第十三話

 だが結局のところ、真言寮が信貴山城に籠る松永軍の傘下に置かれて信長の率いる織田軍と徹底抗戦する羽目になる、などという事態は訪れなかった。理由は二つある。一つには、織田家はあまりにも多方面に敵を抱えすぎ、信貴山城には本格的な敵部隊が回されてこなかったこと。そしてもう一つは、信長包囲網の肝心かなめの支柱であった武田信玄が、にわかに陣没したためである。


 信玄の死からまもなく、足利義昭は京から追放され、室町幕府が滅亡した。織田家は素早く兵を動かし、朝倉家、浅井家、そしてかつて弾正の主家であった三好の宗家を滅ぼした。こうして信長包囲網はほぼ瓦解したわけだが、弾正はまだ信貴山にあって、にっちもさっちもいかない状況に置かれていた。


「婿殿」

「なんだ、弾正」


 櫻にはたまに会わせてもらってはいるのだが、この頃になるとすっかり態度がつっけんどんになっている紅蜘蛛丸である。


「櫻を返すから、信長公のところに行ってな、降伏を申し出てきてくれんか」

「あい分かった」


 というわけで、行った。信長は京にいたので、対面は難しくはなかった。久秀の申し出を伝えた。


「松永には一度、命を救われた恩があるからな。降るというならそれは認めてやろう。しかし当たり前のことだが、当然、条件がある。一つは人質だ」

「……はっ」


 紅蜘蛛丸はそのとき自分がどんな顔をしたのか自分では分からなかった。


「そんな顔をするな、紅蜘蛛の。櫻を岐阜に寄越せとはもう言わぬ。久秀のせがれの久通に、そのまた子がふたりいるであろう。その子らを寄越せ。あとは、多聞城をこちらに引き渡すこと。さすれば、信貴山城を安堵して降伏を認めよう」


 弾正と久通の親子は一も二もなくこの条件を呑んだ。


「紅蜘蛛様! また、わたくし寮に戻れるのですね!」

「ああ。もう金輪際、弾正のもとには帰さんから、そのつもりでいてくれ」

「まあ、紅蜘蛛様ったら。今回は、寮に何人の女を連れ込んでおりましたの?」

「……それは」

「うふふ。まあ、いいんですよ。今回は、悪かったのはわたくしの父なのですし」

「なあ、櫻」

「なんでしょう」

「寮に帰ったら、わたしと祝言を挙げないか。もちろん、わたしとの間に子ができることは無いのだが、どうか、その命の限り、わたしと添い遂げてくれ。後生だ」

「紅蜘蛛様。櫻は嬉しゅうございます」


 そう言って、櫻は紅蜘蛛丸に抱きついた。


「きっと、百歳ももとせの時の向こうまで、添い遂げ——」


 そのときだった。


 どこからか飛んできたそれは、槍だった。人間が使う、ただの槍だ。それが紅蜘蛛丸の胴を貫き、そしてそのまま、櫻の身体をも貫いた。


 それが呪術による手段であったならば、紅蜘蛛丸には、あるいは櫻の異能の力によっても、防ぎ得たかもしれない。しかし、飛んできたのは、ただの槍であった。であるが故にこそ、どうしようもなかった。


 近くに骸骨の兵の姿があった。しかし、その骸骨はその直後にあっけなく、がらがらと崩れ去った。


「ひひっ」


 という声がしたが、紅蜘蛛丸はそれにも気が付かなかった。もちろん、虫の息になっている櫻も。


「べにぐもまる、さま」

「櫻。喋るな。今、なんとか手当の手段を——」


 気休めである。だが気休めでも言うよりほかどうしようもなかった。


「櫻は、あなた様と出会えて、幸せでございました。どうか、それだけ……お忘れに、ならないで」


 それだけ言い残して、櫻は息を引き取った。

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