第67話 もしかして、私……
流石に一国の王太子が、座れと言われて素直に地べたになど座れる訳がないだろう。
王太子は怒りとも恐怖とも屈辱ともとれる引き攣った表情で、ブルブル震えながらその場に立ち尽くしていた。
ド修羅場だ……。
どうして良いか分からず同じ様に立ち尽くす私と旦那様に、お義兄様がそっと退室を促す。
確かにここから先はもう私の出る幕では無いだろう。発端は私だったかもしれないが、事が大きくなり過ぎた。これはもはや立派な国際問題だ。
廊下に出て部屋の扉を閉めると、お義兄様が『ふぅー』と大きく息を吐く。
旦那様は扉が完全に閉まったのを確認すると、小声でお義兄様に詰め寄った。
「アレクサンダー殿! 何故カーミラ王女殿下がここに!?」
それな。
いや、本っっっ当に驚いた。
私もこれまで相当色々な目に遭って来て、ちょっとやそっとの事では驚かない自信があったけど。まさか隣の部屋から大国の王女殿下がお腹抱えて笑いながら出て来るなんて誰が想像できようか。
「ああ、ハミルトン伯爵に手紙を貰ってから色々調べてね。思ったより状況が悪そうだったから、自分の出来る範囲で手を打たせて貰ったんだよ」
出来る範囲広いな!!
「ごめんね、きちんとした説明が必要なのは分かってるんだけど、中をあのままにしておく訳にもいかないから……」
そう言ってお義兄様は、今しがた出て来たばかりの自身の控え室を見る。
そうか、お義兄様はまたあの
ご武運をお祈り申し上げます。
「そうだな。明日の……夜になら時間がとれるかもしれない。先触れは出すから伯爵家に説明に行ってもいいかな?」
「勿論です。アレクサンダー殿の時間が合うようであれば、共に晩餐にしましょう」
「あはは、それは嬉しいな。可愛い義妹と義弟との晩餐が待ってると思えば、この後の残務処理も何とか頑張れそうだ」
そう言って笑うお義兄様の笑顔は、やっぱりお父さんによく似ていた。
これからお義兄様の、長い長い夜が始まるのだ。
きっと、もの凄い大変だろうな……。
本当に頭が下がる思いだ。
「ああそうだ。疲れてるとは思うけれど、このまま直ぐに帰るより、一度会場に戻った方がいい。……そうだな、一曲でもいいからダンスも踊っておけば尚良い」
お義兄様がそうアドバイスをくれる。
「このまま帰ると、何か勘繰られるかもしれないからね。何事も無かったかの様な顔をして、ついでに仲の睦まじさもアピールしておいで」
貴族社会ではね、印象操作も大切なんだよ。というお義兄様の言葉には説得力があった。
お義兄様は部屋に戻る前に私と旦那様を交互に見ると、満足げに頷いてこう言った。
「2人で、支え合っていってね」
旦那様と2人。並んで歩いている内に、どちらからともなく手を繋ぐ。
本来のエスコートの形からすれば正しいとは言えないが、人払いの影響かこの辺りに他の人間の気配はない。会場の近くに行くまではこのままでもいいだろう。
正直、今はこの手を離したくない。
歩きながら、ふとその握り合った手が震えている事に気が付いた。震えているのは私なのか、旦那様なのか、はたまた2人共なのか。
何か話さなくてはいけない様な気がして言葉を探す。
『いやー、それにしても王太子最悪でしたね』
『流石に本気で
『品性下劣とはまさにあの事ですね』
……なんか違うな。
『カーミラ王女殿下、凄い美脚でしたね!』
……絶対違うな。
もしや私は、ネーミングセンスだけではなく、会話のセンスも無いのだろうか?
何だか心許なくなって旦那様の横顔をチラッと見上げると、丁度旦那様も私を見ていたらしくバッチリ目が合った。
「あ、アナの背負い投げ! 凄かったな」
「…………」
……これも絶対違うと思う。
ヤバい、私達は似た物夫婦なのかもしれない。
また少し、無言のまま歩く。
少しずつ会場が近づいて来て、そろそろ誰かと出くわすかもしれないな、と思う。
手、そろそろ離さなきゃ駄目かな。
……嫌だな。
「……あの時」
私の手を握っていた旦那様の手にギュッと力が入る。
「あの時、凄く怖かった。アナが行ってしまうんじゃないかと思って。夫として不甲斐なかった。……すまない」
そんな風に思わせてしまったのか。
私としては最初から殿下に付いて行くという選択肢そのものが無かったので、そんな風に心配させるとは思わなかった。
「私、旦那様は守ってくれるって、ちゃんと信じてましたよ?」
「!!」
途端に真っ赤になる旦那様。
ふわっと目の前が薄翠の生地に包まれて、ああ、旦那様に抱き締められたんだなと気付く。
……どうしよう。全然嫌じゃない。
自分でもどうしていいのか悩みながらも、旦那様の背中に手を回そうかとソロリソロリと手を伸ばしたその時、一瞬早く我に返った旦那様がバッと私を離す。
「す、すまない! 試用期間の身で調子に乗った!!」
いや、調子に乗ったというか、感極まったというか、……とにかくやましい気持ちでは無かったんだ!!
アワアワと弁明を繰り返す旦那様を見ながら、私は呆然とさっきの自分の行動について考えていた。
どうしましょう、旦那様。
実は私……もう結構、旦那様の事……好き、なのかも……?
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