第三話

「いやーはっはっは、それにしても実にまったく、このわたくしともあろうものが御見逸れしましたよ。あなた様が、あの妖怪王紅蜘蛛丸様であらせられたなんて。ずずー」


 既に邸内に通され、竜胆は紅蜘蛛丸とともに茶卓を囲んでいた。竜胆が殺気を発して見せたのはほんの一瞬のことで、今はまったく屈託がなく、陽気の極みであった。茶請けはもちろん、さっき紅蜘蛛丸が買ってきた行者餅である。


「んー、癖になるお味ですね。むぐむぐ。ずずー」

「妖怪王紅蜘蛛丸様、はやめてくれ。そういうのは面倒でならぬ」

「じゃあべにさん」

「うむ。それでよい」

「宇治茶って美味しいですねえ。宇治というところは土がいいのかな」


 茶飲み話だからといって適当なことを言っている竜胆である。


「宇治茶というのは必ずしも宇治で摘まれた茶のことではない。近隣諸国から集められた茶葉を宇治の茶商人が煎じてな、洛中洛外に商うのだ。それを宇治茶という」

「へー」


 長いことこのあたりに暮らしているので、無駄に詳しい紅蜘蛛丸である。


「ところで紅さん。わたくしの知る『せちなとべにぐも』のお話によれば、あなた死んだのでは? 子孫をいっぱい残して、なんか百年くらいで」


 紅蜘蛛丸はふっと寂しげな笑みを見せた。


「あれはほとんどが作り話だからな。まず一つ言っておくと、わたしは人との間に子を成すことは出来ぬ」

「ふーん。じゃあ刹千那さんなんて人も実は本当は居なかったりなんて」

「いや」


 紅蜘蛛丸は竜胆の方から顔を背けて、言った。


「刹千那は確かに居た。今も、わたしと共にいる。ずっと」

「……まさかと思いますが、そのしゃれこうべ」


 もちろん今も紅蜘蛛丸は刹千那のしゃれこうべを傍らに置いている。さすがに畳の上に置いてはいるが。


「ああ。これが、刹千那だ」

「うわあ」


 さしもの人斬りもドン引きしているのだが、紅蜘蛛丸はそういう反応に慣れているので平気であった。


「じゃあ、その刹千那さんと出会ってからは人を喰らっていない、というのは?」


 と訊いた瞬間だけ、竜胆の瞳は氷のような冷たさに変っている。紅蜘蛛丸はそれにも気付いたが、素知らぬ顔をして返答した。


「ああいや、それは本当だ。試して三日も経つうちにはそれで別に何も問題がないということが分かり、以後ずっとそうしている」


 ちなみに、当たり前だが紅蜘蛛丸もさっきから煎茶を啜り行者餅をつまんでいる。蜘蛛というのは本来極めて強い肉食性を持つ生き物だが、今のように人間の姿に化身している限りにおいては紅蜘蛛丸はおおむね人間と変わらないし、普段は炊いた飯と味噌汁と漬物を食膳に並べて暮らしている。塩と昆布を利かせた大根の浅漬けが好物である。


「そうですか。あなたは、とは違うんだな」

「あいつ、とは?」

陰陽童子おんみょうどうじ。この名を……知っていますか?」


 紅蜘蛛丸はその名を知っていた。知っていたが、一瞬、返答しかねた。


「そなた、あやつと縁があるのか」


 陰陽童子は普通の妖怪ではない。普通の妖怪ではないが、定命の人間でもない。とある手段によって、不死になった元人間のばけものである。紅蜘蛛丸とは古くからの関係で結ばれている。


「わたくしの父と、兄二人。奴に喰われました。わたくしの実家は白河藩に仕える足軽の家だったのですが、それで絶えまして。仇を討つために、多摩の試衛館という剣術道場に通い始めた。そこの道場のあるじの跡取りであったのが、いま新撰組の局長を務めている、近藤勇という人物です」


 紅蜘蛛丸は黙って聞いている。


「わたくしは、そのために竜胆という元の名を捨て、今は新撰組一番隊組長、沖田総司を名乗っております。わたくしは、奴を斬らねばならぬのです」

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