第四話
鎌倉幕府三代将軍に実朝という
中世の武家社会では、元服に際し名付け親になることには重要な意味があった。その立場を務めた者は
実朝はこのことを深く恩義に感じ入って、和歌を詠んで後鳥羽院への返礼とした。後鳥羽院は新古今和歌集の編纂を命じたことで歴史に名を残しているというくらい和歌を愛好していたので、これをことのほか喜んだ。ちなみに二人の間では、蹴鞠も共通の趣味であった。
烈女として知られる母の政子や、陰謀家揃いの北条氏一門に囲まれて孤独であった実朝は、自らの手に幕府の実権を掌握するため、余人ならぬ後鳥羽上皇に自らの後援者たることを求めた。その一つの現れが、北条氏が計画した足利家の娘との縁組を拒絶したことであった。当時の足利の当主は鎌倉幕府の重臣で、とうぜん武家であり、余談を言うと室町幕府を建てる足利
少年将軍の請願を受けて鎌倉に送られたのは、上皇から見て母方の従妹にあたる
君が代も わが代も尽きじ 石川や
君が代とは明らかに当時の治天の君たる後鳥羽上皇を指しており、わが代というのはもちろん彼の将軍としての地位のことである。他の言葉にはそれほど深い意味はなく、その二つが並び立って長く続くことを祈願した内容の歌であると言える。
「よいことではないか。鎌倉の将軍家が朝廷を重んじ、朝廷は将軍を重んじ、その二つが東西に並び立つ。そうしてこそ天下が治まるというものだ」
「それはどうですかしら、紅蜘蛛のきみ。わちにとっては、鎌倉の将軍も、その後ろにいるとかいう北条のやつばらも、すべて憎い仇とその血筋であるに過ぎませぬ。みんなみんな、滅んでしまえばいいのに」
「菊。わたしならよいが、そんなことをよその人間の前で口に出すのは控えるようにな」
「それくらいは弁えております」
実際のところ、実朝は鎌倉ではあまり人気がなかった。彼が和歌や蹴鞠を好むことは武士としては軟弱の振る舞い、惰弱の態度と見なされたし、尼将軍の異名のもと幕府の実権を握る母政子は彼にとってまったく頭の上がらない存在だった。
「母上」
と、ある日将軍実朝は政子に相談を持ちかけた。
「和田翁が、
和田というのは和田
「武士は国司にはなれない、というのが亡き頼朝公のお定めだと、まさかあなた、知らないわけではないでしょう。絶対に許せないことです。そなたがどうしてもそうしたいと言うのなら、もうこの婆は隠居して引っ込み、一切政務に口出しなどしないことに致しますが」
実朝にはこの母を追放して実権を奪うような胆力は残念ながら、無かった。だが、この一件は想像以上に、大きな結果を引き起こすことになった。
即ち1213年、建暦三年の五月。恨み骨髄の和田義盛は鎌倉幕府に対し反旗を翻した。和田合戦の勃発である。義盛率いる和田一族が兵を挙げたのは鎌倉のど真ん中で、しかも最初に攻撃されたのは将軍のいる御所であった。将軍の身柄を抑え、幕府の統帥権を奪おうとしたわけだ。単純な反乱と言うよりはクーデタの性質が強かった。だが。
「将軍家におかれましては、お早く、こちらへ!」
「ああ、泰時どの。かたじけない」
幕府の実質的な総大将の地位に任ぜられていた北条泰時は、和田義盛の動きを読み切っていた。こちらはこちらで真っ先に実朝を保護し、近くの寺に匿って厳重な警備を敷いたのである。
こうして和田義盛によるクーデタの計画は頓挫し、鎌倉の反徒たちは二日ほどで掃討された。将軍御所にボヤが出る程度の被害はあったが、終わってみれば大豪族だった和田一族が滅亡し、北条氏の権力はさらに強化された格好である。
「まあ、良かったではないか。危うく天下に大乱の生じるところであった」
「良くありません、紅蜘蛛のきみ。鎌倉幕府など、御所ごと焼けて無くなってしまえばよかったのですわ」
「菊」
さて、戦勝を祝って開かれた酒宴の席で、泰時は大の上機嫌だった。
「いやぁ、実はあのときひどい二日酔いでな、甲冑を着て馬には乗ったものの、頭が痛くてしようがないから今後二度と酒などは飲むまいと誓ったのだ。だが、合戦が始まってからどうしても喉が渇いてな。それを口にしたら水筒と杯を出してそこに酒を注ぐやつがおったから、誓いなどはすぐに忘れてそれを飲んだのだよ。ま、人生なんてものは何事もその時次第だということだな。はっはっは」
「若殿。大酒をしなければよいんですよ、大酒を」
「それもそうだ。はっはっは」
その功績によって、もちろん泰時は将軍から褒美を与えらえることになった。
「北条泰時。そなたに陸奥国
ところが泰時はこれを断ってしまった。
「いえ。それがしは一族の敵を滅したまでのことで、お受けする謂われがありませんので。遠田は他の者にでもお与えください。熱海の方はもともと伊豆山神社の神領ですので、そちらにお返ししようと思います」
ちなみに泰時はこの年36歳の男盛りであるが、朝廷から讃岐守の称号を贈るとも言われたのに、これも断ってしまっている。誰というほどの人でもないが、彼に問うものがあった。領地や官職に興味がないのかと。泰時は答えた。
「その程度のものに興味は無いな。何しろ、それがしはそう遠くない未来、鎌倉幕府の執権として天下に号令する定めの身であるからなあ」
まだそれをはっきりと認識している人間はほとんどいなかったが、朝廷と幕府の対等なる関係の維持すなわち言うなれば公武の両輪による日本統治を目指す将軍源実朝と、かれ北条泰時とは、残念ながらともに天を戴くことのできない関係にあるのであった。
さて、ここまで東国で情勢が進んだが、京都でもちょっとした動きがあった。和田氏の僅かな残党で京都に逃れた者があり、彼らが既に亡くなっている二代将軍頼家の遺児で京都のとある寺で僧となっていた人物を担ぎ上げ、京都の幕府方の拠点である六波羅を襲撃しようと企んだのである。
その子の名が、
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