第二話

「紅蜘蛛丸さんって淡白なんですね」


 紅蜘蛛丸は百合と名乗る女のその言葉には返事を返さない。


「予約もせんと指名もなしでなのにいきなり御宿泊コース頼むなんて、よっぽど凄く催してらっしゃるのかと思ったのに。あれだけでもう満足なんです?」

「どうだろうな」


 その‟あれだけ”の一回にしても、まあ確かに紅蜘蛛丸はおんなに導かれるままに精を放ちはしたが、女の職業的な見立てでは、まったくもって心ここにあらずという感じだった。


「どうです、店には内緒ということでお願いしたいんですけど、もっかい、そんで次は本番しません? でいいっすよ」

「念のため確かめるが、この土地の言い回しで、それはどういう意味になる」

「そのための追加料金を取るのがエンつまり円盤えんばん、基本料金にコミコミでいいっすよってのがキ、基盤きばんです。――薄野ススキノは初めてで?」

「前にも来たことはあるが、当時はそういう言葉は無かった」

「ふーん。ご旅行?」

「そんなようなものだ。お前は、なぜわたしを求める?」


 金持ってそうだから次からがっつり本指名させるために決まってんだろ、バーカ、と女は思うが、そんなことは口にしない。選ぶべき言葉を考える。あなたが素敵だから、みたいなことを言うのは簡単だが、そういう風な言葉を欲しがる男とそうでない男というのが風俗の客の中にもそれぞれ存在しているし、たぶん紅蜘蛛丸は後者だと直観だけで正解を導き出した上で女はこう言う。


「生理が近づくとヤリたくなっちゃう体質なんですよね。まあ、相手は選びますけど、あなた遊び慣れてそうだし」

「そういうことか。それならば、構わん」

「はい。僕が上でいいですか?」

「ああ」


 演技の達者な女のよく響く睦声を聴きながら、空虚だ、と紅蜘蛛丸は思っている。なぜこうも空虚なのか、とずっと思っている。刹千那の面影だけをただ追って刹千那に似た女を求め続けること一千余年、紅蜘蛛丸は肌を重ねた女がいったい幾千幾万の数に及ぶかもちろん数えてはいないが、一度も満足というものを得たことはないということだけは確かに覚えている。


 本人は自覚していないのだが、実は紅蜘蛛丸には性欲というものがない。人間の男の機能を持った肉体に化身しているから精を放つことはできるが、所詮疑似的なものに過ぎない。紅蜘蛛丸はひとではない。はじめからひとの子として産まれた存在ではないし、だから自分にそういったものが欠けているということを理解することができない。もとは持っていて失ったものならいざ知らず、最初から持っていないし持ち得ないものを自分の心が欠いていると認識することは難しいものだ。神であろうが魔であろうがこの世に存在するものはみな己という制約の中に存在するのであって、自分の心を他人の心に照らすことなどは誰にもできない。


 紅蜘蛛丸の身体の上で、女がくずおれた。


「あのごめんなさい、僕だけ良くなっちゃって……でも出したいですよね? なんなら生します? 僕は構いませんけど」

「宿さぬ薬か」

「宿さぬ薬? ピルの事? 不思議な喋り方しますよね、ベニグモさん……ええ、もちろん飲んでます。ですので大丈夫。どうとでもお好きなように動いてくれていいですよ」


 このような折、紅蜘蛛丸は必ず女を四つん這いにさせて背後から乱暴に犯す。女の声から演技が消える。なんだ、澄ましてるけどやっぱそれなりに雄じゃん、とおんなは思ったがそれは正しくない。


 紅蜘蛛丸がこのようにするのはただ、ひとえに刹千那がこの交わり方を最も好んだからである。刹千那の死をその目で見届けてより一千と余年、なおも紅蜘蛛丸はそのことを決して忘れない。


 同じような長い髪の同じようなこそばゆさが、ほんのわずか紅蜘蛛丸に遠い日を思い起こさせる。しかし、それでもただそれだけだ。紅蜘蛛丸は満たされない。


「はー、はー……あの、良かったです……これはリップサービスじゃないんで……」


 おんな臥所ふしどの中で紅蜘蛛丸にもたれかかって眠りに落ちた。しかし紅蜘蛛丸は眠らない。彼は死ぬことがなく、また眠ることができない。もう一千年、一度も眠りというものの中に身を安んじたことがない。それもまた刹千那がかれに残した呪いである。


 と。部屋の隅の闇の中から、紅蜘蛛丸に声をかける者がある。


「眠りましたね?」


 鈴の鳴るような少女の声。


「まったく」


 紅蜘蛛丸はこの鈴の鳴るように可憐な声が臥所の中ではどのように変化するかを知っている。


「またあたしから逃げて。あたし以外の女を抱いて」


 女の言葉には棘と怒気と、そして男に対する強い執着が宿っている。


「許さないですよ。今度という今度は」


 女は調伏師ちょうぶくしである。


「殺して差し上げます。紅様」


 女の名は、彼岸花ひがんばなという。

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