第二話

「当主である辰允ではなく、わたしの? それも、わざわざ正室ではなく妾にと」


 紅蜘蛛丸は不審の念を隠せない。


「失礼ながら、婿殿は人の身ではないと伺っておりまする。また、人間の娘との間に御子も為し得ず、従って正式な妻を迎えることは数百年来していない、と」

「それはそうだが」


 話はまだ纏まっていないのに、勝手に婿にされて紅蜘蛛丸は困惑している。まあ弾正の胸中の思惑の通り、断れるはずもないのだが。


「実は、櫻には生まれついての異能がありましてな」

「異能、ですと」

「左様。触れさえすれば、如何なる外術、如何なる呪術をも破りまする」

「なんと!」

「聞けば、不死の呪いにお困りであるとか」


 紅蜘蛛丸が不死であることや、ましてや不死の身にありながらそこから逃れることを望んでいることなどは、この時代の一般の人間が知っていることではなかった。自分のことを相当に調べ相当に研究しているらしい、と紅蜘蛛丸は気付く。


「分かり申した。つまり、その娘御を引き換えにして、真言寮の力を弾正どののものにしたいと。そういうことでしょうな」

「はは。その通りである。貴殿の呪いが今宵解けて今宵に死なれたならばもっけの幸い、真言寮はまるごと吾輩が頂く。そういうことであるよ」


 いっそ痛快なくらい横柄で傲慢な男だ、と紅蜘蛛丸は思った。さて、そういう次第であるから一人のうら若い少女が呼んでこられて、紅蜘蛛丸に引き合わせられた。


「お初にお目にかかります。わたくし、名をば櫻と申します。不束者ではございますが、なにとぞよしなに御寵愛をいただけますよう」


 もの言いは一見丁寧だが、押しは強かった。さすがにこの父親の娘であった。婚礼のかたちも体裁もあったものではなく、紅蜘蛛丸はそのまま櫻を連れて帰った。


「お帰りなさいませ紅蜘蛛丸様。はて、その娘は?」


 と言うのは辰允である。


「弾正どのの娘だ。新しい妾にする」

「はっ? え? 弾正って、松永弾正のですか!? あっちょっと!」


 辰允を無視して、紅蜘蛛丸は櫻を居室に連れて行った。既に夜なので、布団の支度はしてあった。


「気がはやる故、丁寧には振舞えぬ。かたじけない」

「いえ」


 その手を取る。櫻は従順であった。


「……」


 とりあえず、触れただけではどうにもならないことが分かった。一つ、そもそも弾正の言葉が本当なのかどうか疑うこともできたから、紅蜘蛛丸は櫻に向かって術をかけてみた。背中から放射状に巣を放ち、絡め取ろうとする。だが、櫻に触れるや触れぬの際に、紅蜘蛛丸が放った巣は溶けるようにして掻き消えた。


「話自体はまことのようだな。自分の意思で、操ることは出来るのか?」

「いえ。わたくし自身には、どうすることもできません。わたくしはただ、あるがままにあるだけです。ですが、そうしているだけでいかなる術も、わたくしの前には解けてしまうのです」


 念には念を入れるため、もう一つ試した。ごく簡単な術で、ひとの頭の上から桜の花びらを降らせる、というものである。ほんの茶目っ気であるが、やはり幻の花弁は櫻に触れることができずに消えた。


「御納得を頂けましたか?」

「ああ。……済まぬが、ここから先は手荒くするぞ」


 櫻は従順であった。また、生娘であった。紅蜘蛛丸はしかし容赦せず、普段の彼には珍しいくらい乱暴に、彼女を犯した。情欲のためではなかったが、彼の我欲のためであることに変わりはなかった。それは死という名の欲望であった。


 だが。


 翌朝になっても、紅蜘蛛丸はやはり生きていた。

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