第三話

 櫻の破呪の力が効果をまったく発揮しなかったわけではない、と紅蜘蛛丸は思った。特に破瓜の瞬間、何か強力な脈動が自分の中を奔ったのを感じた。おそらくはあのとき、自分にかかっている呪いは一瞬だが解けたのであろうと思う。


 では、不滅の呪いが解けたのにも関わらず、なお自分が生きているのはなぜか。紅蜘蛛丸は呪術に通暁しているから、一晩中悩み考えた末に一つの回答に辿り着くことができた。


「あ……紅蜘蛛様」


 朝、目を覚ましてそうそう、櫻は赤面して顔を伏せた。照れているらしい。


「ゆうべはすまなかった」

「わたくし、だんな様がお謝りになられるようなことは、何もされておりませんわ」

「そうか。まだ痛みはせぬか?」

「……それはまあ。その」


 櫻はまた目を逸らす。そしてそれとは無関係に、紅蜘蛛丸は思索を走らせる。


「呪いが解けたはずのわたしが、なお死ななかった理由だが。おそらく」

「はい」


 まっすぐな瞳が紅蜘蛛丸を射た。女など慣れ尽くしてはいるが、この瞳には少し眩しいものを覚える、と紅蜘蛛丸は思った。


「おそらく……わたしを呪っているのは、わたし自身なのだ」

「と、申されますと?」

「わたしを不死にしたのは刹千那という女だ。これは知っているか?」

「はい。父より聞かされております」

「わたしは刹千那を愛している限り決して死ぬことができない。もしも、刹千那以外の相手をそれ以上に愛したとき、わたしは死ぬ。それがわたしの不死の秘密なのだが」

「まあ……」

「その、平安の昔に刹千那がかけた呪いが、五百年以上を過ぎてなお解けぬことに、いままでもまったく不審を抱かなかったわけではない。……つまり。刹千那本人がかけた呪いが解けた後も、わたしは、わたし自身で自ら、自分のことを呪い続けているのだ。つまり、刹千那を愛している限り死ぬことができないという呪いを、わたし自身が、自らにかけ続けているというわけだ。だからひとたび呪いが解けても、すぐに元に戻ってしまう」


 櫻は無言で、まだ裸身のままでいる紅蜘蛛丸のからだにぴた、と自分の身体を寄せた。


「紅蜘蛛様は、お哀しいお方なのですね」

「……そう言われることには、慣れている」

「お美しい方でしたか?」

「なに?」

「わたくしよりも、お美しい方でしたか?」

「それは……」


 どうだろう。と紅蜘蛛丸は思った。そもそも、自分が刹千那を愛した理由は、彼女が美しかったからということであるのかと言えば多分それは違う。いや、もちろん美しくなかったというわけではないが……


「いかがです? わたくしよりも、美しかったのですか?」


 櫻は食い下がってきた。紅蜘蛛丸は男としては非常に鈍い一面があるので、それに気付き、それを理解したのは三日も後になってからのことだった。三日間、臥所ふしどを共にすることをやんわりと断られ続け、ようやく合点したのである。……櫻という女がとても嫉妬深い、ということに。


「櫻。一つ言っておく。あー、あのな、美しさだけで言えば、そなたの方が美しい」

「まあ。わたくし、嬉しゅうございますわ」


 嘘を吐いているつもりではなかった。多少のハッタリを利かせているだけである。


 なんとなくそんなこんなの流れでふたりは睦まじい仲になり、それからまたしばらくの時が過ぎた。そして、その凶報が真言寮に届いたのは本当に唐突であった。


「大事に御座います! 大事に御座います! 将軍足利義輝公、二条御所にて弑逆しいぎゃくの由に御座います!」

「なんと、まあ。とんでもないことになったな」


 辰允の報告を聞いて紅蜘蛛丸は呆れた。いくら室町幕府がひどく弱体になっているとは言っても、こともあろうに現職の将軍が自分の御所で暗殺というか攻め殺されるなどという事態はさすがに前代未聞だったのである。


「して、下手人は?」


 紅蜘蛛丸としては、別に深い意図があって聞いたわけではなかったのだが。


「御所に討ち入り、火をかけましたるは松永弾正どのの手勢、とのことです!」

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