第七話

 紅蜘蛛丸が晴明に仕えるようになってから丸一年ほどが経過した。紅蜘蛛丸はだいぶ人間らしさを増していた。


「くもまる」


 と、紅蜘蛛丸のことを呼ぶのは晴明である。


「なんだろう、我が主」

「そなた、人間になりたいとは思わぬか」

「にんげんに? 蜘蛛である、このおれが? 人間に化けるのではなく、完全な人間になれるのか」

「ああ。さすれば」


 このとき、晴明はにやりと笑った。


「あの姫の夫となることもできるぞ。婚礼の祝いは、このわたしが弾んでやろう」

「い……いいのか!? おれが、そのようなことになっても、本当にいいのか」

「それはわたしではなく、刹千那姫に問うべきことであろうよ」

「そ……それはそうだ」


 それで、紅蜘蛛丸は刹千那に和歌を送った。はっきり言って出来栄えは下手であったが、ともかく、それは求愛のための文、つまり恋歌であった。返歌はちゃんと届いた。そっちはそれなりにまあ人並みにちゃんとした出来栄えのもので、蜘蛛の糸が天から地まで伸びるように、あたしはあなたと百年ののちまで添い遂げたい、という旨がしたためられていた。


「刹千那。おれは、そなたのことを好いている。きっと、初めて会った、あの夜からだ」

「ふふっ。不思議なものね。蜘蛛に恋をされて……こうして、蜘蛛と結ばれるなんて。不思議な、不思議な神様のお導き」


 さて、この時点ではまだ、紅蜘蛛丸はただの妖怪であった。眠るし、不老でもなく、寿命もあった。問題はここからであった。


「紅蜘蛛丸を人間にしたとして、もちろん妖怪であるときよりも、寿命は短くなる。この先、生きておそらく百年程度が限度であろう。もちろん、それは人間である刹千那姫、あなたも同じことであるわけだが」


 刹千那は御簾の向こうで、ふふっと笑った。


「構いませんわ。男と女と二人、幸せな生涯を終えて果てまするまで、僅かに百年あれば足りる。足りぬということは、ありませんでしょう?」

「ま、それはそうだ。では、手順を教える。ここから先は、刹千那姫、あなたにやってもらわなければならない。この家に、この薬、霊膏を置いてゆくから、八週をかけて、紅蜘蛛丸の身体のどこかにこれを塗り込んでくれ」

「わかりました」

「断っておくが、これを塗ると紅蜘蛛丸はかなり苦しむ。だが、どうしても必要な手順だ。済まないが、そういうものだと思って我慢させてもらうしかない」

「はい。では、そういたします」

「今夜一晩は、精進潔斎をさせろ。薬を塗り始めるのは、明日からにしてくれ」


 と言って、姫の屋敷に紅蜘蛛丸を残し、晴明は帰って行った。


 その晩のことである。


「たのもう。儂は、蘆屋道満あしやどうまんと申す僧である」


 紅蜘蛛丸が応対に出た。もうすっかり、この屋敷の主、姫の夫みたいな立場になっているのである。道満という人物は、道摩どうまという自分の弟を探しているのだが知らないか、と尋ねた。紅蜘蛛丸は正直に答えた。


「申し訳ないが、この屋敷の誰も心当たりはないと言っている」

「そうか。それはご迷惑をかけた。では、これにて御免」


 道満は帰って行った。


 だが。


 道満という呪術師が密かに、晴明の置いていった霊膏を別のものとすり替えていったことに、誰も気が付かなかった。道満の宿敵として彼と長く対立している天才陰陽師晴明でさえも、気付くことがなかった。


 それが、紅蜘蛛丸の爾後千年に渡る呪いの始まりとなる。

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