僅かに百年あれば足りる

きょうじゅ

現代篇

百合

第一話

 紅蜘蛛丸べにぐもまるはこの千年というものずっと自分が死ぬための方法を、自分が死ぬための方法だけを探し続けている。


 出家の身にあらずして僧形、その身の丈は六尺と七寸余り。すなわち2メートルを超える長身で、そして背中には大きな放射状の、八筋になる赤い傷痕がある。それが彼の紅蜘蛛丸という呼び名の由来であると、多くの人が早合点をするが事実はそうではない。


 紅蜘蛛丸はそのような名であったから、そのような疵を背に受けたのである。その疵を彼に与えた人間の頭蓋骨されこうべを、彼は今も肌身離さず常に持ち歩いている。


「お坊様のお背中、すごい傷っすね。どうなさったんすか?」


 と、不躾な質問を投げかけたのは紅蜘蛛丸が今宵一晩を贖ったおんなであった。といって、花魁でもなければ夜鷹でもない。何しろ世はとっくに令和の御代を迎え、紅蜘蛛丸も買い物をするときはちゃんとマスクを付けていくし、専門の店で契約をして手に入れた自分のiPhoneを使いこなすことができるし、『インターネット』を利用して『デリバリーヘルス』の店に女を注文するといったようなこともするのだが、それでも千年の歳月を経て、彼の女の注文はなおも変わらない。


「ながい黒髪をした女はいるか」

「いま、すぐ向かわせられる中でも三人ほどいますが。他にご要望は?」

「なるべく、痩せた娘がよい」

「それでしたら百合ゆりちゃんを派遣させていただきます」


 その百合と名乗る女に向かって紅蜘蛛丸は、答えとも何ともつかない言葉を投げ返す。


「お前の身体に、お前が愛された証を刻んでやると。そのように言われてな」

「へー。またどえらい重い女さんと付き合ってらっしゃったんすね。あ、煙草お吸いになるんでしたら僕も吸っていいすか? はい。ありがとございます。では遠慮なく」


 紅蜘蛛丸は別に促されてもいないのに話を続ける。それも彼にとってはいつものことである。


「お前と同じように、長い黒髪をして、そして痩躯であった」


 ああ、未練引きずって同じような女とばかり寝たがるっていうそういう種類の男か、この坊さんの方もたいがい重いんだな、と女は思ったがそれは口にはしなかった。


「名は、刹千那せちなと言った」

「そんな名前の人が出てくる話がありましたね。せちなとべにぐも、でしたか。えーと、昔読んだ……誰だっけ、柳田國男の本だったような」

「娘。詳しいのだな」

「ええまあ。学部がそういう専攻で」


 確かにそのような古伝承が令和の世になお伝わってはいるが、広く知られているというほどの話ではなかった。


「そのべにぐもが、わたしだ。紅蜘蛛丸」

「へ?」


 女は首をかしげる。『せちなとべにぐも』は鎌倉期だったか平安期だったか、それくらいの昔を舞台にした民話であったはずだ。つまりこのがたいのでかいメンヘラ男は妄想も併発しているということだ、と考えた。無理からぬことではある。


「で、あなたの刹千那さんはどういう方だったのです?」


 金払いのいい狂人は、と女は思う。うまくあしらえれば上客だ。せいぜい話に付き合ってやろう。


「あれは、京にみやこが移されて、まださしたるほど時も経たぬほどの頃のことであった」

「はいはい」


 夜は更けていく。ベッドサイドではその刹千那のしゃれこうべがずっと二人を睥睨しているが、もちろん女はそれを作り物だとばかり思っている。夜は、更けていく。

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