第六話
「深夜に深酒をしてから、その道を西に進んではならない。生きては帰れない」
というインターネット上の噂というか都市伝説のようなものを見つけて紅蜘蛛丸に教えたのはそもそも彼岸花である。深夜二十四時ちょうどに幻の商店街への入り口が開く、というパターンもあったし、雨の日限定であるという説もあった。紅蜘蛛丸はもちろん両方とも試してみたのだが、結果としては夜中にひたすらそのあたりを散歩する羽目になったり、あるいは身体が濡れるだけに終わった。
「肝を冷やしたのはこちらですよ」
と、酒杯を傾けながらパウチコロムンは言う。
「何百年ものあいだに数多のあやかしを滅してきた調伏師の総本山である真言寮の長が、われらの神威小路に探りを入れている。いったい、何が目的なのかと思ったら」
パウチコロムンの言葉通り、真言寮というのはそもそも遠い昔に紅蜘蛛丸自身が創設したものである。
「……ここに来た人間は生きて帰れない、という噂がある。だからここに来れば自分も死ねるかと思った、なんて言われましてもですね。ここは自殺の名所でなければ、またわれわれは安楽死を提供するボランティアの団体でもないんです」
紅蜘蛛丸は眉間に皺を寄せ、寿司をつまむ。
「そうか」
「そうです」
紅蜘蛛丸の前には酒杯はない。これ以上呑むと潰れそうなので茶を嗜んでいる。ちなみに、カウンターの中で寿司を握っている男も人間ではない。人間の化身をとってはいるが、かすかばかりの邪気を発してるのが紅蜘蛛丸には感じ取れる。
「この街はお前が創り、お前が支配しているのか」
と、問いかける紅蜘蛛丸の口調は軽く、つとめてさり気が無い。だが、ここで答えを間違えると大変なことになるということが分からないほどにはパウチコロムンも紅蜘蛛丸について無知ではない。
「さて、どうでしょう?」
パウチコロムンは言葉を紡ぐ。
「われわれは人の
質問に対する答えにはなっていなかった。紅蜘蛛丸はかっぱ巻きを齧りながら問いを重ねた。
「ここに入ったために、生きて帰ることができなかったにんげんがいるというのは本当か」
その瞬間、パウチコロムンではなくカウンターの中の板前が強い緊張を発したのを、紅蜘蛛丸は感じ取ることができる。
「どうでしょう? わたくしは、神威小路の入り口で、案内人をしているだけの立場に過ぎませんから」
「そうか」
紅蜘蛛丸はひとまず追及を諦め、ガリをつまんだ。うまい寿司だった、と思っている。
「勘定は?」
と言って、紅蜘蛛丸は財布を出そうとしたのだが。
「ここでは日本円は流通しておりませんので。わたくしが立て替えさせていただきます」
とパウチコロムンに遮られた。
「では、次の店に参りましょう。シメパフェです。狸小路の梯子酒はこれでないと終わらないと、札幌市民憲章で定められておりますので」
「まだ飲み食いをするのか」
「ここは不夜城ですよ。それに甘いものは別腹と言いますでしょう」
神威小路を入ってきた側からさらに奥へと進んでいく。ごく現代的にファンシーな店構えの喫茶店があった。パウチコロムンは勝手に紅蜘蛛丸の分も注文した。注文するパフェの種類などはどうでもいいことではあったが、それより紅蜘蛛丸のあやかしとしての鋭敏な嗅覚が、一つの事実を捉えていた。
(店の中ににんげんがいる。……一人。女だ)
女の客は複数人いる。その中に、本を読んでいる者がいた。書名を盗み見る。こっそり視線を走らせたつもりであったのだが、女の方が紅蜘蛛丸に気付いた。なぜなら紅蜘蛛丸は滅茶苦茶に目立つ外見をしているのである。
「あれぇ? ベニグモさんじゃないですか」
その女、百合こと内田鹿子が持っている本は『せちなとべにぐも』であった。
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