第五話

「いつでも遊びに来てくれ」

「はいー。また、次のわたくしの非番の折にでも。ぜひ参上させていただきます」


 と、言うのが真言寮からの帰り際の竜胆と紅蜘蛛丸の会話であったのだが、それからまもなく、新撰組はそれどころではない状況に陥った。


 なるべく、かいつまんで説明しよう。この頃、旧来の鎖国を廃し開国を進める幕府と、武力を用いてでも外国勢力を打ち払わんとする長州藩を中心とした急進勢力すなわち攘夷派が、対立を深めていた。前年に薩摩藩と会津藩の主導によるクーデタが勃発、攘夷派は京をわれた。これを受け、今度は長州藩が藩兵を率いて京に攻め入ることを決断。そんな情勢下で起こったのが元治元年六月の池田屋事件、つまり長州派の密会が新撰組の斬り込みを受けた一件であったわけなのだが、それからひと月と経たぬうちに、長州軍の先発隊、約三千の兵力が京を囲んだ。新撰組は幕府側で、会津藩の傘下に属しているため、新撰組はみな鎧兜を着込み、総力を挙げて出陣している。沖田総司こと竜胆ももちろんその陣中にいる。これが、現在の情勢である。


 ちなみに真言寮はこの頃には徳川幕府の息のかかった機関であり、会津藩と横のつながりを持っていたが、人間同士の戦争に参加するための直接的な軍事力などはほとんど無いため、そういった動員を命じられてはいない。


 そして、今。京の南西、天王山てんのうざんの山頂に、その者の姿があった。


「てんかのわけめだ。ひさしぶりに、いくさがおこる。ほんとうにひさしぶりに、たくさんのひとがしぬ。ひとがしぬ」


 一見した限りでは人間の童子のように見える。ただ、肌が異様に白く、そしてその瞳は漆黒の闇をたたえている。


「ひひっ」


 目は笑っていない。口元だけが、嗤っている。人間というものを嘲笑っている。


「ひとがしぬなあ。たくさんのひとがしぬなあ。あな、うれしやな。うれしやな」


 おかっぱに切り揃えた髪に小さく細い身体。童子のように見える。しかし、実際にはこの者は、既に数百年の歳月を世に送っている。現在の名を、陰陽童子と呼ばれる。


「ひとをくおうぞ。ひとをくおうぞ。あな、うれしやな」


 陰陽童子の目が遠くを見る。ここから見えるわけはないが、その視線は京都の東部、東山の方を向いている。真言寮のある東山の方を。


「べにぐものきみは、よろこんでくれるかなあ。よろこんでくれるかなあ。わちがもっともっとつよくなったら、べにぐものきみは、よろこんでくれるかなあ」


 陰陽童子と紅蜘蛛丸の宿縁は永きに渡り、また深い。


「ひひっ」


 陰陽童子はいずこかへ姿を消した。かつて秀吉と明智光秀の間で山崎の戦いの決戦が繰り広げられ、天王山と言えばそれだけで「天下の分け目」を意味するほど有名な山の頂に、今はただ鳥だけが舞っている。


 そして同元治元年、あくる七月の十九日早暁。


「近藤さん。起きてください」

「……ん。なんだ、総司」

「たぶん……始まったと思います。戦です」

「そうか。まあお前がそう言うんなら、そうなんだろうな」


 京都御所の西側にある蛤御門の近くで、長州藩の一部隊が会津兵との間に戦端を開いた。後世に言う禁門の変、その始まりであった。


「新撰組一同ォォォ! 起床ォォォ!」


 朝ぼらけの陣中に大音声を張り上げたのは、もちろん新撰組局長、近藤勇その人である。

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