第六話
禁門の変は二百五十年ぶりに起こった大名同士の戦争であったのだが、蓋を開けてみれば長州側が散々に負けた。長州軍本隊の到着を待たずに先遣隊しかいない前線で戦闘が始まってしまったことと、薩摩藩の将である西郷隆盛という男が素早く兵を用いてこれを迎え撃ったことが主な原因であった。
開戦から二日目。近藤勇率いる新撰組は、天王山の山頂に立て籠もる長州藩の敗残部隊に対する攻め手に加わっていた。ここは戦国時代には山崎城という山城が建てられていたくらいで、戦術戦略上の要地なのである。
「暑いですね」
旧暦の七月、太陽暦に直せば八月の後半に差し掛かったくらいの頃である。鎧兜を着込んで山登りをすれば暑いのは当然であるが、文句を言ったのは誰かと言えば竜胆である。
「沖田君。これは戦なのですよ」
と、嗜めるのは試衛館以来のかれらの同志の一人、
「戦でも何でも構うもんですか。こういうの性に遭わないんです。わたくし、武人である前に剣客なので」
沖田総司こと竜胆はがちゃがちゃと鎧を脱ぎ、あろうことかそれを隣で行軍していた山南に押し付けてしまった。兜は最初から被っていない。ちなみに胸にはさらしを巻いていて、ぱっと見ではそれでも女には見えない。
「ふう。軽くなった」
「そりゃあそうでしょうよ」
両手を塞がれた状態で山南はぼやいた。
「諸君。そろそろ山頂である。敵が近い。用心せよ」
と言うのは近藤勇であった。軽装になった竜胆はたーっと駆けて行って、一番先頭に立ってさらに走った。敵の姿が見える。名乗りを上げているようだった。
「討ち手の方々、いずれの藩にあられるか! 我は長州藩士、
幕府軍の側で真っ先に、序列のならいを無視して勝手に名乗りを上げたのは竜胆であった。
「会津藩預かり新撰組、一番隊組長沖田総司! お覚悟を!」
両軍他にも名乗ろうとする者はあったが、しかしその暇も有るか無きか、沖田総司こと竜胆は抜刀一閃物凄い勢いで敵の集団の中に一人で突っ込んでいった。血飛沫が上がる。あれよという間だった。
「敵将討ち取ったりぃー!」
真木和泉と名乗った将の首を、一太刀のもとに竜胆は斬り飛ばしていた。立て籠もっていた長州兵は約二十名だったが、半分ほどが竜胆に斬られ、残りも幕府軍の手で討ち取られた。降参した者は誰もいなかった。
「おお、長州の
と嘆賞したのは近藤である。……ところが。
「あれっ? え?」
真木和泉の首のない屍が、立ち上がり、そして槍を構えた。他の長州兵たちの亡骸も、遅れてそれに続いた。ぎこちない動きで、めいめいに武器を取った。
「ひひっ」
いつの間にか、戦場の向こうにそいつは姿を現していた。
「したい。したい。したい。したい。わちのもの。したいはわちのもの。したいはみんな、わちのもの。わちのいうことをきく。いいこ。いいこ。みんないいこ」
一体あそこにいるあれは何者だ? 何が起きている? と、多くの将兵がどよめき動揺する中、真っ先にそいつの正体に気付いたのは、
「陰陽童子ィィィィ!!」
竜胆であった。
「んんん? だれ? おまえ、だれ? わちをよぶのはだれ? だれ?」
陰陽童子はこくん、と首をかしげる。
「貴様が喰らった! 沖田家の三人! 忘れたとは言わさぬ!」
大和守安定の一刀一閃、陰陽童子の胴が両断された。さらに竜胆はその下半身を蹴り飛ばす。
「しらない。わすれた。おおこわいこわい」
飛んで転がっている二つの陰陽童子のうち、首がある方が喋った。
「にげよう。にげよう。にげよう。にげよう。そうしよう」
二つの胴体が綺麗にくっついて元に戻るや否や、陰陽童子の姿は中空に掻き消えた。
「したい。したい。したい。したい。わちのもの。したいはわちのもの」
声だけがその場に響いた。
「ひひっ」
その声も消えた後、戦場では阿鼻叫喚の戦いが始まっていた。
「くそっ……! 駄目だ、こいつら、斬っても斬っても斃れん……!」
元が完全武装した長州軍の兵である。それが、死なずの兵となって、無尽に闘い続ける。始末に負えなかった。
「火です! 皆さん、火をお持ちなさい! 焼いてしまえば、いかなる法術も道力も通じるものではありますまい!」
と叫んだのは山南である。
「おお、そうであるな! 諸君、火をかけよ! そこなる陣小屋に火をかけて、敵を追い込むのだ! 意気を失われるな、我は近藤勇であるぞ!」
不死の兵とはいえ所詮二十人くらいであることに変わりはないので、やがてほとんどの敵が燃え盛る炎の中に放り込まれ、動きを止めた。ただ。
「これが最後のひとり、っと……!」
山南が蹴り飛ばそうとした死せる長州兵が、やにわに山南に飛びかかり、そしてその首筋に噛み付いた。
「うわっ」
助けに入ったのは竜胆であった。動く死体を炎の中に斬り飛ばし、竜胆は山南に声をかける。
「大丈夫ですか、山南さん」
「別条ない。ただの戦傷だよ」
「……そうならいいですが」
山南の首筋の傷はしかし生身の人間が受けたものとは見えぬほどにひどく蒼黒く、不気味な有様を呈していた。
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