第56話 私の両親が消えた日
両親が消えたのは、私が高等学舎への進学を決心し、中等学舎を卒業した後の事だった。
今思えば、前触れが無かったとは言わない。
何故かその頃から精霊達の姿を見かけなくなったし、お母さんはぼんやり考え込む事が多くなった。お父さんもいつも何かを気にしてソワソワしていた。
でも、その頃は私自身もまさに受験勉強の真っ只中。平民にも学問への道が開けたと言っても、その道はまだまだ細く険しくて、高等学舎の入学試験はかなりの難関だ。
精霊達は私の勉強の邪魔をしない様に気を使ってくれてるのかな? と思ったし、2人の様子が多少おかしくても気にかけている余裕も無かった。
……この事を、私は今でも後悔している。
奇しくもその日は、高等学舎の入学試験の日だった。
高等学舎の入学試験は、遠方から来る受験生にも配慮して合格発表も即日行われる。
無事合格を勝ち取った私が入学許可証を手に喜びいさんで家へと帰ると、そこは無人だったのだ。
待っても待っても、お父さんもお母さんも帰ってこない。
初めの内は、『もう! こんな時に留守にするなんて、うちの両親は本当にズレてるなぁ』と、少し腹を立てていた私も、時間が過ぎるに連れて段々不安になって来る。
おかしいでしょう? こんな時に留守にするなんて。
私が家を出る時には、2人とも緊張した様子で、
『アナなら大丈夫よ!』
『良い知らせを待ってるからね。今夜はご馳走にしよう!』
なんて言っていたのだ。それなのに。
夜になって、町長さんが蒼い顔をして家に飛び込んで来た。
今日のお昼過ぎ、崖から落ちた乗り合い馬車が一台あった事。
馬車は崖の途中で引っかかった様だが、乗客はみんな海に投げ出された事。
馬車に残された荷物の中に、私の両親の物があった事。
矢継ぎ早に伝えられる情報に、頭がついていかない。
気が付けば1人、灯りも点けずに床にペタリと座り込んでいた。
おかしいでしょう? だって、こんな日に乗り合い馬車に乗ってどこかに行こうとなんて、するはずがない。
——乗客の生存は絶望的だそうだ——
最後に町長さんが言っていた言葉だけが耳に残る。
『アナ、なかないで。なかないで』
小さな小さな声が聞こえて、ようやく顔をあげると、そこには小さな光がふよふよと浮かんでいた。
精霊、ではない様にも感じたけれど、じゃあ何かと問われれば、やはり精霊としか思えない。
何だか不思議な精霊だったけれど、あの時は状況も状況だったので、深く考える余裕なんてとても無かった。
『ターニャ、だいじょうぶ。アナ、危ない』
「……! あなた、なにか知ってるの!? お父さんとお母さんはどこ!? 無事なの!?」
『アナ、逃げて』
「逃げてって……
『何故開かない!? 鍵は開けたのに!』
『これは結界だ!』
『素晴らしい……今度こそ当たりだ! 早く娘を!』
玄関の扉が突然乱暴にガチャガチャと揺らされたかと思えば、知らない男達の声が聞こえて来る。
……危ないのは……私?
ガッと手近にあった自分の鞄を掴むと、裏口から転がる様に飛び出して走った。
……考えろ、考えろ、考えろ!!
どこに逃げるべき? 人が多い所? でも、人を巻き添えにする様な危険な奴らだったら!? 友達の家は? それとも町長さんの所にー……
———そもそも町長さんは、信用できるの?
自分の中に湧いて出たその考えに愕然とする。
いつも親切にしてくれた町長さんを疑う必要なんて無いはずなのに、でも信じられる根拠もない。
『アナ、こっち』
光に導かれる様に、走って走って走って———
夢中で走っていると、前方から凄い勢いで一台の馬車が駆けて来た。扉が開き、聴き覚えのある声がする。
「アナ!!」
「おじ様!!」
おじ様は馬車から身を乗り出すと片腕で私を抱え込み、そのままの勢いでグッと中に引き入れる。倒れ込む様に馬車の中に入れられた私は、ようやく後ろを見て追っ手が付いて来ていない事を確認する事が出来た。
「おじ様! お父さんとお母さんが事故にあったって! 調べて下さい、きっと生きてるはずなんです!!」
だって、さっきあの精霊が『ターニャは大丈夫』だって言ってた。
おじ様は私を落ち着かせる様に肩に手を乗せ、ゆっくりと頷いた。
「私も、事故の連絡を受けて駆け付けた所だ。きちんと調べるから安心していい。それより、アナの方こそ何があった?」
「私は———
それから私は自分の身に起きた事をおじ様に説明した。流石に精霊の事は話せなかったけれど。
おじ様は何日もかけて事故の事を調べてくれた。
しかし結論から言うと、両親の死は覆らなかった。
2人が馬車に乗るのを見たと言う人間が複数いたことと、荷物が残っていたのが決め手だそうだ。
その後おじ様は正式に私の後見人になり、高等学舎に進学させてくれた。
しかも身寄りを亡くした私が通いやすい様にと、寮のある学舎を選んでくれたのだ。恐らく私の安全面を考えての事だろう。
本当におじ様には足を向けて寝られない程の恩を受けているのだが、公爵家のせいで現在は音信不通だ。
「そんな事があったのか……」
最後まで黙って話を聞いてくれていた旦那様が口を開く。
「よく、頑張ったな」
そう言うと、旦那様は私の頭をそっと撫でてくれた。恋人同士がする様な甘い撫で方ではなく、明らかに子供を撫でる様な手つきなのが旦那様らしい。
『勝手に触ってはいけません』と言って止めても良かったけど、意外と嫌じゃないからそのままにしておいた。
……少し、お父さんに撫でられてるみたいで懐かしかったから。
「それからは大丈夫なのか? 誰かに狙われたり、危ない目にあってはいないか?」
「あれから、それらしい目にはあっていません。危ない目と言えば、公爵家の人間に危害を加えられた位です」
私がそう答えれば、旦那様は露骨に顔を歪めた。
「そいつらが公爵家の関係者の可能性は?」
「最初は真っ先にそれを疑っていました。この事件があった一年後、実際に公爵家は私を探し出して引き取った訳ですし……ただ、結局余りにも分からない事が多くて」
「……成る程。もしかして、それでアレクサンダー殿と話を?」
私は少し考えてから答える。
「そうですね。とにかく、私は知らない事が多過ぎるんです。以前クリスティーナが、母の事を『辺境伯の遠縁』とか『一代男爵の娘』とか言ってました。少なくとも、私より公爵家の人間が情報を持っている事は確かなんです」
「辺境伯の遠縁……」
「私は、両親は生きていると今でも信じています。だからとにかく情報が欲しいのです。公爵やクリスティーナが何かを教えてくれる事は無いでしょう。希望があるとすればアレクサンダーお義兄様なのです」
旦那様は黙って頷いてくれる。
「そして出来る事なら、領地にいるという先代の公爵。……私の伯父に会いたいのです」
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