第八話

「痛い。やめてくれ。勘弁してくれ。もう堪忍だ」

「ダメです。べにぐもまる、これはあなたとあたしの、幸せの為なのですから。愛された証を刻まれるのだと思って、我慢するのです」

「でも痛いんだ」

「我慢」


 刹千那が霊膏を塗ったところは朱色に変わるので、刹千那はほんの茶目っ気で、その塗り痕が背中に八筋の放射状になるようにした。


「あなたは紅蜘蛛丸だからね。背中に、紅色の蜘蛛のような八筋の痕があるから紅蜘蛛丸。なんかそんな感じになるわ。格好いいと思うでしょ?」

「どうだろう。よく分からない」


 刹千那は、紅蜘蛛丸に薬を塗るとき、こんな風に呟いていることが多かった。


「あたしのことをずっと好きでいてね。ずっと好きでいる限り、ずっとあたしと共にいてね。別のひとを好きになったりしたら、そのときは死んじゃってもいいから。でも、あたしをずっと好きでいてね。そう、叶う事なら永遠にでも」


 清明は急用が出来たとかで、しばらく顔を見せなかった。なんでも源頼光みなもとのらいこうという人物とともにどこかに鬼退治に出かけなければならないとかで、長く京を空けていた。それで、晴明が戻ってきたときには、もう何もかもが手遅れになっていた。


「あ、晴明さま。あの……薬は、すべて塗り終わったんですけど……何か、ずっと紅蜘蛛丸が苦しんでいて……それに、全然眠ることができなくなった、って言うんです」


 清明は紅蜘蛛丸の様子を見て、ひどく深刻な顔になって言った。


「これは……なんということだ。わたしのかけさせるつもりだった術式とは、異なる呪式が用いられている。間違いない。蘆屋道満、あいつにしかこんなことはできぬであろう。だが……おそらくこの呪い、やつ自身をここに連れてきてさえ、もはや外すことはできぬ」


 刹千那はそれを聞かされ、顔面蒼白となる。


「そんな。紅蜘蛛丸は、どうなってしまったんですか」

「くもまるは……くもまるは、そなたを愛している限り決して死ぬことができない。もしも、そなた以外の相手をそれ以上に愛したとき、くもまるは死ぬ。それが、今やつにかかっている呪いだ」

「そんな」


 刹千那は真っ青になり、その場に卒倒した。ただ気絶したという感じではなかった。布団に寝かせてすぐに、流行りの病であることが分かった。この時代、陰陽師というのは医術師も兼ねているので、晴明が病気治療のための祈祷を行うことになった。


「あのね、紅蜘蛛丸。誰でもいいから、あたし以外の相手を愛しなさい。それで、そうして極楽に往生なさい。後生だから。後生だからね。きっと、よ」

「刹千那。嫌だ。おれは、嫌だ。死なないでくれ。頼む、おれを残して死なないでくれ。百年、おれと居てくれるのではなかったのか」

「紅蜘蛛丸……困った子ね……じゃあ、こう言うわよ」


 刹千那は怖い顔になって、言った。


「だったらこのまま、お前の永遠を支配してやる。この僅か百年そこらの命にかけて。それが嫌なら、あたしを憎んで、あたし以外の相手を愛するがいいわ」

「百年など、生きていないではないか。そなたはまだ、そんな長く生きてはいないではないか……!」

「ふふっ。そうね」


 急速に、刹千那の命の灯が消えていくのを紅蜘蛛丸は感じた。


「ごめんね……」


 それが最後の言葉だった。


「刹千那! 刹千那ァァァァァァァー!」

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