第四話

寅由とらよし

「はっ。控えております」


 と紅蜘蛛丸が呼んだのは、阿布都乃比あふとうないのその代の当主である。いちおう調伏師でもあるが、当主としての才覚はともかく、そちらの方面の能力においては凡庸な人物であった。紅蜘蛛丸自身は彼を使用人の一人くらいにしか認識していない。


「わたしの刀箪笥を持ってきてくれ。全てだ」

「はっ」


 別に寅由が一人で持ってくるわけではなく数人で手分けして運んできたわけだが、紅蜘蛛丸が個人的に集めている何本かの刀が竜胆の前に用意された。


「知らぬだろうが、陰陽童子と、わたしとの間には実は深い因縁がある」

「そうなんですか。長く生きている同士、お知り合いだとか?」

「……そうとも言えるが」


 紅蜘蛛丸は言葉を濁しつつ、別の話題を継いだ。


が迷惑をかけた詫びと、仇討ちへの援助とを兼ねて、竜胆どの、そなたにわたしの刀を一本、進呈しよう。好きなものを選んでくれ」

「え、いいんですか。それは有難い。実はこないだの池田屋事件のとき、愛用の清光が折れてしまいまして……どの鍛冶屋に見せてももう直せないって言われるし、往生していたところだったんです。助かるなぁ」

「清光とは?」

「六代清光です。加州清光とも言いますが、乞食清光の方が分かりやすいかな」

「ふむ」


 六代清光は江戸前期の加賀の刀工である。当人が貧しく、乞食同然の暮らしをしていたことからこうした不名誉なあだ名を付けられている。が、紅蜘蛛丸はそんなことを全然知らない。自分では刀など使うことがあまりないために詳しくないのである。


「おおっ、これ大和守安定じゃないですか。地肌は黒ずんで大互ノ目ぐのめ調の乱れ刃、そしてこの武骨で深いえ、まさに江戸新刀の快作! いいな、これにしようかな?」


 安定も江戸初期の刀工で、武蔵国の人であった。非常に切れ味がよいというので幕末になって人気を博した。屍を重ねて試し斬りをしたところ五つ胴を落とした、とも伝わっている。新撰組の中だけでも数人の愛用者がいる。


「こっちは……失礼ですが無銘の数打ちですね」


 貰い物などを適当に刀箪笥に仕舞ってほったらかしにしているため、紅蜘蛛丸の刀剣コレクションは雑多で、玉石混交であった。つまり高く売れるものなども混じっているのだが、そもそも金に困るような立場にあるわけでもなし、どれが何なのかちゃんと調べたことすらないのである。


「それからこっちは、なんだ、これはだいぶ古いものですね、……ん?」


 刀を抜いて刀身を一目見るや、ぴた、と竜胆の動きが止まった。


「二尺四寸二分、細見に腰反り高く一文字丁字の刃文、八重桜の花を散らして露を含ませたような美しい乱れ、そして何より、この菊と一の文字の銘……あの。これ。まさかと思いますが……これ、菊一文字則宗きくいちもんじのりむねでは?」


 紅蜘蛛丸はそうと言われてもよく分からない。


「ああそれか。それは古い知人から貰ったものでな」

「古い知人と仰いますと」

「後鳥羽院」

「ごっ」


 御冗談を、と言おうとしたのか、それとも「後鳥羽上皇?」と訊き返そうとしたのか分からないが、竜胆は絶句した。


 則宗は鎌倉時代の刀工である。当時、日本刀の生産を振興し、育成奨励していた後鳥羽上皇に仕えた刀鍛冶たちの中で随一の人物であったと言われる。つまり、菊一文字の菊の一字は皇室の象徴たるその菊である。則宗の刀はこの時代に至れば貴重などという次元のものではなく、大大名でも望んだら手に入れられるというような代物ではなかった。五代将軍綱吉が寄進したという則宗の太刀がいま東京の日枝ひえ神社にあるが、これは国宝に指定されている。


「何しろわたしは使わないのでな。持って行ってくれて構わんぞ。それはそんなに良い刀なのか?」


 竜胆は無言で、部屋の隅にまだ控えている寅由を見た。目が合った。沈痛げな顔で首を横に振られた。竜胆は目を伏せ、はあ、と嘆息する。


「こんな恐ろしい刀、持っていけませんよ……なんだと思ってらっしゃるんですか。先ほどの大和守安定を持っていきます。有難く、頂戴いたしますので」

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