第七話

 天王山の陥落をもって禁門の変は終結し、そしてそれからしばらく経ったある秋の日。紅蜘蛛丸は京都の壬生にある、新撰組の屯所を訪れていた。もっとも屯所といっても、実情を言えば壬生の郷士つまり地元の下級武士の家何軒かに間借りをしているだけであるのだが。さて、そのあたりを歩いていたら『松平肥後守御領新撰組宿』という表札を立てている家があったので、紅蜘蛛丸は門前で名乗った。


「たのもう。拙僧は紅蜘蛛丸と申す者。沖田総司どのから招きを受けている。御取次ぎを願いたい」


 ちなみに従者などは連れておらず一人である。僧形だからぎりぎり許される行為となってはいるが、この時代の貴人がやることとして見れば非常識な振る舞いであることに変わりはなかった。なお本当のところ別に出家してはいないので実際には僧ではないのだが、それはそれとして他人の目にはそのように見えるような恰好をしているわけで、こういった場面では紅蜘蛛丸は自分のことを拙僧と言う。


 人が邸内に走り、すぐに竜胆が出てきた。そもそも、機能の上では屯所であるが構造はただの民家なので、そんなに広い屋敷というわけでもないのである。


「沖田どの」

「紅さん、よく来てくださいました」

「これは手土産だ。よかったら」

「あ、ありがとうございます」


 紅蜘蛛丸が持参した数箱の折詰に入っているのは柏屋光貞の最中もなかである。銘菓として名高い。だが今日は茶飲み話をしに来たわけではない。


 あのあと竜胆はもう一度、真言寮を訪れていた。山南が死者から受けた噛み傷がどうにも癒えず、医者に診せても要領を得ず、竜胆が非番の日を選んで個人的に紅蜘蛛丸に相談に行ったのである。それが昨日のことであった。紅蜘蛛丸は呪いや呪術については通暁しているのだが、そうはいってもとりあえず実際に本人を見てみないことにはどうしようもないので、直接来ることになった。


「山南はこの部屋です」


 竜胆がふすまを開ける。布団に寝ている者がある。


「あの仁か」

「はい」


 単に傷をこじらせて寝込んでいるというだけではない、ということは紅蜘蛛丸にはこの距離からでもすぐに分かった。膝を立てて近くに寄り、首筋の傷口を改める。山南は眠っていた。肉体的な面では、傷は癒えかけているように見えた。だが、紅蜘蛛丸はそこから幽かなしょうが発せられていることを感じ取れる。


「いかんな……これは……」


 竜胆は沈痛な表情をしている。紅蜘蛛丸の目には、まるで泣き出しかけているようにも見えた。とりあえず、これ以上ここにいても出来ることはないと分かったので、場所を改める。


「おもたせで、失礼をば致しますが。和束わつかの粗茶で御座います」


 と言って、煎茶と例の最中とが茶卓に用意された。


「今日は宇治茶じゃないんですね」


 などと言う竜胆だが、やはり元気はない。


「和束茶は宇治茶の一種だよ。山城国の茶所だ」


 最中を齧りながら紅蜘蛛丸がどうでもいいことを説明する。彼ですらも本題に入りにくいのである。


「なるほど。……それで、如何でしたか。山南さんの容態は」

「死者の呪いにてられている。このままだと、死ぬよりも悪いことになるやもしれぬ」

「……手立ては」

「解呪の外法というものは、調伏師の使うわざの中でももっとも難しいものだ。特に、他人のかけた呪いをことのできる使い手となるとな……かつて、遠い昔の阿布都乃比の当主に、ひとり強大な解呪術の使い手がいたのだが……」

「遠い昔ですか。まあお亡くなりになっているんじゃどうしようもありませんね」

「……ある意味では、そいつはまだ生きている」

「え?」

「そいつは自ら操った死者の呪いを利用して我が身を不死に変え、死人の王となった。それが、陰陽童子だ」

「なんですって」

「つまり、おそらくこの者の呪いを解けるのは、あいつ自身だけだろうな」

「そんな……山南さん……」

「この御仁は、できれば真言寮に移した方がよいだろう。それで時間稼ぎくらいならできる」

「それはわたくしの一存では……局長に相談してみます」

「うむ」


 近藤勇は市中巡察に出ていた。紅蜘蛛丸は壬生で帰りを待った。夕刻、近藤の率いていた隊が帰還した。話を一通り説明すると、夕食の席に招かれた。


「それがしが新撰組局長、近藤勇に御座る。紅蜘蛛丸どの、よろしくお見知りおきを。ささ、話はほどほどにしましてな、御酒など一献」

「かたじけない」


 いっけん豪傑風の近藤も大男の紅蜘蛛丸も実はそう見えてあんまり酒が強くないのだが、それはそれとして、席はそれなりに盛り上がった。ちなみに、二人よりも竜胆の方が強い。竜胆は女の身でざるである。


「山南君は多摩以来のわが同志ですのでな。よろしくお頼み申しますぞ。ところで、いま仲間のひとりが江戸に向かっておりましてですな、江戸表で新規の隊士の募集をば致そうかと——」


 そして後日。山南が真言寮へ運ばれてきた。食事が摂れるくらいには意識が戻ってはいるのだが、ずっとぼんやりしていて、ほとんど口を利くことがない。


 竜胆はとても頻繁に、具体的には非番という非番のたびに山南を見舞い、真言寮を訪ねてきていた。時には紅を差し、女装束でやってくることもあった。


「山南さん。お加減はどうですか」

「ああ……沖田君ですか……」


 たまに会話らしい会話が成立すると、竜胆は嬉し気であった。紅蜘蛛丸はなので、いい加減に気付いている。


「竜胆どの。差出口ではあるのだが、いちおう改めておきたい。恋仲だったのか?」

「……違います。山南さんはもともと仙台藩の脱藩なんですが、故郷に妻子を残しているそうです」

「そうか」


 なるほど片想いか、と紅蜘蛛丸は思ったが、それは口には出さなかった。


 そんなこんなで日々は過ぎて行った。やがて正月が来た。竜胆は元日から真言寮に姿を見せていた。火鉢で焼いた餅を肴にお屠蘇を飲んでいる。そこに紅蜘蛛丸が近寄って、耳打ちした。


「竜胆どの。部下から報告があった。……陰陽童子の使っている拠点が一つ、見つかったそうだ。大津の宿しゅくの近くなのだが——」

「なんですと」


 竜胆の表情に歓喜が浮かぶ。それならもしかしたら、山南を助けられるかもしれない。ちなみに大津というのは京都の東、琵琶湖のほとりである。と、そのときだった。


「あの」


 と言って、寝間着のままの姿の男が庭に姿を現した。その山南であった。


「あれ、山南さま。今日はそんなにお加減がよろしいので?」


 と言うのは庭に出した火鉢で餅を焼いている寅由である。


「……うすぼんやりとしか記憶がないのですが、何やらずっとこちらにお世話になっていたようで」


 と、竜胆が駆け寄って山南に飛びついた。


「山南さん! 元気になられたんですか! 良かったっ……!」


 はは、と山南は笑う。


「これは何の騒ぎなのですかな」

「お正月ですよ。元治が二年に明けたんです。でもよかったよかった、ほんとにおめでたい」


 喜色満面の竜胆を尻目に、紅蜘蛛丸は不審を感じていた。いくらなんでも、急に回復し過ぎではないだろうか? 自分の予測では、本来なら今頃は……


 だが、山南は現に正気を取り戻したように見え、そして本人が今日のうちに壬生の屯所に戻ると主張したため、まさか縛り付けてここに置いておくわけにもいかない。本人の荷物はもちろん持ってきてあったし、自分の意思でそうすると言う以上、着替えて帰るに任せざるを得なかった。


「それでは、長いことお世話になりました。またのちほど、お礼の御挨拶に上がりますので」

「わたくしも、もちろんまた来ますが。今日のところはこれでっ」

「……ああ」


 と言って山南と竜胆が連れ立って壬生に向かうのを、紅蜘蛛丸は為すすべもなく見送った。


「ひひっ」


 と、誰かが呟いたが、それを聴いた者は誰もいなかった。

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