考えればそれが最善なのは分かるのだが、実は私にはそうする事が少し不安な理由がある。


 公爵家が私の両親の失踪に関わっていた場合、このまま公爵が罰されれば、その情報を得る機会が失われてしまうかもしれないのだ。


 ある意味今は、私が優位な状況で公爵と交渉が出来る数少ないチャンス。

 このチャンスは活かしたい。


「旦那様。非常に申し上げにくいのですが……私、行こうと思います」

「何故だ!!?」


 驚いた旦那様が私の両手をガシッと掴む。


「前にも話しましたが、公爵家が両親の失踪に関わっている可能性もあるのです。今なら、私が優位に話を進められます」

「それならば、私が代わりに行こう。妻の代わりに夫が話し合いに出向くのは寧ろ自然な事だ。私はこれでもこの家の当主だ。滅多な事は出来ないだろう」


 旦那様が、公爵家に?


 あんな貴族社会の汚い部分を煮詰めたみたいな公爵家に、純粋培養旦那様を送り込むなんて……



『ユージーン様だって、私が少しその気を見せればコロッとこっちに靡くに決まってるんだから!!』


 かつて伯爵邸にクリスティーナが押し掛けて来た時に言っていた言葉とその時のいやらしい顔が頭をよぎり、サァッと顔から血の気が引く。



「嫌です、駄目です、行かせませんっ! あの邸にはクリスティーナもいるんですよ!? 何されるか分かったもんじゃありません!」

「だからこそ、アナを行かせる訳には行かないだろう!」

「旦那様の方が危ないのです! そんなの鴨が葱しょってお鍋にスポンッです!」



 お、お、お、美味しく頂かれちゃったらどうするんですかーー!?



『私が行く!』『いいや、私が行く!』と旦那様と2人ぎゃいぎゃい不毛な言い争いをしていると、いつの間にやら遊びに来ていた精霊達の冷たい視線が突き刺ささった。


『盛り上がってるところ悪いんだけど、お2人さん。何でどっちか1人で行く前提なのさー』

『そうだよ。2人で行きなよ、2人で!』

『というか、2人で行く必要も無いよね。アレクサンダーにも付いて来て貰いなよ。僕たちも付いてくし』


 た、確かに。何か知らないけど1人で行く頭になってた! 危ない。


『2人共さー、そのお互いの事になると周りが見えなくなるの、危ないから気を付けなね?』

「「すみませんでした」」


 カイヤに注意され、旦那様と2人頭を下げる。


 ……って、私も!?


 


 結局、公爵家へは2人で行こうという事になり、旦那様は公爵への返事とお義兄様への手紙を急いで書きあげてくれた。


 私が行くと言えば、向こうに否やは無いだろう。


 よし。明日は公爵邸へ殴り込みだ。


 もちろん1番の目的は両親の情報を得る事だけど、公爵には言ってやりたい事が山程あるのだ。この際だから言いたい事は言わせて貰おう。


 正直、公爵が素直に謝罪や反省をするとは思えないが、それでも少しでも自分達の非を認めるというなら、私からは虐待の件に関しては訴えなくてもいいと思っている。


 公爵やクリスティーナの為では勿論ない。


 公爵領の領民達やお義兄様の事を思えば、これ以上フェアファンビル公爵家の名を落としたくないのだ。




「大変です! 奥様!!」


 私がぼんやりそんな事を考えていると、マリーが顔を蒼くして部屋へ駆け込んで来た。


 気が付けば、邸の一階も何だか騒ぎになっている様子で喧しい。


 マリーが持って来た知らせは、昨日専門店に手入れに出した私の夜会のドレスが、何者かに盗まれたという衝撃的な物だった。


 —— クリスティーナだ。


 何の証拠も無いのにそう決めつけてはいけないのかもしれないが、何故だか私にはそう確信があった。

 

 あんの小娘! 人の気も知らないで!!


 折角私が公爵家の立場だの今後だの考えているのに、当の本人が何て事を。



 あのドレスは私にとって凄く凄く特別な物なのだ。


 使用人のみんなと領地のみんなが力を合わせて作り上げてくれた、旦那様から初めて贈られた世界でたった一つの大切なドレス。



 許せない! 絶っっっ対、取り返す!!

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