第五話

 六波羅は後世には京都における武士の活動拠点として知られているが、そもそもは寺の名前である。六波羅蜜寺というのが平安京の頃から真言寮の近く、六道珍皇寺のすぐ南西にあり、これに由来してそのあたりを六波羅と言った。


 その日、紅蜘蛛丸はたまたま、洛中巡察をして回った夜の帰り、深夜も丑三つ時という時刻に六波羅を通りかかったのだが、不審な人影がいくつも動き回っていたのでこれを怪しんだ。


「わたしは京都市中の鎮護を司る真言寮のもので、紅蜘蛛丸という。そちらは?」


 と誰何すいかしてみたのだが、返事がない。人間なのは深夜のことでも見れば分かった。どこの何者か分からないが、とりあえず捕まえておくか、と思ったところ、そいつらは次々に刀を抜き、紅蜘蛛丸に襲いかかってきた。


「おろかな」


 後年ほとんど見せることがなくなるわざであるのだが、紅蜘蛛丸は片手の皮膚を高質化させ、刃のように尖らせることができる。だから日本刀を用いる必要がないのである。


「ことを」


 もう片方の手には、いつものように刹千那の頭蓋骨を抱えたまま。


「する」


 紅蜘蛛丸は斬りかかってきた人間、三人までを斬り伏せた。


「ものだ」


 幕末の頃の紅蜘蛛丸なら、あるいは戦国時代の紅蜘蛛丸でも生かして捕らえようとしたかもしれないが、この頃の彼はまだ割と気の荒いところが残っていたのである。


「お前で最後だな」


 最後の一人は、掌中から蜘蛛糸を放って絡めとった。なんだか背が低いな、と思った。


「殺せ!」


 と言うその声は少年の声であった。


「そうはいかぬ。一人は口を割らせねばならぬから、貴様は生け捕りだ」


 昼間なら検非違使の庁に連れていけばよいのだが、いくらなんでもこの時間では少数の不寝番しか起きていないだろうし、また近所のことでもあるし、とりあえず真言寮に連れて行くことにした。死体はあえてそのまま放って帰る。現場保全である。帰ると、早起きをしていた菊に出迎えられた。


「おかえりなさいませ、紅蜘蛛のきみ。おはようございます。……そちらは?」

「不審の賊だ。六波羅で捕らえた」


 と、言うと、殺せと叫んだきり最前まで黙っていた少年が口をきいた。


「不審の賊ではない! おれは、将軍の子だ! 公暁と言う!」


 は? と、二人は顔を見合わせる。


「何を言っている。鎌倉の実朝公にまだ子はないと、天下に知らぬ者はあるまい」

「実朝の子ではない。おれは、殺された父、さきの将軍、源頼家の子なのだ。京都で寺に入れられていた」

「その割には剃髪していないようだが」

「武士は剃髪などしない。おれは武士だ」

「じゃあそれは別にいいが……仮にそれが本当だとして、その頼家の子の武士が夜中に六波羅で何をしていた」

「鎌倉の幕府を滅し、おれが将軍になるための大計を図っていたのだ。その手始めに、和田党の者とともに六波羅を焼き払うつもりだった」


 紅蜘蛛丸は菊と顔を見合わせた。


「和田党というのは、さっきわたしが斬った連中が、和田義盛の一族の者だったということか」

「そうだ」


 はぁ、と紅蜘蛛丸は嘆息する。


「菊。朝一番になったら、検非違使のところに人を遣ってくれ。この少年も連れて。あとのことはおおやけの裁きに任せるしかあるまい」

「いえ。紅蜘蛛のきみ」

「ん?」


 菊がこのとき浮かべた、後から思い起こして考えればあまりにも深い悪意に満ち満ちていた妖しい笑みを、紅蜘蛛丸は終生忘れることができない。


「可哀想ではありませんか。既に死んでいる和田党のことを通報するのはよいとして。この子は、わちが真言寮でひそかに匿い、保護して差し上げたいと思います」

「……そうか? まあ、確かにわたしも、哀れに思わないわけではないが……そうと言うなら、そなたに任せるが」

「はい」


 菊は紅蜘蛛丸に背を向け、少年に言った。


「坊や。おいでなさい。わちの名は 阿布都乃比菊。この真言寮の主です」

「わ、わかった」


 その少年の手を引き、菊は妖しく笑った。


「ひひっ」

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