第91話 2人が重ねた時間
「では、旦那様は今日はマーカスと役所へ行かれるんですね?」
「ああ、パレードのルートの最終確認があるからな。アナは手入れに出していたドレスが戻って来るんだったか?」
「はい、受け取ってから実際に着てサイズも確認する予定です。痩せたり太ったりはしてないので、問題無いと思いますよ!」
最近はこうやって、朝食の時にお互いの一日の予定を確認する様にしている。
今朝の朝食はベーカー特製のパンケーキがメインだ。卵を黄身と白身に分けてしっかり泡立てる事でこんなにふっわふわになるらしい。
カリカリに焼いたベーコンとたっぷりのメープルシロップの甘じょっぱさがたまらない。
マリーが持って帰って来たお土産の中に、固めのほんのり甘いビスケットに塩味を効かせた王都でも人気の甘じょっぱいお菓子があったのだが、それを食べて以来、ベーカーの中で甘じょっぱいブームが起こったらしい。
うーん、これは確かにベーカーに色々な物を食べさせたくなるマリーの気持ちも分かるな。
そう思いながら、今朝のご飯も美味しく完食させて頂いた。
さて。
『ところで旦那様、私、旦那様の事が好きです!』
とか今言ったらどうなるか想像してみる。
……今日一日、旦那様が使い物にならなくなる予感しかしない。
やっぱり、朝言う事ではないよねー。
かと言って、わざわざ夜に続きの間でそんな事言い出すとか、『ヘイ、カモン!』みたいな感じに思われないだろうか?
変な想像をしてしまったせいで、顔がボンッと赤くなる。
「ん? どうしたアナ。顔が赤いぞ?」
「ふぁ、大丈夫です! あの、そう言えばパンケーキ食べ過ぎちゃって、お腹が膨らんでドレス入らなかったら恥ずかしいなーなんて。あはは」
しどろもどろになりながら誤魔化す私を、旦那様はニコニコと見つめている。
「あれくらいでそんな事にはならないだろう。私は美味しそうに食べているアナが好きだぞ。というか、どんなアナでも好きだ。大好きだ」
ドシュッ!! と私の胸に何らかのダメージが加えられた。
あの日以来、旦那様は事ある毎に『好きだ』とか『愛してる』とか言う様になってしまった。嬉しいけど恥ずかしい。
それに何より……
私が言いたいのにー!!
そんな私の葛藤など当然知らない旦那様は、爽やかに出かけて行ってしまった。
うう、帰って来てから。帰って来てから言うぞ!
私の方も、ドレスの確認以外にもする事は沢山ある。来週にはお義兄様とカーミラ王女殿下が伯爵領へやって来るので、その準備も当然必要だ。
幸いドレスには何の問題も無く、私のサイズも変わっていなかったので確認は直ぐに終わった。
しかし折角ドレスを着たので、そのまま当日のヘアセットとメイクも決めてしまおうと言う事になり、バタバタと様々なヘアセットを試している内に、旦那様が邸に帰って来た。
出迎えに出たかったけれど、流石にこの格好で行く訳にはいかない。
ようやく全てが終わってから聞くと、旦那様は執務室にいると言われた。
うーん、流石に執務室に押しかけて好きだなんだと言い出すのはよろしくないかな? と首を捻る。
そうだ! 『好きです』とか、告白じみた言い方をしようとするからいけないんだ。
『試用期間はお終いです。私も旦那様の事が好きになったので、本物の夫婦になりましょう』
とかなら、執務室でもいけるんじゃないかな!?
先日の馬の件もある。
正直自分がここまで拗らせた女だったとは思ってもみなかったが、これ以上熟成させるととんでもない事になりそうだ。
よーし、今度こそ行くぞ! 今度はたとえ何があっても引き返さない!!
気合いを入れて執務室に向かった私は、トントントン、と扉をノックする。
『誰だ?』
「旦那様、私です」
入室の許可を待っていたら、目の前でドアが中からガチャッと開いて、目を輝かせた旦那様が現れた。
「アナ!」
そんなに嬉しそうにしなくても……と、クスッと笑いが出てしまう。
実は身体にゴリゴリに力が入りまくっていたので、ふっと肩の力が抜けて気持ちが楽になった。
うん、これなら自然に言えそうだ。
部屋の中へ入れて貰った私は、改めて旦那様の方へ向き直る。
「実は、旦那様にお話があって来たのです」
「ああ、何だ?」
心を決めて旦那様の顔を見ると、走馬灯の様に色々な事を思い出した。
顔合わせの時、終始仏頂面だった旦那様。
新婚初夜で暴言を吐かれ、やっぱりこんなもんかと割り切った事。
お茶にお礼を言われたり、おかわりいるかと聞かれて、この人実はただのいい人なんじゃ? って思ったり。
クリスティーナから庇おうとしてくれた時はちょっと嬉しかったっけな。
私のドレスの為に王都から領地まで、旦那様自身が馬で駆け付けて来てくれた。
領地での日々は楽しかったな。
飴細工、嬉しかった。
贈って貰ったドレスは私の宝物になった。
ニューボーンユージーンには驚かされたけど、私と本物の夫婦になりたいって言ってくれた。
夜会ではずっと私を守ろうとしてくれてたな。
相手が王太子でも、一歩も引こうとしなかった。
正直中々出来る事じゃないと思う。
私が公爵家との因縁に決着を付けた時も、ずっと一緒に居てくれた。
そして私の事を好きだって。
愛してるって、そう言ってくれた。
私も———
「旦那様、試用期間はお終いです。その、わ、私も旦那様の事が好き、なので本物の夫婦になりたい……です」
何か、練習してたより後半ちょっと辿々しくなったけど、何とか言えたぞ!
と思って旦那様の顔をそっと伺おうとした瞬間。
旦那様にガバァッと抱きつかれた。
「本当に……いいのか?」
旦那様の声が震えている。
「はい、女に二言はありません!!」
「……ありがとう」
え!? 旦那様泣いてる!??
何だか泣いている様に聞こえた声に驚いて旦那様の顔を見ようとしたけれど、旦那様は私にギュウギュウ抱き付いていて離れない。
「そう言えば旦那様、実は私もまだ試用期間のままなんですが……正式に採用して頂けますか?」
「もちろんだ。返せと言われても絶対にお断りだ」
「……終身雇用でお願いしますね?」
そう言うと私は、あの夜会の日には戸惑って回せなかった手を、今度はしっかりと旦那様の背中に回す。
全身で感じる旦那様の体がとても温かかった。
……私ももう返しませんからね? 旦那様。
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