平安篇

【作中作】

虫好きの姫君

 むかし、蝶を愛でるごく普通の姫君が住んでいるお屋敷のその隣に、按察使あぜちの大納言という人の館があって、そこに美しいが変わり者の令嬢が住んでおったそうな。


 彼女が言うには、


「花や蝶を愛でるなんて、当たり前でつまらない。物事の本質を追求することの中にこそ、情緒というものがあるのよ」


 ということで、また、


「お歯黒なんて面倒で汚らしいし、化粧をして着飾るなんてのもくだらないわ。何ものも、飾らないで、ありのままの姿にするのがいいの」


 と言い、ふつうの年頃の少女がするようなことはほとんど何もしなかった。それどころか、毛虫やら蝸牛かたつむりやらを男のわらべに集めさせてきては、虫籠に入れて眺めたり、手の上に乗せて可愛がったりする。それで


「毛虫って、なんか考え事しているみたいで奥ゆかしいわ」


 などと言う。もちろん近所の人たちは気味悪がっているし、親たちは呆れている。しかし、そんな彼女であるが、美しいことは美しかったので、やがて懸想をする男が現れた。朝廷に仕える右馬佐うまのすけで、物怖じというものをしない、愛嬌のある男であった。


 右馬佐は姫に、自分が作った蛇の模型を括りつけた恋文を送った。その内容は、蛇が長いのと同じようにわたしはあなたと長く添い遂げたいと思っています、くらいの意味である。


 その蛇の模型はあんまりよくできていたので、姫ははじめそれを本気で本物の蛇だと思って、恐怖に震えた。変わり者ではあるが、別に豪胆無双というわけではないのである。言ってしまえば人と変わったことをしている自分に酔っているという程度の稚気のある、要するに、まだ子供だったのだった。


 右馬佐は実際に姫の屋敷の前までやってきて、彼女の姿を垣間見したりもした。姫は屋敷に上げてやったりはしなかったが、しかし、一応は歌のやり取りくらいのことをして、なんとなく満更でもないという様子であった。右馬佐の方も、ちゃんと化粧などをすれば人並み以上の優れた姫君になるだろうに、という感想を抱いている。


 さて、自分の中に芽生え始めた感情の名前すら知らないうら若き姫が、ある日屋敷の庭を眺めてため息をついていると、目の前に、赤い色をした大きな蜘蛛が這っているのが見えた。


「まあ、珍しい蜘蛛だわ。誰か、あれを捕まえて!」


 彼女に付き従っている童たち、要するに悪餓鬼どもが網をふるって、蜘蛛を捕まえた。近くで見ると、胴体も足の先までも全身が深紅色をしている、常人よりは遥かに虫のたぐいに詳しい姫でも見たことも聞いたこともない大蜘蛛であった。普通の虫篭では大きさが足りないから、姫はそれ専用の網目の広い大きな籠を作らせて、その蜘蛛を飼い始めた。


「名前をつけなければいけないわ。そうね、こんな色をしているから」


 彼女は言った。


紅蜘蛛丸べにぐもまる、でいいでしょう。べにぐもまる、あなたは『紅蜘蛛丸』よ。分かった? べにぐもまる」


 赤い蜘蛛はまるで『分かった』と答えでもするように、その前脚を掲げて、左右に振ってみせた。


「まあ。返事をしたわ。べにぐもまるは賢いのね」


 物語はまだ続く。ニノ巻をお待ち頂きたい。

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