第六話

 式部は姫に晴明の来意を伝えた。もちろん、刹千那には晴明が言っているのが誰のことなのかすぐに分かった。とりあえず、紅蜘蛛丸の意思を確かめる。


「あ、あの老人はいったい、何者なのだ」

「みやこで一番の陰陽師で、調伏師。有名なのよ。すごいお力をお持ちなんですって。あなたとはどういう関係なの?」

「別に、何の関係もない。ないが、声をかけられてなんとなく怖かったから、この屋敷の庭に逃げ込んだ。そうしたら、お前に会った」

「そうなんだ。じゃあ、晴明さまがあたしと紅蜘蛛丸を引き合わせてくださったのね。なんて返事をしましょうか」

「素知らぬふりをして追い返しても、きっとまた来るだろう。正直に、名乗り出ようと思う」


 というわけで、客を迎えるための間に招いて、対面することになった。姫は客人の前に顔を見せたりはできないので、別室にいる。


「あんたのいう赤い蜘蛛というのは、おれのことだろう。飼われていた覚えはないが」

「なんだ、この屋敷の者ともう馴染みになったのか。野の気配しかせぬのに、存外に人懐こい奴よの。ほっほ」

「おれに、何のようだ?」

「単刀直入に言おう。お前、わたしのシキにならぬか」


 式、というのは、式神シキガミとも言うのだが、ひとに使役される鬼神や妖怪などのことである。後世にはそうしたわざの使い手は減るが、安倍晴明は史上最強の調伏師かつ、伝説的なまでの技量を持った式神使いであった。


「シキになると、どうなる」

「住むところに困らぬようになる。わたしと一緒に宮中にも上がれる。飯は好きなだけ食わせるし、週に二日は休みもやるぞ」


 紅蜘蛛丸のこの当時の頭脳では判断に余る話であったので、刹千那に相談することにした。


「おれは、どうすればいいと思う?」

「そういうことならお願いがあるのだけど」


 刹千那は瞳を輝かせていた。


「宮中に紫式部という方がいらっしゃるのだけど、その方から、『源氏物語』の新しい話を写してもらえるようにお願いさせていただけないかしら」

「よ、よく分からないが、善処する」


 誰も反対するものはなさそうだったので、結局、紅蜘蛛丸はその話を請けることになった。


「紅蜘蛛丸。また、あたしのところにも遊びに来てね」

「あ、ああ」


 晴明は身分の割には変わり者であった。東山、当時は平安京の外であって周囲には鳥辺野と呼ばれる墓所と僅かばかりの田畑が広がっているだけの場所なのだが、そこに草庵を結んでいて、人間の従者は使っていないらしい。式は紅蜘蛛丸の他にも何人かいるようだが、その全容は紅蜘蛛丸にも把握できない。


 式とは言うが宮中に出自するなどというのは稀な機会のみのことで、普段の仕事は下男のするようなことばかりであった。薪割りをしたり、水汲みをしたり、風呂を沸かしたり、そんなような素朴な暮らしである。だが紅蜘蛛丸はこき使われると同時に、都で暮らす文明人としての最低限の教養などを叩き込まれもした。


 休みは本当にもらえたので、紅蜘蛛丸は刹千那のところにまめに通った。宮中で、晴明のつてを辿ってどうにか人を介し手に入れた『源氏物語』の写本を贈ると、刹千那はことのほか喜んだ。


「ありがとう、紅蜘蛛丸。あたし、あなたが大好きよ」

「あ、いや、あ、うん」


 その日、晴明のところに戻ってきた紅蜘蛛丸が上の空なので、晴明は彼に尋ねた。


「くもまる。一つ確かめておきたいことがあるのだが」

「なんだろう、我が主」

「そなた、あの按察使の大納言のところの姫に惚れておるな」

「惚れる、とは、どういったことを言うのだろうか」

「やれやれ」

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