第八話
信長はまもなく、本圀寺に将軍を置いたまま岐阜へと戻っていった。年の暮れる頃、櫻がいない無聊を心中に感じている紅蜘蛛丸のもとに、久秀のところから手紙が来た。
「信長公への御挨拶のため岐阜へと向かうが、婿殿も同行されるか」
という。紅蜘蛛丸は一も二もなくついていくことにした。久秀が信長への対面を許されたその日は、12月24日であった。紅蜘蛛丸は久秀の伴としてその場に同席することを許された。
「本日は、クリスマスに御座る」
「くりすます? 何だそれは」
いぶかる信長に、久秀が解説する。
「イエズスの宣教師どもが申すには、耶蘇教における、神が生まれた日であるとのこと。まあ、そのような戯け事はどうでもよいのですが、何でも耶蘇の民は、この日に贈答品を交わすとの由。ですので吾輩、こちらを持参してまいった。御納め下されたく」
横から紅蜘蛛丸が進み出て、進物を差し出す。信長が開封すると、中に入っていたのは久秀がいつだったか紅蜘蛛丸に自慢したあの三代将軍義満所用の茶入、
「これは!」
さすがの信長が大きく目を見開いている。感動で言葉もないらしい。
「如何でしょうや。ところで、クリスマスというものはですな、互いに贈答品を送り合う日、として知られているのです。そこで拙者からも一つお願いしたき儀があるのですが……」
と言う弾正の言葉を遮って、信長は言った。
「よし! こうまでしてくれるなら、わしも秘蔵の品を出さねばならんな。少し待て」
「あ、いえその」
信長は弾正を無視し、小姓が運んできた漆塗りの
「両手を出せ。二人ともだ」
「は、はぁ」
そういうわけで松永弾正と紅蜘蛛丸は、両手いっぱい、つまり四つの干し柿を信長から手ずからに与えられた。というか押し付けられた。
「あ、あのですね」
「なんだ? 四つでは足らんか?」
「いえその」
「美濃の名産、
「ああ。有名ですよね」
と、ようやくのことで紅蜘蛛丸が相槌を打った。長く生きているのでどうにかそれは知っていた。かくべつ干し柿が好物ではないので食べたことはないのだが、名前くらいなら知識にあったのである。
「うむ。ありがたく持ち帰るがよい」
こほん、と松永久秀が咳払いをした。
「まこと、もったいなき御心にて、ありがたく拝領させて頂きまする。されど、いま一つ願いたき義が」
信長は表情を改め、即答した。
「申してみよ」
「大和一国、切り取りのお許しを願いたい」
「是非もなし。許す」
「ありがたき幸せに存じまする」
切り取り、というのは戦国時代を理解する上で重要な概念で、ある武将が「自分の攻め取った土地」を自分の個人的な領地にしてもよい、と主人から認めてもらうことを言う。
さて、その後。紅蜘蛛丸は櫻にも会いに行った。櫻は信長の正室である帰蝶の侍女をやっていた。人質だからといって別に檻に入れられているというわけではなく、それなりに待遇は良かった。
「こんなに早く会いに来てくださるなんて。櫻は果報者ですわ」
「うむ、まあ、その」
紅蜘蛛丸は嬉しいのと恥ずかしいのがない混ぜで、照れた。とりあえずさっき信長から貰った干し柿を差し出してみる。
「まあ、これ、とても美味しいですわね」
「柿は
松永久秀はもういい年だが、実は割と健康マニアなところがある。『黄素妙論』を書いた医者とはもう長い付き合いになるし、普段からも毎日、延命のための灸を据えるという習慣を持っていた。
「ところで櫻。もしかしなくてもそうだと思うのだが」
「なんでしょう、紅蜘蛛様」
「信長公におかれては、干し柿に何か特別なこだわりがあるのかな」
「ああ」
櫻はからからと明るく笑った。
「干し柿だけではありませんわ。織田の殿様は甘いものに目がおありでなくて、干し柿以外にも瓜ですとか栗ですとか、何でもお好きですの。それから特に」
「特に?」
「
「はぁ」
紅蜘蛛丸は肩を落とした。信長が恐ろしい男だと思うことに変わりはないのだが、ひとり人間がいればそこにはいろいろな側面があるものだとも思った。
「無くて七癖とは言ったものだな、婿殿」
「ええ、弾正殿」
とまあ、そんな具合で、平和に年が明けた。しかし平和なのは正月までであった。
すなわち永禄十三年一月五日。信長に敵対する三好三人衆が兵を挙げ、将軍になったばかりの義昭がまだ在所している本圀寺に攻め込んだのである。
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